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日本を貶め続ける朝日新聞との対決 全記録

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[題名]日本を貶め続ける朝日新聞との対決 全記録
[著者]ケント・ギルバート、山岡鉄秀
[発行]飛鳥新社
[定価]1300円
[発行日]2018/12/31
・教科書「書き換え」誤報(1982)、サンゴ捏造記事(1989)、吉田清治証言(1982~92)、慰安婦と挺身隊混同(1991)、首相訪韓直前「軍関与資料」報道(1992)、吉田調書(2014)、英語版記事の印象操作・検索回避問題(2018)・・・・・一貫して日本を貶め続けてきた
・朝日新聞との7回の直接対話で見えてきた“真の闇"とは?
・なぜ誤解を生む表現にこだわり、最重要の訂正記事2本だけを英語圏の読者に読ませないようにしたのか?

「本書所収の朝日新聞の回答は、同社の本質を研究する上での第一級資料です。日本という国と日本人を貶(おとし)めるためなら、手段を選ばず、不都合な問題を隠し通す。これまで幾度も同じパターンの報道不祥事を起こしてきた故意犯・確信犯の体質が、彼ら自身のことばで余すところなく語られています」


朝日新聞による従軍慰安婦報道を中心にして、全体の報道姿勢について、朝日新聞社への申し入れとその回答などを全て記録して分析した本。

進歩的文化人の多くは朝日新聞が好きなのだろうが、我が国をこれほどまでに貶めていることに気がついてほしい。メディアという言葉には「公正・中立」という意味があるが、そういう意味では朝日新聞はメディアではない。ましてジャーナリズムでもない。



51大山街道ふるさと館:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (13)田中屋呉服店
 (14)はかり田中屋
 (15)灰吹屋
 (16)大山街道ふるさと館

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 (14)は、はかり田中屋の前の高津交差点である。

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 (13)の田中屋呉服店である。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
蔵造りの店
 重い瓦屋根と土の壁、母屋との境は厚い土戸。二階には頑丈な格子窓。防火、防犯など蔵の特長を生かした重厚な店構え。田中呉服店は、明治に建築された代表的な蔵造りの店である。
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 ここが(14)のはかり田中屋で高津交差点。交差する道路は府中街道である。

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 はかり田中屋にはこんな案内板があった。

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大山街道とは
 江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれ、寛文9年(1669)溝口村・二子村が宿として定められた。
 江戸時代中期には、庶民のブームとなった「大山詣」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として有名になった。
 江戸後期には、駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えた。

納太刀の習慣
 大山詣は、江戸を中心とした関東一円の他、遠江、駿河、伊豆、甲斐、信濃、越後、岩代、磐城などにも及んでいたと推測されている。参詣の際には納太刀(おさめだち)をする習慣があり、自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる参詣者の姿が多くの浮世絵などに描かれている。
    大山街道活性化推進協議会、高津区役所地域振興課
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 これはひょっとして(15)灰吹屋かも知れない。

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 そして道の左手には大山小径を書かれたスペースが。ただしどういうわけか、人がいっぱいいた。みんなスマホ画面を見ていたので、ポケモンGOのようなゲームをしていたのかも知れない。

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 そしてここが(16)大山街道ふるさと館だ。旧高津町役場が置かれていた建物である。

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 その一角に道標がある。

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是より北
高幡不動尊道
南川崎
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 こちらにも文字が書かれている。

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西 大山 みち
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50大山街道:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (11)高津図書館
 (12)六軒町参番館
 (13)田中屋呉服店

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 (10)の光明寺から溝口村へまっすぐに大山街道は続いている。

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 ゆるやかな旧道カーブとなっている。

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 進行方向右手に大きな釜があった。近づくと説明が書いてあった。

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口上
 この釜こそは、あのNHKテレビ大河ドラマ「黄金の日々」(注:1978年)に出演し、根津甚八ふんする石川五右衛門を釜ゆでにした代物である。
     提供 (株)飯島商店
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 1978年って40年前だ。

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 こちらにもステッカーがあった。

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 (12)の六軒町参番館があった。昔はこのあたりに家が六軒あったことから六軒町と呼ばれていた。マンション名にその名が残っている。

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 遠景はこんな立派なマンションである。

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 (11)の高津図書館の敷地には国木田独歩碑がある。

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国木田独歩碑
 明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れたとき、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。
 独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたら、志なかばで世を去りました。彼の俳友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念し昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
 題字は島崎藤村が書いたものです。
     高津観光協会・高津区役所
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 なるほど。そういうことなのか。

49光明寺:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (9)大貫病院跡
 (10)光明寺

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 明治地図にも(10)光明寺とはっきりと読み取れる。

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 さらに西へ向かう。

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 ここは(9)の大貫病院跡で現在は二子二丁目公園になっている。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
大貫家の人々
 大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎は、その長男である。
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 ジャングルジムがある小さな公園である。

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 ここが(10)の光明寺。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
光明寺と二子学舎
 浄土真宗光明寺。江戸初期に二子塚から移された。農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。明治7~9年、本堂には「二子学舎」が置かれ、近代小学教育の場となった。
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 やはり昔は寺で教育が行われていた。

48大山街道フェスタ:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(6)二子神社参道

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(6)二子神社参道
 明治地図では、大山街道沿いには建物が密集していたことがよくわかる。

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 (6)の場所は二子神社の参道の入口で鳥居があった。

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 二子神社と岡本かの子碑の説明があった。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
二子神社とかの子碑
 境内わきにある「かの子碑」は、岡本太郎の作。母を想い「誇り」と題している。昭和37年秋完成。現実的なこの抽象彫刻と隣り合う二子神社の創建は古く、優に300年をこえる。
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 その横には大山燈籠の説明があった。

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大山燈籠
 大山は神奈川県中央部にある山岳で標高1,234メートル、年間降雨量が多く雨降山の別名がある。
 山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある。両者を総称して一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として農工商の庶民に熱く信仰された。
 阿夫利神社の神官や大山寺の社僧を「御師(おし)」といった。御師は関東一円に特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。
 大山信仰が盛んになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。
 落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り大山登山参拝後は一路平塚へ出て、江ノ島、鎌倉、藤沢等の名所旧跡を見物し神奈川より舟で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山詣を兼ねた、三、四泊の観光慰安旅行であった。
 往来する大山詣での鈴の音は大山街道に遠くから響き、二子宿や溝口宿は大山詣の御客で賑わった。
 古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に雨乞いすれば必ず雨が降ると信じられた。事実雨乞いすれば不思議と雨が降った。このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年7月26日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て8月27日まで、連夜欠かさず灯明をつけた。大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。
 この燈籠は当時の夏の風物詩であった、旧高津村が二子神社前に建てた実物です。総桧造りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した。その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。
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 燈籠自体はすでになかった。駐車場になった時になくなったものと思われる。

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 今日は2月3日だが三週間後の2月24日に第16回大山街道フェスタが開催されるというポスターがあった。伊勢原よりも川崎市高津区の方が大山街道に親しみがあるのかなぁ。しかし「ファイナル」とあるように今年でこのフェスタは終了するということだ。ちょっと寂しいなぁ。

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 湯どうふや麦茶は無料配布で、山菜おこわ・甘酒・あゆの塩焼き・カレーライスは販売する。

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 街灯にも「高津の隣人まつり 大山街道フェスタ」の幟が数多く掲揚されていた。

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 もちろん大山街道とはっきりと書いてある。

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 大山街道ステッカーも見受けられる。

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 こんな感じの大山街道。道が狭い割に交通量は多い。

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 こんなポスターもあった。

第16回大山街道フェスタ ファイナル
高津の隣人まつり
平成31年2月24日(日)10:30~14:30

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大山街道フェスタ会場案内図も貼ってあった。

47二子神社:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (4)岡本かの子文学碑
 (5)二子神社

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 明治地図にも(5)に神社の記号がある。その横の文字は読みにくいが天照大神宮と書いてあるのかな? いずれにしてもここが二子神社のようだ。

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 この道は、向こう側からこちら側の左手にカーブして続いているが、本来は真ん前の電信柱の方にまっすぐに来ていたに違いない。手前にまっすぐ来ると二子の渡し場入口につながるのだ。

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 道路沿いには大山街道と書かれたステッカーが貼ってある。大山街道活性化推進協議会という会があるようだ。

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 おもしろい名前の飲食店があった。「豚子新地(ぶたこふれんち)」。二子新地をもじったのだろう。

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 これが岡本かの子文学碑の「誇り」。息子の岡本太郎氏の作だ。

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岡本かの子文学碑
 この碑は地元有志の発意により前衛的な_画家・彫刻家の岡本太郎、建築家の丹下健三等の協力を得て昭和37年(1962)11月に建てられたもので、岡本太郎がモニュメントを製作し、丹下健三が台座と築山を設計しました。この碑は岡本太郎が、父、岡本一平と母、かの子がこよなく愛したこの地、二子の多摩川のほとりを懐かしみ、本人が「誇り」と命名しました。
 また、岡本かの子の業績を讃える文芸評論家・思想家の亀井勝一郎の文を、小説家、川端康成の直筆によって刻んだ碑が「誇り」の横にあります。
     高津観光協会・高津区役所
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 文学碑のすぐ横にあるのが二子神社。

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二子村の村社であった。

46二子の渡し場入口:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(1) 二子橋交差点
(3)二子の渡し場入口

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(1) 二子橋交差点

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 二子新地駅から少し北へ向かい、交差点を右折する。

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 すると(1)の二子橋交差点に出る。

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 ここからは元来た道へと折り返す。

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 道路脇の街灯には「大山街道」と書かれている。

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 そして(3)の場所には旧大山街道二子の渡し場入口があった。

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 その先はこのようになっており残念ながら渡し場の面影はない。

前に進む力 ー Keep Going

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[題名]前に進む力 ー Keep Going
[著者]両角 速
[発行]東海教育研究所
[定価]1,500円
[発行日]2019/5/18
東海大学陸上競技部駅伝チームを率いて8年。ついに悲願の箱根駅伝初制覇を成し遂げた。2011年より母校駅伝チームの指揮を託されるも、翌年には40年続いていた箱根駅伝本戦連続出場がストップ。高校生相手の指導法との違いに迷うも、「どん底」から這い上がるため「東海メソッド」と呼ばれる科学的トレーニングやアメリカの最先端トレーニングを導入し、大学生ランナーとともに挑戦を続けてきた。そして箱根駅伝で初の総合優勝。見極めた大学生への指導法とは?黄金世代と称される有力選手をどのように呼び込んだのかーー。栄光を手にするまでの8年間を振り返る。


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 2019年正月。箱根駅伝で初優勝を飾った母校の駅伝チーム監督の自伝です。直筆のサイン入りの本をいただきました。高校駅伝日本一から母校東海大学の監督に凱旋したものの、箱根駅伝シード落ち、さらに予選会での敗北となかなかうまくいかなかった就任早々。そして一からチーム作りをして徐々に好成績をあげるようになり、ついに勝ち取った箱根駅伝の優勝!!! パチパチパチ   そして  8888888(笑)    両角監督、いい顔しています。


45二子玉川~二子新地:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 二子玉川駅から二子新地駅までは電車で移動しよう。

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 多摩川を挟んで隣の駅なのでわずか2分で二子新地駅へ到着する。「ふたこしんち」と読む。

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 構内の柱には溝の口犬猫病院の広告があった。その地図を注目すると、、、

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 はっきりと大山街道と書いてある。このあたりでは知名度が高いのだろう。

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 駅名は「ふたこ」と濁らないが、住所の二子と二子神社は「ふたご」と濁る。なんだかややこしい。

二子玉川1441→1443二子新地 各停中央林間行き

44二子の渡し碑:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (30)二子の渡し碑

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 手ぬぐいにも「大山街道 二子の渡し」と書いてある。

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 切り通しからさらに多摩川に向かって歩く。

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 現在の堤防には階段があった。二子の渡しの碑がどこにあるかわからないので探してみる。

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 階段を登って河原にでてみよう。

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 右手をみると東急田園都市線の列車が多摩川を渡っている。

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 二子玉川駅のホームはかなり多摩川の上に出っ張っているのがわかる。

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 反対側をみると、二子玉川駅周辺のタワーマンションと、遠くの方には武蔵小杉のタワーマンション群が見える。

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 周辺をうろちょろしていると、それらしきものが目に入った。

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 ここは世田谷区玉川福祉作業所である。

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 その入口の横にひっそりと二子の渡し跡の碑があった。なかなかわかりにくい場所だった。


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