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09蛇松線廃線歩き(3):伊豆箱根鉄道駿豆線

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 単調な歩道だが、もう30分近く歩いてきた。

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 すると歩道橋に差し掛かった。地図の(9)の場所である。

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 「じゃまつしろがねほどうきょう」と書かれている。漢字ではおそらく「蛇松白銀歩道橋」なのだろう。

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 かなり長い歩道橋である。

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 旧国道1号線をオーバークロスしている。

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 歩道橋を下ってきている。

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 地図の(10)についた。看板の後ろ側が見えている。蛇松線の歴史か何か書かれているのかと思ってみると、、、

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 単に「蛇松緑道」と書かれてあるだけだった。残念!

08蛇松線廃線歩き(2):伊豆箱根鉄道駿豆線

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 進行方向に富士山が見え隠れしている。

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 歩道と緑地が続いている。

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 地図の(6)の場所には、「緑道完成記念植樹 沼津専門店会30周年記念 昭和55年4月6日」と書かれた石碑があった。

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 このあたりは「幸の池」など他より少し広いスペースが広がっている。地図の(7)あたり。

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 さらに、さらに蛇松緑道が続いている。

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 交差点の名前にも「蛇松緑道」としっかりと書かれている。地図の(8)の場所。

07蛇松線廃線歩き(1):伊豆箱根鉄道駿豆線

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 この地図の赤線が蛇松線である。

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 帰りのバスまでまだ時間があるので、Sさんと二人で蛇松線(通称沼津港線)の廃線跡を見に行きましょうということになり、沼津港から交差点を渡った歩道にある線路跡の場所にやってきた。上の地図の(1)の場所である。蛇松線は東海道本線の沼津駅から沼津港までを結んでいた貨物専用線で、1888年(明治21年)に開業し、1974年(昭和49年)に廃止された。

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 こんなタンク機関車が走っていたのだろう。右側は「蛇松」の絵が描かれている。

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 さらに道路の向こう側にレールを発見! その跡をたどっていく。地図の(2)の場所だ。

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 なんだかむき出しの線路になってきた。地図の(3)あたり。

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 ガードレールが線路の中に入り込んでいる。

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 しばらくすると線路はなくなり、その線形に沿って歩道と緑地になっていた。地図の(4)あたり。

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 地図の(5)の場所に着いた。信号機の向こうに富士山が見える。Sさんと二人で「ここまできたら沼津駅まで歩いてみよう」ということになった。

06武田丸:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 沼津駅からは伊豆箱根バスに乗り沼津港へ向かう。そして「すし・さかな バイキング 武田丸3号店」でランチタイム。
 期待が大きかっただけに内容はちょっとだけ残念だった。まぁ世の中そんなものだろう。

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 食後に店を出るとこんな亀に気がついた。五円玉を結んだ赤い糸が首に数多くかかっている。

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 オプショナルツアーで沼津港クルーズ(30分、1000円)があったが今日は波が高いので中止だそうだ。

沼津1310→1324沼津港 伊豆箱根バス

05大場~沼津:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 大場から三島を経て沼津へ移動する。

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 大場の3番ホームは頭端式のため、当駅始発の列車のみが利用できる。

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 三島へ着いた。これで伊豆箱根鉄道駿豆線とはお別れである。なんだかちょっと物足りないような別れとなってしまった。地下道を通って東海道線に乗り換える。

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 東海道線のホームから伊豆箱根鉄道駿豆線のホームを眺める。一番右の線路は、JRから駿豆線への渡り線で特急踊り子号はここを通って相互乗り入れしている。

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 東海道線の駅名標。隣の駅が沼津である。

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 沼津駅に到着した。

大場1228→1238三島 伊豆箱根鉄道駿豆線 三島行き
三島1248→1252沼津 東海道本線 島田行き

04鉄道工場見学:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 韮山から大場へ移動する。ここには伊豆箱根鉄道本社と鉄道整備工場がある。

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 予約しておけば工場見学ができるようだ。「電車工場」とかかれた上には手作りの鉄道模型があった。

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 「ラブライブ!サンシャイン!!」ラッピング車両があった。明日、撮影会があるようだ。

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 これが台車。予想したよりも大きなものである。

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 裏の方には昔の列車や貨車が保存されている。

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 「トム」とは国鉄の無蓋貨車のことだが、「アメリカ製の貨車だからトムと書いてある」と冗談を言ったら信じた参加者がいた(笑)

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 コカ・コーラのラッピングドア。何かのコラボがあったのだろうか。
 
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 そろそろ工場見学も終わりに近づいてきた。

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 こちらは昔の電気機関車だったっけ?

韮山1037→1048大場 伊豆箱根鉄道駿豆線 三島行き

03韮山いちご狩りセンター:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 韮山駅からは徒歩である。鉄旅なのに徒歩である。約20分の徒歩で韮山いちご狩りセンターに着いた。事務所で受付してから行動開始である。

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 近くにあるビニールハウスまで車で送ってくれる。

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 こんな感じで通路の両側においしそうなイチゴがなっていた。50個くらい食べたかな? かなり満足した。

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 徒歩で韮山駅に戻る。

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 伊豆箱根鉄道グループは100周年を迎えた。駿豆線ができてから2017年で100年だ。

02小田原(新幹線)三島(駿豆線)韮山:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 行程に変化を持たせるために小田原から三島まで新幹線で移動する。もちろん在来線でも良いのだが往復同じ線路を通らないようにという主催者の配慮である。鉄旅らしいこだわりだ。

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 わずか16分で三島に着いた。ホームからは富士山の姿がきれいに眺められた。

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 地下を通って駿豆線のホームへ移動する。伊豆箱根鉄道なので「いずっぱこ」などと呼ばれているらしい。

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 7番目の韮山駅で途中下車する。

小田原0803→0819三島 東海道新幹線 こだま635号 名古屋行き
三島0831→0850韮山 伊豆箱根鉄道駿豆線 修善寺行き

01小田原へ:伊豆箱根鉄道駿豆線

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 2019年1月26日、第7回目のTTC(Tokai Tecchan Club)は伊豆箱根鉄道駿豆線への旅。集合は午前7時20分に小田原駅。朝まだ暗い中を自宅から伊勢原駅まで歩く。

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 伊勢原駅そばの松屋で朝食。お腹も満たされた。

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 伊勢原駅南口の朝の様子。

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 伊勢原駅6時43分発の急行小田原行きに乗る。

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 定刻通りに小田原駅に到着。こちらは東口。

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 こちらは西口である。

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 集合場所は西口にある新幹線のりば。すでに数多くの参加者が集まっていた。

伊勢原0643→0713小田原 小田急小田原線 急行小田原行き

49エイト:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 恵那駅の観光案内所で昼食の場所を尋ねたところ、いくつか勧めていただいた中の一つの洋食エイトに行った。老舗の洋食屋ということだ。

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 私はA定食、妻は本日のランチを注文。お客さんが多いわりにフロアは年配の女性一人。食後のコーヒーがでてくるのが遅かったのが残念だが、人出不足なのだろう。

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 恵那駅にもどり「えなてらす」でお土産を買って今回の旅はお終い。今日の夕食用に名古屋駅で駅弁を買い新幹線に乗ってまっすぐに自宅を目指す。初日の天気が残念だったが、二日目は晴天でよかった。終わりよければすべてよし! である。

恵那1401ー1513名古屋 中央本線 快速
名古屋1526ー1636小田原 東海道新幹線 ひかり524号
小田原1646ー1720伊勢原 小田急線 急行


48阿木〜恵那:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 阿木駅を出発する。(最後尾から撮影)


181224b阿木〜飯沼

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 この駅は昔は交換設備があったようだ。ここで列車交換すれば混雑時には列車本数をもう少し増やすことができそうだ。でも需要がないのかな?(最後尾から撮影)

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 右側から中央本線が迫ってくるともうすぐ恵那駅に到着する。(最後尾から撮影)

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 折り返してイベント列車のじねんじょ列車として明智駅を目指す。

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岩村1149ー1216恵那 明知鉄道 急行大正ロマン2号(じねんじょ列車連結)


47岩村〜阿木:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 恵那方面から列車がやってきた。


181224a岩村駅

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 明智方面からはじねんじょ列車がやってきた。

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 2両編成で1両目がじねんじょ列車で2両目が急行大正ロマン2号になっている。じねんじょ列車は食事の準備がされているが乗客はまだゼロであり、おそらく恵那駅から乗車して明智駅まで食事を楽しみながら乗るのだろう。

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 のどかな車窓をみながら列車は進む。

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 ふとフリーきっぷの裏を見ると、「日本大正村4館入場券100円引き」とあるのを発見! 少しだけ損した感じである。気がつかないほうがよかったかも知れない。

岩村1149ー1216恵那 明知鉄道 急行大正ロマン2号(じねんじょ列車連結)


46岩村駅3:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 ホームには岩村駅名標、岩村城天守閣、石垣、女城主、てつじぃなどが出迎えてくれていた。

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 ふと見上げると頭上には「美濃国岩村城 女城主の里」と書いてある。

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腕木式信号機復元
 昭和9年6月の明知線開通時から平成16年3月末まで活躍した腕木式信号機は、役目を終え撤去されましたが、平成18年4月見学用として復元されました。
平成18年4月 明知鉄道株式会社

【別看板】
腕木式信号機
 昭和9年6月明知線開業以来地域の皆様に支えられ親しまれてきましたが、近代化の波にのまれ平成16年4月電子連動化により姿を消すこととなりました。
 地域の皆様の根強い要望にのり、恵那市の協力を得て、平成18年4月復元しました。
明知鉄道株式会社
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 懐かしい腕木式信号機が復元されているらしい。

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 この二つがそうである。

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 構内踏切から恵那側を眺める。

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 こちらは構内踏切から明智側を眺める。

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 ホームは互い違い(千鳥式)に配置されている。


45岩村駅2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 岩村駅に着いた。

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 駅前には佐藤一斉の言志録があった。

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 佐藤一斉、下田歌子、三好学は岩村の三偉人だそうだ。

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 駅舎内のキッチンゆらでホットコーヒーを飲む。ここでは写真のような岩村駅丼を食べることもできる。岩村駅丼は400gで600円、城下町盛りは700gで1,000円、お城盛りは1600-1700gで1,800円となっている。お店の女性に「お城盛りを食べ切る人はどのくらいいるのですか?」と尋ねると、壁に貼られた写真を指差し、「この写真の方々はお城盛りを食べ切った人たちです」ということだった。写真をみると、かなりがっしりした人が多かった。

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 五平餅ストラップがあったので購入した。

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 岩村で昼食を食べてから12時57分発の列車で恵那へ向かう予定であったが、1本前の列車で恵那へ向かい恵那駅近くで昼食を食べようということになった。11時49分発の列車(急行大正ロマン2号)には「月曜運休」の文字が! 今日は祝日の月曜日だ。

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 よくよく見ると「休日の月曜日は運転」となっていた。念のため駅員さんに確認すると、今日は運転しているとの返事を得てホッとする。

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 岩村から恵那までの切符を買い列車の到着を待つ。


44鴨長明塚:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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伝鴨長明塚
 「方丈記」の作者、鴨長明(1155-1216)は、下鴨神社(京都市)の禰宜の次男に生まれ、和歌や管弦の道を極めました。50歳のとき、宮司に推挙されましたが実現せず、失意のうちの出家し、方丈(一丈約3m四方)の庵をむすんで隠遁生活に入りました。
 口伝によれば、衆人の前で秘曲を披露して鎌倉を追われた長明は、遠山景廉の好意で岩村の両家(現在の領家)に逃れ、半年を過ごした後、病を得て入寂したといい、「思いきや 都を余所に はなれ来て 遠山野辺に 雪消えんとは」という辞世の歌が伝わっている。
(以下略)
平成20年1月  恵那市教育委員会 
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 岩村駅の近くには鴨長明塚があった。

43西町一丁目商店街(ふくろう商店街):明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 伝来菓子のかめやである。カステーラも人気があるらしい。

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 あらゆる場所にある幟。

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下町升形
 升形は、道路を直角に曲げ、敵が容易に侵入できないようにしたり町の中を見通せないようにしたりしたもので、岩村城下町では、下町、新市場、新屋敷の3箇所の町の入り口に設けられていた。
 ここ下町の升形は、城下町の西の入り口にあたる。岩村から名古屋や中山道へ向かう街道の起点となっており、3箇所のうちでは最も規模が大きかった。
(以下略)
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 京屋建具店。

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 明るいと写真が映える。

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 半分、青い関連のポスター。

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 新聞屋さん。

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 「おしゃれ木田原」になったやすだや洋品店の前を通って岩村駅へ向かう。


42土佐屋:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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紺屋「土佐屋」
 土佐屋の主屋は、安永9年(1780)頃の建築であると推定され土間ミセの商家(職人)形式の町家であり、岩村の江戸時代の町家を検証する上で、その歴史的価値も高い。建物の保存に当たっては、江戸時代の状況を出来る限り忠実に復元し、伝統工芸と町屋建築を併せて学べるような施設とした。
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土佐屋 主屋
 主屋は、今から200年以上前に建築されたものです。通りドマ・一列三間型で、通りドマがやや広めに造られていることを除けば、当時の町屋の典型的な間取りと言えるでしょう。当時、表のドマには染壺が据えられ、職人が生糸や布を染めていたものです。表のドマの天井が真っ黒に煤けているのは、染料を温めるために火を焚いていた名残といえます。
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紺屋
 江戸時代には染屋を紺屋と呼んだように、紺染めが多く原料は藍で、藍甕に糸や布を何度も入れて染めあげました。
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 紺屋の土佐屋も見学できるので中に入ってみた。

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天正疎水
 天正3年(1575)岩村へ入城した河尻秀隆は、城下町形成のために城下町を西方に移すべく、まず岩村川左岸を東から西へ通じる道路を中心に左右それぞれ2本ずつ、4本の用水路を設置しました。
 こうして、まず道路や用水など整備を整えてから人の住む家を建てることを都市計画といいますが、河尻秀隆によってその後の岩村町の基礎が築かれたといえます。
 この用水を天正疎水と言いますが、400年を経た今も、家々の下を流れ、生活のために役立っています。
恵那市教育委員会
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 これが天正疎水で今でも水が流れている。

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 店の奥には藍甕が所狭しと並んでいた。

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 機織りの機械も展示されていた。


41岩村本通り:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 常夜灯も昨日よりも明るく太陽に照らされている。

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 本通りもご覧のような静けさである。

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渋い石造りの梅庄商店。

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こちらは松浦軒本店。岩村にはカステーラで有名な老舗が、松浦軒本店、松浦軒本舗、かめやと三軒ある。

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 こちらは水野薬局。昨日も前を通ったがその時はかなり雨が降っていた。


40佐藤一斎座像:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 石畳を降りてきた。濡れた坂道は登りより下りの方が気を使う。岩村山荘の近くに佐藤一斉の座像があった。

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佐藤一斎翁顕彰碑建立趣意
 幕末最高の思想家佐藤一斎は「志こそが人間のレベルを決まる!」といい、志を養うべきことを説き、その思想を著書「言志四録(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録)」などを書き残しました。
 碑文の「三学戒」は言志晩録の一節で最も輝いている言葉です。
 ここに全国各地300余名の賛同者の浄財により、一斎翁の「三学戒」を刻み、永く後世に伝えんとするものです。
平成8年10月19日
佐藤一斎顕彰碑建立実行委員会
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 「三学戒」が書かれている。
「少くして学べば 則ち壮にして為すあり
壮にして学べば 則ち老いて衰えず
老いて学べば 則ち死して朽らず」
 学ぶことの大切さを教えている。

39岩村城跡2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 岩村城の特徴の一つの六段の石垣が見えてきた。この上が本丸跡であろう。

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 やっと到着した。

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本丸
 本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣城に構えられていた。東と北には一段低い位置に長局と呼ばれる細長い曲輪が付属する。正門は東曲輪側の東口門である。内部には施設はなく、広場となっていた。
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 ここに本丸があったようだ。

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岐阜県指定史跡 岩村城址
 岩村城は別名を霧ケ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜717mに位置し、全国の山城の中で最高地にあり、日本三大城の一つである。
(中略)
 建物は明治維新により廃城され、後明治6年(1873年)に取り壊された。
岩村町教育委員会
岐阜県教育委員会
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 海抜は717mと全国の山城の中で最高地にあるようだ。

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 本丸にも昇龍の井戸があった。海抜717mでも井戸があるのがこの場所が山城に選ばれた理由なのかもしれない。

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 遠くには雪をいただいた山々が見える。御嶽山などの中央アルプスなのかなぁ。

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 その右側にも山々が見える。

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 本丸の石垣を下から望む。空が青々しい。


38岩村城跡1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 かなり急な石畳の坂道を登っていく。アキレス腱とふくらはぎのよいストレッチになっている。このあたりは藤坂と呼ばれている。

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初門
 直線的に伸びる登城坂でこの部分だけが、行く手を遮るように鉤の手に大きく曲げられている。有事の際にはここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」と呼んだという。岩村城の最初の関門である。
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 写真のような坂道が続いている。

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土岐門
 岩村城第二の門で、内側は馬出状の曲輪となっている。絵図では薬医門または四脚門として描かれている。土岐氏を破ってその城門を奪い移築したという伝承からこの名がついた。廃城後に徳祥寺(岩村町飯羽間)山門として移築され現存している。
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畳橋
 大手の入口は、高石垣と枡形門、三重櫓によって厳重に固められており、前面の空堀にL字形に架かる木橋を渡って内部に入るようになっていた。床板を畳のようにめくることができたことから、畳橋と呼ばれたという。
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 畳橋を過ぎると石畳ではなく普通の山道になってきた。前日の雨で道全体が湿っているのですべらないように注意して登っていく。

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霧ケ井
 霧ケ城と言われるもととなった井戸。敵が城を急襲したとき、この井戸へ城に秘蔵の蛇骨を投げ入れると忽ち霧が立ちこめ城を覆いかくしたと云う伝説があります。この水は今も絶えることなく湧き出し、昭和62年に岐阜県の名水50選に認定されました。
岩村町
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 こんな伝説があったとは。

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 この高さなのに確かに水が湧き出していた。

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菱櫓と俄坂
 山の形にあわせて石垣を積んだので菱形になった、山城特有のものである。この上にあった建物も菱形であったので菱櫓と呼ばれた。
(中略)
 中世の頃はここが大手門(正門)で大円寺城下町説もあり、大円寺へ通ずる険しい急坂も残っている。
 実際は裏手の門で、普段は使わないが落城等の非常口として用いられた。俄坂もその意味がある。俄坂の途中に中世城の遺構である東曲輪があるが、天然の峻険を利用し敵の来襲に備えていた。
岐阜県指定史跡 岩村城跡
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 そろそろ本丸跡が近づいてきたようである。


37下田歌子:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 今朝はまず岩村城跡へ登る。

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 坂を800mほど登るのである。

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 坂を少し登ると下田歌子先生の略伝があった。

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近代女子教育の先駆者  下田歌子先生 略伝
 下田歌子先生は安政元年(1854年)に岩村藩士 平尾しゅう蔵の長女としてこの地に生まれ、鉐(せき)と名づけられた。明治4年(1872)18才で父の元へ上京、翌5年に宮中の女官に登用された。宮中での歌会にいつもすぐれた和歌を詠み昭憲皇太后より歌子を名を賜った。
(中略)
 明治26年に欧米へ出張して女子教育を視察、同32年(1899年)に実践女学校及び女子工芸学校を創設して校長となった。現実践女子学園である。
(中略)
 先生は女子教育に一生を捧げ学者であり歌人であり、社会奉仕家で意志強固、熱弁家で男子を凌ぐ、明治・大正の日本未曾有の女傑で才色兼備の女性であった。昭和11年、83才で死去した。

 明治41年特旨を以って 従三位勲三等に叙せられた。
 恵那市教育委員会
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 実践女子学園の創始者が岩村の出身なんですね。

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 下田歌子先生の顕彰碑。

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下田歌子勉学所
(中略)
 歌子女史は5才で俳句をつくり和歌を詠み7-8才にして美事な韻を踏んだ漢詩を賦し、神童と呼ばれた。
 しかし、女であるため、すぐ近くにある知新館に学ぶことは許されなかった。
(中略)
 この室は父の書斎であり、女史の勉強した室である。
 幼い頃から女史の胸中に秘かに燃えていた炎は、女というだけで知新館へ入学できなかったという反発であった。
 18才で上京し、やがて実践女子学園を創立するにいたった苦難の道を進むのを支えたのは、この炎であった。
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 ここが勉学所である。

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 そして勉学所のそばには銅像がある。

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三好学博士像
 環境があって そこに人間が存在する   三好学
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 三好学博士の銅像もある。

36朝食:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 昨夜は部屋に戻って大正浪漫亭で買ったプリンを食べてから、ゆっくりと休むことができた。
 そして朝食の時間だ。

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おはようございます
朝ごはんは健康を思い「まごわやさしい」を基本にしています

「ま」まめ類、「ご」ごま類、「わ」わかめ海藻類、
「や」やさい、「さ」さかな、「し」しいたけ類、「い」いも類

白飯は「農村景観日本一」富田・大円寺コシヒカリ米です
手作り「しそ味噌」「あじめ味噌」をごはんのお供にお召し上がりください
(売店にて好評販売中)
〜皆様にとって良き1日になりますように〜
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 「感謝」と書かれた小さな紙に上記の文字が書かれていた。

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 湯豆腐、赤だし、焼きのり、茶わん蒸し、とろろ以外に写真のような様々なおかずが出てきた。

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 今日は昨日と打って変わって快晴なのだ。お城を模した岩村山荘もご覧のような輝きである。空は「半分」どころか「全部」青い!(笑)


35館内:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 ロビーの一角にはサンタクロースの飾りがありクリスマスムードである。

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 ロビーの別の一角には「半分、青い」の資料があった。

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 館内と売店はシンプルである。


34夕食:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 夕食は戦国料理ということだ。

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 この囲炉裏端での料理を戦国料理と称するのだろう。

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 天井が高く吹き抜けになっている。

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 朴葉に乗った味噌も囲炉裏で焼いてから野菜につけて食べるように言われた。

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 こんな感じである。

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 そしてメインは飛騨牛。かなりのボリュームである。

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 先ほどまで生け簀で泳いでいたイワナも豪快に焼いている。

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 ほくほくして美味しい。

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 熱燗の徳利には岩村城が、おちょこには岩村山荘の文字が入っている。

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 五平餅と焼きおにぎりでフィニッシュ。

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 量も質も満足した。ごちそうさまでした


33常夜灯〜岩村山荘:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 今夜の宿は岩村山荘でまだまだ歩く必要がある。

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 常夜灯があったので、ここを左折する。

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上町常夜灯
 寛政7年(1795)、上町・中町の有志により、ここから約100m南東の上町木戸付近に建立したもので、銘には「明和二乙酉秋創立寛政七乙秋再建」とある。戦前に国道257号沿いに移されていたが、昭和62年(1987)、岩村城創築800年を機にここに移された。城下町は江戸時代に度々大火に見舞われたことから、火伏せ(神仏の力により火災を防ぐこと)を祈願して建立したと伝えられる。正面に大神宮(伊勢神宮)を配して天下泰平を、左側に秋葉大権現を配して火伏せを、右側に金比羅大権現を配して招福繁栄を願ったものである。
==========

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坂を登ると右手に太鼓櫓が見えてきた。

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 そして左側には岩村山荘の看板がみえた。地図によると岩村駅から1.7kmの距離だが登り坂が続いたので少し疲れた。

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 外観は山荘というよりお城のようだ。岩村城を模したものだろう。


32ふくろう商店街2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 さらに進んでいくと「いらっしゃいませ ふくろう商店街」というモニュメントがあった。実際に撮影に使ったのだろうか?

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 この角の建物は創業寛政年間の京屋建具店である。

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 そして伝来菓子のかめや。

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 勝川家という古い屋敷がある。

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 勝川家の隣には浅見家。

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 水野薬局の看板は大正時代から残るものらしい。

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 さらに雨が強くなり正面の山は煙っているかのようだ。


31西町一丁目商店街(ふくろう商店街)1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 そして西町一丁目商店街を歩く。

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 「半分、青い」の舞台 恵那市へようこそ! の幟が町のいたるところにある。町おこしへの盛り上がりがわかる。

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 「岩邑カステーラかめや」の看板と「ようこそふくろう商店街」という穴あきパネルがあった。ドラマの中ではふくろう商店街の設定になっていたようだ。

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 実際のお店とドラマの設定とが比較してあった。渡辺床屋は「銀巴里理髪店」、坂田は「オシドリクリーニング」、岡田洋服店は「蕎麦処松善」、あけぼの書房は「羽鳥衣料品店」、土屋自転車店は「棚橋自転車商会」、竹内左官店は「山田畳店」、万さは「伊藤新聞」、西尾家は「ノーノードライ」、かんからやは「大瀬良たばこ店」、荻山家は「日本料理 清流」という具合である。

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 水野ガラス店があった。営業していないようであるが。

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 明るいタッチの穴あきパネルもある。

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 家の軒先の青い暖簾には「初子」「久美子」「美千代」「和代」「あつ子」といったその家の女性の名前が書かれている。これはは、岩村城の城主が女性であったことにちなんでいる。


30やすだや洋品店(おしゃれ木田原):明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 ここ岩村はNHKの連続テレビ小説「半分、青い」の舞台になった。西町一丁目商店街の入口にやすだや洋品店がある。

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 ここがやすだや洋品店である。ドラマでは「おしゃれ木田原」というお店の設定となった。

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 店内にはテレビ撮影の記念グッズやサイン色紙などが展示されていた。お店の人が親切に説明してくださるのだが、私はドラマをみていないので今一つ感動しない。適当な相槌になってしまったのは申し訳ないと思っている。


29巌邑天満宮・道標:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 駅から1-2分歩くと本通りにでる。レトロ感たっぷりの商店街である。

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 左側には巌邑天満宮がある。

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 そして山村硝子店もある。「かめ」と「ガラス店」はよく気が付くのだ(笑)

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 道標があった。「左なごやえ(へ)」と書いてあるのだろう。



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