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22花巻・帰路:三陸鉄道リアス線全線開通

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 マルカンデパートの近くには宮沢賢治の生家があった。現在は親戚の方が住んでいるので見学はできない。

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 花巻駅まではぶらぶら歩いて帰るとする。途中に季節・小料理 亀 という居酒屋を発見。さすがに昼間なので営業していなかった。

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 花巻駅に到着。

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 ラグビーワールドカップまであと4日となった。

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 試合の開催日には快速ラグビー釜石が4編成投入されるようである。

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 花巻からは東北本線で一ノ関へ向かう。当初は釜石―(三陸鉄道)-盛―(大船渡線BRT:バス)-気仙沼―(大船渡線)-一ノ関として、一ノ関から新幹線を予定していた。しかし雨模様の天気だったのと、やはりできるだけバスは利用したくなかったので、花巻経由でマルカンビル大食堂での昼食を選択したのである。
新幹線に乗るには新花巻駅から乗ってもいいのだが、東京到着は同じ時刻なので、いろいろな列車を楽しめるこのルートにした。

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 花巻駅のホームにはこんな穴あきパネルがあった。

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 跨線橋から北上・一ノ関方面を望む。

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 跨線橋から盛岡方面を望む。

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 駅名標

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 14時46分発の一ノ関行き2両編成の列車に乗る。

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 一ノ関から東北新幹線やまびこ52号に乗車。そして仙台ではやぶさ28号へ乗り換えて18時過ぎには東京へ到着した。

 三陸鉄道リアス線がつながったのでそれに乗りに行ったのだが、期せずして復興にはまだまだ時間がかかりそうな地元の様子も実感してしまった。

花巻1446ー1535一ノ関 東北本線
一ノ関1550ー1622仙台 東北新幹線 やまびこ52
仙台1630ー1804東京 東北新幹線 はやぶさ28

21マルカンビル大食堂:三陸鉄道リアス線全線開通

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 花巻駅からタクシーでマルカンデパートへ向かう。ここの6階にあるマルカンビル大食堂でランチタイムとする。

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 エレベータで6階へ上がると券売機前には大行列。階段に並んで並んで最後尾は4階だった。ここまで人気があるとは知らなかった。祝日の12時過ぎだし仕方がないか。マルカンビル大食堂は6階だが2階から5階には店舗がない。一度閉鎖されたマルカンデパートだが、大食堂の復活を望む人たちの活動のおかげでマルカンビル大食堂は再営業となった。詳しい話はネットで確認を。素晴らしい行動力だと思う。

 30分ほど並んで食券を買いテーブルに座る。広い食堂が確かに満員である。

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 これが有名なソフトクリーム。目の高さまである。何も知らない妻はビックリ! 噂は知っていた私もややビックリ。ここまで大きいとは! やや硬めなクリームなので、箸で食べることができる。これでなんと230円! コストパフォーマンスがすごい!

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 私はナポリかつ870、妻はみそラーメン580を頼んだが、シェアしながら食べた。満足、満足!


20釜石~花巻:三陸鉄道リアス線全線開通

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 JR釜石駅のスタンプ。釜石大観音やSL銀河が記されている。

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 こちらがJRの釜石駅。列車ごとの改札が行われている。

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 3両編成の快速はまゆり4号に乗る。

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 定刻に釜石駅を出発した。写真右側は三陸鉄道の線路、左側はJRの線路になるが、元々はともにJRだったためかなり密接につながっている。


190916釜石駅出発

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 この右側が宮古方面の三陸鉄道(旧JR山田線)である。快速はまゆり4号は左側の線路を進む。

釜石1014ー1158花巻 釜石線 快速はまゆり4


19大槌~釜石:三陸鉄道リアス線全線開通

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 大槌の次は鵜住居駅である。ここにも防潮堤がある。「未来へトライ」とは鵜住居復興スタジアムで開催されるラグビーワールドカップを意識しているのだろう。

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 鵜住居(うのすまい)駅の愛称もトライステーションである。

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 なんだか鉄ちゃん率が高い。列車行き違い時間を利用して写真を撮っている(もちろん私も)。

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 こちらが駅舎で、ホームに比べるとかなり立派な駅舎である。

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 ホームからちらっと鵜住居復興スタジアムの観客席の屋根が見える。隣に座っていた地元の方の話では、小中学校があったが被災してしまいその跡地がスタジアムになったということだった。

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 対抗列車のラッピングはラグビーワールドカップ仕様となっていた。

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 釜石駅に近づいてきた。構内には転車台があった。SL銀河のためのものであろう。

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 釜石駅に到着。

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 こちらが三陸鉄道の釜石駅である。

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 通常運行は3月24日に開始されたようだ。

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 表も裏もラグビーワールドカップ万歳!である。

浪板海岸0855ー0927釜石 三陸鉄道リアス線


18浪板海岸~大槌:三陸鉄道リアス線全線開通

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 吉里吉里駅を過ぎると大槌駅が近くなる。海沿いにはここにも巨大な防潮堤が建設されている。

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 大槌川の河口では水門も築かれている。逆流を防ごうというのだろう。

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 大槌駅舎は新しくなりひょっこりひょうたん島を模したものになった。大槌湾に浮かぶ小さな蓬莱島がひょっこりひょうたん島のモデルになったという云われがある。

浪板海岸0855ー0927釜石 三陸鉄道リアス線


17浪板海岸駅:三陸鉄道リアス線全線開通

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 翌朝は小雨。朝食が終わり歩いて浪板海岸駅へ向かう。道路が新しくなっていてスマホの地図が頼りにならず、高低差もありちょっと駅を見失いそうになった。軽自動車に乗った地元の人に道を聞いてたどりついた。といっても徒歩5分くらいである。

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 高台にある駅にも津波到達の地の石碑があった。

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「津波到達の地」
 今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
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 その横には明治時代の津波のことが書かれた石碑があった。こうやって次世代にリスクをちゃんと伝えていたのだということがわかる。

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 さらにその横には東日本大震災備忘の碑がある。

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東日本大震災備忘の碑
 千年後への伝言 波板の人たちへの伝え
 2011年3月11日14時46分 東北地方太平洋沖を震源とするM9.0の東日本大震災が発生し、それによる巨大津波によって大槌町では1,200人を超える町民が犠牲になりました。浪板地域においても消防団活動をしていいた団員3人と人的被害として22人が亡くなりました。また住家や農地、漁業者の舟や施設も被害を受けました。被災当日から6月末日まで浪板支援促進センターでの被災生活となり、その間世界各国の人々は沖縄から北海道の国民の皆様から支援援助を受けたこと、また大学生や長崎大学医療班等の皆様からの治療支援があったこと、多くの会社は職業人、自衛隊岩手駐屯地の空からの空輸救援活動があったことを忘れないで欲しい。
津波襲来時刻 同日15時16分 波の高さ 約20メートル
 被害状況 人的には25人死亡 物的には住家 被住家71棟
      田畑や漁業施設、山田線浪板海岸駅ホーム、国道45号線流失損壊
      浪板海岸砂浜や松林の消失
 地震が起きたら津波が来ると思え。高台に避難し解除が出されるまで戻らない。今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
 平成30年12月吉日建立 波板地域復興協議会
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 内容を読むと、改めて大きな災害であったと再認識する。

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 浪板海岸駅名標。

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 先ほどの石碑が三つ並んで車窓からも見えた。


16ホテルはまぎく・夕食:三陸鉄道リアス線全線開通

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 ホテルについた。入口には鵜住居復興スタジアムでラグビーワールドカップの試合をするカナダとウルグアイの国旗があった。(9月25日の試合ではウルグアイが30対27で格上のフィジーに勝利した。カナダ対ナミビアの試合は10月13日の予定であったが台風19号の影響で中止になった。残念!)

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 フロントと同じ高さに庭園がありそこには平成の架け橋があった。このホテルには平成天皇も宿泊したようだ。

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平成の架け橋

第17回全国豊かな海づくり大会 記念
行幸啓 平成9年10月5日
天皇皇后両陛下 お泊り所

東日本大震災復興の架け橋
第71回国民体育大会 希望郷いわて 国体記念
天皇皇后両陛下 お泊り所
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 ここに砂浜が広がっていたのとは信じがたい。

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 夕食は海の幸が中心の美味しいもの。満足!

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 卓上にはリアス線開通記念の三陸鉄道山田の醤油があった。

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 こちらはホタテとムール貝(?)の焼き物。

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 松茸の釜めし。そういえばホテルまで歩いている時に周囲には赤松が目立っていた。

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 食事のおともに熱燗をいただいたが、そこには「浪板観光ホテル 健康亭」とあった。昔はそういう名前のホテルだったようだ。


15吉里吉里~ホテルはまぎく:三陸鉄道リアス線全線開通

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 吉里吉里駅から三陸花ホテルはまぎくまで約1.5㎞を歩く。歩くとすぐ海側に大きな防潮堤があった。向こう側にかすかに海が見える。

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 こちらはこれから防潮堤が建設される場所。

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 防潮堤がないと海がこんなに近くにきれいに見える。

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 車用の案内看板だが、徒歩の私たちにとってもうれしい看板である。

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 ホテルのすぐ上側の駐車場の脇には石碑があった。

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暁穹への嫉妬  1925.1.6
 薔薇輝石や雪へのエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかがやきながら、
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かそうとするあけがたのそら   宮沢賢治
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 石碑の横には下記のような説明書きがあった。

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2011年3月11日 東日本大震災で大槌町は壊滅的被害にみまわれ多くの貴い命を失った。生き残った私たちは亡くなられた人たち、これから生まれてくる子どもたちに、どう生きるかを示す責任がある。私たちは宮沢賢治の「利他の精神」がその道しるべになると考える。ここに大槌と関わりの深い「暁穹への嫉妬」を建立し顕彰する。
 2016年8月27日 大槌宮沢賢治研究会
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 震災以前の浪板海岸の写真もあった。このような白い砂浜が広がっていたようだ。震災と地盤沈下で砂浜がなくなってしまった。

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浪板海岸
 かつては南北800mに白い砂浜が広がり、松林や青い海のコントラストが印象的な三陸を代表するマリンレジャーの海辺でした。
 また、寄せる波はあっても返す波がないという世界でも珍しい「片寄せ波」の海岸としても知られておりましたが、東日本大震災による津波と50㎝もの地盤沈下により砂浜の大部分を消失しました。
 再び海水浴はマリンスポーツを楽しむことができる美しいビーチに戻すために、いろいろな取り組みや研究が行われており、海岸の復活に大きな期待が寄せられています。
 大槌町商工観光課
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 かなりの高い場所だが、ここまで津波がやってきたようだ。恐ろしいことだ。

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「津波到達の地」
 今次の震災が永久に教訓となることを願ってこの地に建立する。
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 ホテルの海側には砂浜はもうない。

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 普段はのどかでおとなしい恵みの海だが、津波の時には恐ろしい海に変貌するのだ。

吉里吉里1520ー1550浪板海岸(ホテル) 徒歩


14陸中山田~吉里吉里:三陸鉄道リアス線全線開通

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 車窓からも区画整理された土地がよく見えた。

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カキなどの養殖のいかだが浮かぶ山田湾。東日本大震災前にこの路線を乗った時にもこの山田湾の風景が目に焼き付いていた。

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鯨と海の科学館。最寄り駅は岩手船越駅。

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 本州最東端の駅の岩手船越駅。

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おだやなか船越湾を車窓から眺めることができる。

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 浪板海岸駅から今夜の宿「三陸花ホテルはまぎく」が見えた。最寄り駅は浪板海岸駅だが、もう一つ先で下車して徒歩でホテルに向かう。

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 吉里吉里駅で下車する。ここは井上ひさしの小説「吉里吉里人」のゆかりの場所でもある。


13陸中山田駅:三陸鉄道リアス線全線開通

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 お祭りの広場の近くのセブンイレブンの裏に高台(御蔵山)がありそこに鎮魂と希望の鐘があるので見に行く。こちらは消防殉職団員慰霊の碑である。

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 東日本大震災についての看板があった。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災について
大震災発生日時 2011年3月11日 午後2時46分
日本全国の死者・行方不明者数 19,294人
    2012年1月11日現在(警視庁まとめ)
岩手県内の死者・行方不明者数 6,035人
    2012年1月11日現在(岩手県まとめ)
山田町の死者・行方不明者数   743人
  被災家屋    3,357棟(46.6%)
    2012年1月10日現在(山田町まとめ)

2012年3月11日 国際ロータリー第2520地区 山田ロータリークラブ
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 山田町でも743人もなくなっており約半数の家屋が被災していた。

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 旧陸中山田駅舎にあった大時計は津波のあった3時27分で止まっていた。

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この大時計について
 2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の歴史的大地震が東日本太平洋沿岸一帯を襲った。それに引き続いて発生した大津波は山田町に襲いかかり、被災したJR陸中山田駅の駅舎上に設置されていた大時計は津波による被災時刻の3時27分を指したまま止まっている。
 山田ロータリークラブの創立記念行事として、昭和46年に当時の国鉄陸中山田駅舎上に設置されていたものである。この大震災の規模と大きさと威力を如実に示すものであり、ここに展示し後世の防災の教訓とする。

2012年3月11日 国際ロータリー第2520地区 山田ロータリークラブ
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 これが鎮魂と希望の鐘である。東日本大震災からちょうど1年後の2012年3月11日に建立されている。

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 5分ほど歩いて陸中山田駅へ向かう。

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 新しくかわいらしい駅舎に生まれ変わっている。

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 5日後の9月20日から始まるラグビーワールドカップ2019日本大会は釜石でも試合が開催される。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というキャッチコピーがいい!

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 陸中山田駅の駅名標。

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 ホームから釜石方面。

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 ホームから宮古方面。

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 三陸鉄道リアス線(盛駅―久慈駅)全線開通ののぼり。

陸中山田1451ー1515吉里吉里 三陸鉄道リアス線


12山田秋祭り:三陸鉄道リアス線全線開通

 織笠駅からは陸中山田駅まで徒歩で一駅戻る。歩いた方が地元のこともよくわかるし、この駅間は1.2㎞と短い。

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 途中のコンビニでアイスを食べたりしながら20分ほどで山田町の中心地へ着いた。海沿いでは防潮堤の建設が進み、その内側は写真のように区画整理だけがされていた。高台には新しい家も見えている。この土地に家が建つことはいつになるだろうか? あるいはあるのだろうか?

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 公園ではこちらもお祭りをやっていた。

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 三陸山田の祭り天国である。

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 小さな子も楽しめる遊具がある。

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 いろいろな出店も出ていた。

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 ここで「カキくし焼き」と「シュウリくし焼き」を買い二人でシェアする。ちなみにシュウリとはムール貝のことだった。

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 シーフードお好み焼きと焼きそばもシェアし、これが昼食となった。

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 ステージでは釜石ベンチャーズがベンチャーズのナンバーを演奏していた。

織笠1315ー1340陸中山田 徒歩


11宮古~織笠:三陸鉄道リアス線全線開通

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 同じボックスに座っていた地元の方に教えてもらったが、今日は宮古では町のお祭りがあるらしい。宮古駅を出発すると、それらしき雰囲気が味わえた。

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 次の駅は磯鶏駅。「いそけい」ではなく「そけい」と読む。車内には立っている人も多く、車内を移動することは躊躇われたので座席からずっと車窓を眺めることにする。半年前に8年ぶりに運行を再開した区間だと思うと、鉄ちゃんとしては感無量となる。地元の人たちにとっても大きな喜びだったと思われる。

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 新しい八木沢・宮古短大駅をすぎ、津軽石駅。津軽地方との関係はないようだ。

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 払川駅をすぎて次は豊間根駅。次の陸中山田駅まで11.1㎞もある。

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 陸中山田駅に着いたがここでは下車しない。

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 次の織笠駅で下車した。


190915d織笠駅出発

久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線


10野田玉川~宮古:三陸鉄道リアス線全線開通

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列車は安家川橋梁をわたっていく。ここは景勝地なので車窓を楽しめるように列車は一時停車する。うれしいサービスだ。


190915b安家川橋梁

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あまちゃんのロケ地でもある堀内駅から港の眺めである。ドラマでは「袖ヶ浜駅」として使用していたようだ。

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もう一つの景勝地である大沢橋梁。ここでも列車は一時停車する。


190915c大沢橋梁

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 東日本大震災で大きな被害を受けた島越駅。線路や駅舎を新しくした。

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 島越駅近くの海岸方面。以前は海水浴場として人気があった場所らしいが、今ではその面影もなく、防潮堤などの再整備が粛々と行われていた。写真中央やや下に見える階段は震災以前の駅へ行く階段である。

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 ここは摂待駅。面白い名前である。ちなみに駅周囲には料亭も居酒屋もなかった(笑)。

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宮古駅に着いた。ここで10分間停車して釜石へ向かう。宮古から釜石までは、今まではJR山田線の一部だったが、今年の春から三陸鉄道になり8年ぶりに運行を再開した区間だ。

久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線


09久慈~野田玉川:三陸鉄道リアス線全線開通

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 改札を入り跨線橋を渡りホームへ向かう。

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 三陸鉄道のホームから跨線橋とJRのホームを眺める。

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 列車入線前にかなりのお客さんが待っていた。

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 実った稲が緑の絨毯のように美しい(久慈―陸中宇部)。

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陸中野田―十府ヶ浦海岸では新たに長大な防潮堤が築かれていた。

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ここは2017年3月25日に開業した十府ヶ浦海岸駅。かなり海に近い場所にある。

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 そして野田玉川駅に着いた。

久慈1040ー1218宮古1228ー1309織笠 三陸鉄道リアス線


08うに弁当:三陸鉄道リアス線全線開通

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 道の駅くじ・やませ土風館に立ち寄った後、久慈駅に戻る。

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 こちらが三陸鉄道久慈駅舎である。

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 駅前にはこんなパネルがあった。

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 あまちゃんのロケ地である説明があった。

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北三陸駅
 北三陸鉄道、通称“北鉄”。第一話でアキが降り立った駅で、北鉄開通や震災からの復興セレモニーのくす玉割りの場面、物語の出会いや別れの場面など重要な場面で登場します。劇中の「うに丼」は駅内の三陸リアス亭がモデル。

三陸鉄道
 東日本大震災で大きな被害を受けましたが、震災2日後には一部運行を再開。2014年に全線で運行再開など、劇中にもその物語が描かれています。市民に愛されているローカル鉄道で、2019年3月に久慈駅から大船渡市盛駅までの163㎞が繋がり、名将はリアス線と命名。第3セクター鉄道では日本で一番の長さ。久慈駅は、リアス線の北端であり、駅の愛称は「琥珀いろ」。鉄道むすめである「久慈ありす」は第1回鉄道むすめトーナメントで優勝しています。
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 駅舎の向かい側の建物には写真のような看板があった。全線開通を待ち望んでいたのでしょうね。

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 三陸鉄道久慈駅の駅そば店であるリアス三陸亭で、電話で予約しておいたうに弁当を受け取る。

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 うにがぎっしりと詰まった美味しいお弁当である。

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 駅舎内はあまちゃん関連グッズが所狭しと陳列されていた。

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 三陸鉄道久慈駅が「琥珀の国 入国管理局」にもなっている(笑)

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 これらも駅スタンプである。


07あまちゃんハウス:三陸鉄道リアス線全線開通

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 久慈駅到着は定刻通りの8時57分。もう少しで九時だった(笑)。

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 八戸線久慈駅のスタンプ。北限の海女の駅と書いてある。

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 こちらがJR久慈駅の駅舎。

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 久慈駅前には文字通りの駅前デパートがある。あまちゃんの撮影では北三陸観光協会の事務所が入っている設定になっていたようだ。

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北三陸観光協会
 ビル3階に、北三陸観光協会の事務所が入っている設定。“北三陸をなんとかすっぺ(K3NSP)合同会議”が行われた設定となっています。駅前を見渡せる場所として度々劇中に登場。アキたちが作った「北三陸鉄道」「北限の海女」「潮騒のメモリーズ」3種類のデザインをモチーフにした看板が健在しています。
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 駅から徒歩2-3分のところにあまちゃんハウスがあった。

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 あまちゃんで使われた小道具や衣装がおいてある。しかしテレビを見ていなかったので、今一つ感慨が大きくない。

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 あまちゃんハウスから道の駅くじ・やませ土風館へ行く途中に柔道の三船久蔵十段の像があった。

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三船久蔵十段 出生の地
 三船久蔵は、明治16年(1883)に旧久慈町で生まれました。
 明治29年(1896)久慈尋常高等小学校(現:久慈小学校)を卒業、明治30年(1897)宮城県第二中学校(通称:仙台二中)に入学し、この頃初めて柔道と出会い次第に頭角を現しました。
 明治36年(1903)に上京、嘉納治五郎が設立した講道館に入門、昭和20年(1945)には講道館最高位である十段に昇りつめました。三船久蔵62歳の時でした。現在まで十段昇段者は15人しかおらず、三船久蔵は4人目の十段昇段者です。
 身長159㎝、体重55㎏の小兵ながら、「空気投げ(隅落し)」など究極の技を編み出しました。生涯を通じて柔道の発展に尽力し数々の業績を残し、昭和29年(1954)久慈市名誉市民第1号となりました。
 昭和40年(1965)1月27日、永眠。82歳の生涯でした。
 ここは、三船久蔵の生家があった場所です。三船十段記念館には三船久蔵の資料が展示され、その業績を知ることができます。

2015年8月 久慈市・久慈市教育委員会
 三船久蔵十段出生地記念碑建立事業実行委員会
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 すごい人がご当地出身なんですね。


06本八戸―久慈:三陸鉄道リアス線全線開通

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 進行方向右手の海側に蕪島が見えてきた。ここはウミネコの繁殖地であるが今日はウミネコの姿が少ない。繁殖時期が過ぎてしまったようだ。


190915蕪島

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このあたりは八戸線沿線の景勝地の一つの種差海岸付近であるが、林に阻まれて絶景な車窓というわけにはいかない。

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 大蛇(おおじゃ)駅に到着。Ojaと英語表記が短い。

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ここは宿戸―陸中八木間の車窓風景。

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こちらは陸中八木―有家間の車窓風景。八戸線からの車窓風景も意外と美しい。

本八戸0722ー0857久慈 八戸線


05本八戸2:三陸鉄道リアス線全線開通

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 モヤモヤさまぁ~ず風の表示があちこちにあった。
・この辺は昔、お城だったらしいよ

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・縄文土器の文様は、縄をころがして付けられてるらしい

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・冬のお祭り「えんぶり」の期間中、ここは酒場になるらしいよ
・三社大祭は、おがみ神社が発祥らしいです
・八戸では、「いらっしゃい」のことを「おんでやぁんせ」って言うらしい

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・ゴスペラーズの北山さんは、八戸出身らしいよ
・八戸線には、77ヶの踏切があるらしいよ
・はっちは ←あっち らしいよ

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・昔この通りはモボとモガが闊歩したオシャレな通りだったらしいですよ
・もうすぐJAZZが流れるカフェに生まれ変わるらしいよ
・八戸は東京以北で一番日照時間が長い!らしい

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 本八戸駅に戻ってきた。

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・三八城公園は江戸時代に八戸城があった所らしいよ
・本八戸駅が明治27年に開業した時は、「八ノ戸駅」だったらしいよ
・八戸は、「本のまち八戸」らしいですよ

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 7時22分発久慈行きの列車に乗る予定だ。

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 車内はこんな感じで新しい車両のようである。2列と1列の座席で海側の座席に座ることができた。


04本八戸1:三陸鉄道リアス線全線開通

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 夕べはホテル近くの居酒屋で地元のつまみを食べながらお酒を楽しんだ。今朝もホテルから本八戸駅まで歩いて移動する。

 途中に立派な門があった。八戸城角御殿表門である。

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県重宝  八戸城角御殿表門
 ここは、寛政年間には角(すみ)御殿と呼ばれていた。寛政4年(1792)御者頭煙山治郎右衛門がここに居住し、八戸城にふさわしい門と玄関を立てるように命ぜられた。門はその5年後に建てられ、その時の棟札が残されているが、資金繰りの苦心談が八戸藩日記にうかがわれる。
 昭和53年、風雪のため倒壊したとき、毘沙門天像が門の冠木の中央から発見された。像高3.6センチの小さなものであるが、精巧な像で、棟札にも「奉修毘沙門天秘法」とあることから創建時のものであることが知られる。この寛政九年の棟札の他に、嘉永4年(1851)、明治42年(1909)修理の棟札もある。
 昭和55年、創建当初の形に復原した。門の構造は棟門といわれ、通常は二本の柱の上部を冠木でつなぎ、切妻屋根をのせるものであるが、この門の場合は、四本の柱を一列に並べて冠木でつなぐ大規模なもので、平衡を保つため裏側に二本の支柱を取付けるという特異な構造となっている。
 昭和57年3月  八戸市教育委員会
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 「この門は八戸城の一部らしいですよ」という、テレビのモヤモヤさまーずのナレーションのようなコメントがあった。斬新である。

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 住居表示をみると、このあたりはなるほど内丸である。

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 しばらく行った右側には法霊山龗(おがみ)神社があった。ここは八戸三社大祭発祥の御宮だそうだ。

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 また源義経がしばらく住んでいたという伝説もあるようだ。

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「伝説」源義経 北方コース
おがみ神社
 悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ文治5年(1189)4月平泉の高館において31歳の若さで自害したといわれている。
 短く華麗だったその生涯を想い、後世の人々は「義経はその前年にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅にでた」という伝説を作りあげたのである。
 世に言う「判官びいき」であろう。

 ひそかに北へ逃れた義経は、八戸に上陸し市内の高館に住んでいたといわれる。
 元久年間(1205)義経夫人(京の久我大臣の姫君)が亡くなり京ケ崎に葬り、法霊(りょう)大明神とあがめられた。おがみ神社がその場所だといわれており、八戸の義経伝説の記録「類家稲荷大明神縁起」が所蔵されている。
 公益社団法人 八戸観光コンベンション協会
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03八戸―本八戸:三陸鉄道リアス線全線開通

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 東京から3時間弱で八戸に到着。まだまだ乗っていたい気がする居心地の良さだった。

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 新幹線から在来線に乗り換える。

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 八戸から鮫(さめ)までは「うみねこレール八戸市内線」と称しているようだ。

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 車内は混んでおり座れず。最前列で車窓を楽しむ。

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 本八戸に到着。多くの乗客が下車した。ここは八戸市街地の最寄り駅で、以前は八戸駅(当初は八ノ戸と表示)だった。今の八戸駅は1971年4月までは尻内(しりうち)駅だった。

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 構内には「八戸・青森・東京方面」と記されている。確かに「東京方面」ではあるがちょっとアバウトすぎる気もしないではない。

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 駅舎には行書体(?)で書かれた駅名表示があった。
本八戸駅からホテルまでは登り坂を徒歩で12分ほど。

八戸1822ー1830本八戸 八戸線


02 グランクラス:三陸鉄道リアス線全線開通

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 妻に忖度して(笑)なんとグランクラス! 贅沢な時間を味わうことになった。

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 アテンダントのアナウンスの後、軽食をいただく。

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 献立表もあり、安心できる食材のようだ。

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 ソフトドリンクやお茶だけでなく、アルコールも無料だ。純米大吟醸の日本酒をいただく。

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 食後には緑茶とおせんべいでまったりとする。

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 車内はこんな感じ(写真撮影時はトンネル内)で、落ち着いた空間である。

東京1520ー1813八戸 東北新幹線 はやぶさ27


01東京へ:三陸鉄道リアス線全線開通



2019年10月の台風19号で、三陸鉄道は大きな被害を受けた。復旧しつつあるが、まだまだ全通にはほど遠い。残念なことである。なお、このブログは2019年9月の旅のものである。


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 2011年の東日本大震災で運休になっていたJR東日本の山田線(宮古―釜石)が、経営を三陸鉄道に移管され、2019年3月23日に運行再開となった。




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これにより久慈―盛の163㎞がつながり「三陸鉄道リアス線」が誕生した。




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 記念のタオル



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 そこで2019年9月14日ー16日に三陸鉄道の旅に行ってきた。今回は三連休東日本・函館パスを利用した。



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三陸鉄道全線もフリーパスエリアに含まれる。



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 土曜日の午前中の仕事を終え、小田急線で都内へ向かう。今回の旅は妻と一緒だ。本厚木からロマンスカーで新宿へ、そして中央線の快速で東京駅に到着した。東京駅地下のGRANSTAに寄ってみよう。



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 かなり賑わっていて、人気店には行列ができていた。私たちは何も買わずに様子をみていた。そろそろ新幹線の出発時刻が近くなってきた。

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 15時20分発の東北新幹線はやぶさ27号新函館北斗行きに乗る。この列車は盛岡までこまち27号秋田行きと連結して走る。

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 はやぶさとこまちの連結部には写真を撮る人などで賑わっていた。

伊勢原1328ー1335本厚木 小田急線 急行
本厚木1338ー1427新宿 小田急線 特急ふじさん4
新宿1435ー1448東京 中央線


42赤湯駅2:山形鉄道

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 こちらはJR赤湯駅の駅舎。山形鉄道とは規模が大きく違う駅舎である。新幹線停車駅だからね。

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 赤湯駅17時28分発の山形新幹線のつばさ154号東京行きに乗る。

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 14号車12番D席が指定席である。

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 指定席だから並ぶ必要もないのだが、どういうわけか並んでしまう。

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 向こう側のホームには「ラーメンのなんようし」という広告?があった。山形県は人口あたりのラーメン店が一番多かったと思う。

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 つばさ154号が到着した。

 席に座って、ウトウトしながら、19時48分の定刻に東京に着いた。


5月26日(日)
米沢0644ー0714今泉 米坂線
今泉0730ー0749白兎 山形鉄道
白兎0821ー0824羽前成田 山形鉄道
羽前成田0836ー0846鮎貝 山形鉄道
鮎貝0900ー0915四季の郷 徒歩
四季の郷0949ー0953荒砥 山形鉄道
荒砥1024ー1051時庭 山形鉄道
時庭1113ー1116南長井 山形鉄道
南長井1120ー1220長井 徒歩
長井1235ー1250あやめ公園 徒歩
あやめ公園1301ー1310蚕桑 山形鉄道
蚕桑1333ー1414南陽市役所 山形鉄道
南陽市役所1438ー1444おりはた 山形鉄道
おりはた1514ー1518宮内 山形鉄道
宮内1541ー1553西大塚 山形鉄道
西大塚1634ー1651赤湯 山形鉄道
赤湯1728ー1948東京 山形・東北新幹線 つばさ154号
東京1953ー2007新宿 中央線 快速
新宿2011ー2047相模大野 小田急線 快速急行
相模大野2048ー2107伊勢原 小田急線 快速急行


41赤湯駅1:山形鉄道

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 乗ってきた列車の写真を撮る。

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 左側は奥羽本線&山形新幹線の線路である。

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 ホームから階段を上り、通路を右側(山形鉄道赤湯駅)へ向かう。

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 ロッヂ風の山形鉄道赤湯駅舎である。

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 赤湯駅のスタンプ。

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 跨線橋の壁には鉄道むすめ達の写真があった。このような二次元のアイドル(?)たちが人気のようだ。右から、津軽鉄道:芦野かな、弘南鉄道:平賀ひろこ、十和田観光電鉄:清水なぎさである。

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 こちらは右から、青い森鉄道:八戸ときえ、南部縦貫鉄道:七戸ちびき。

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 右から三陸鉄道:久慈ありす、三陸鉄道:釜石まな。

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 右から仙台空港鉄道:杜みなせ、山形鉄道:鮎貝りんご。

40西大塚~赤湯:山形鉄道

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 山形鉄道の旅も終焉を迎えようとしている。西大塚を16時34分発の列車に乗り、16時51分に赤湯に着いた。

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 南陽市役所駅を過ぎると左から奥羽本線&山形新幹線の線路が寄り添ってきた。


190526r南陽市役所~赤湯

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 赤湯駅が近づいてきた。

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 一番右にある独立したホームに到着した。

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 赤湯駅名標である。

39西大塚駅:山形鉄道

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 ここでは41分もの待ち時間がある。

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 乗ってきた列車が西大塚駅を出発する。


190526q西大塚駅出発

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 ホームから長井方面を見る。線路左側の切り欠きホームは以前は貨物輸送に使われていた。今では線路もなくなっている。

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 駅名標。新しいのか他の駅とデザインが違う。

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 ホームから赤湯方面を見る。

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 こちらが駅舎全景である。国鉄長井線が長井駅まで延伸した1914年(大正3年)の建築であり、大正初期の鉄道の歴史を伝える貴重な建築物となっている。2015年(平成27年)駅舎が羽前成田駅とともに登録有形文化財に登録された。

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 待合室入口には「ようこそ 西大塚駅へ」とある。ナスの名産地なのだろうか。

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 開放的な待合室で木製ベンチも残っている。

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 切符売り場や手荷物預かりを彷彿とさせる棚が残っている。

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 登録有形文化財として羽前成田駅とともに写真が飾ってあった。

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 駅舎内には「上野行 やまばと1号(普通席)」と書いた案内板があった。ホームの上からぶら下げたものだろう。やまばとは上野と山形を結んでいた。これは赤湯駅のものなのかも知れない。

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 こちらは「かっぱ号 ねずかせき←→よねざわ」とある。米沢から米坂線で坂町まで行き、そこから羽越本線の鼠ヶ関まで走っていたこともあったらしい。海水浴客のための夏の臨時列車だったようだ。

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 これが西大塚駅のスタンプ。

38宮内~西大塚:山形鉄道

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 宮内駅を15時41分発の列車に乗る。西大塚には15時53分に到着する予定である。

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 途中の梨郷駅では降りない。

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 最上川を渡るともうすぐ西大塚駅である。

37宮内駅2:山形鉄道

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 この宮内駅にはうさぎ駅長のもっちぃがいることでも有名である。

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 「うさぎに会いたい方は、改札口を出て左側入口より、ご自由にお入りください。」と親切な案内がある。

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 「もっちぃたちは改札口を出て左側の駅長室にいます。」と書いてある。

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 左側に行くと駅長室があった。

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 ドアには注意書きがあった。

==========
禁止令を必ずお読みになられてからご入室ください。
マナーが悪い方がいらっしゃいますと、禁止令が増える場合があります。
ルールを守れないお客様には退室をお願いする場合があります。
ストレスを与えないためにもご協力をお願い致します。

もっちぃ駅長禁止令
第一条 おさわり禁止
第二条 餌やり禁止
第三条 大声禁止
第四条 フラッシュ撮影禁止
第五条 ペット入室禁止

山形鉄道宮内駅長 もっちぃ
==========

禁止令に抵触しないよう注意しながらの接見となる。

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 これがうわさのもっちぃ駅長だ。ちょっと疲れがたまっているのか元気がない。

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 待合室には「駅長の代理」が置いてあり、これは「おさわりOK、だっこもOK、写真撮影OK」ということだった。

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 地元の新聞の記事の切り抜きがあった。東日本大震災後に臆病になってしまったらしい。

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 元気な時にはこのような帽子をかぶっていたそうだ。

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 こちらが宮内駅のスタンプ。

36宮内駅1:山形鉄道

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 おりはた駅で30分間過ごし、15時14分発の列車で、隣の宮内駅に15時18分に到着した。

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 宮内駅のホームが近づいてきた。

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190526p宮内駅出発

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 乗ってきた列車が宮内駅を出発する。

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 この駅は1913年(大正2年)10月宮内町駅として新設され、1988年(昭和63年)10月JR東日本長井線が山形鉄道に移管されたのを機に宮内駅に改称された。

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 ホームの幅も広く、椅子や屋根も整備されている。

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 ホーム側から見た駅舎。

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 「♪ないしょ、ないしょ、ないしょの話はあのねのね♪」の歌詞のないしょ話という歌を作詞した結城よしをがこの町の出身らしい。

==========
童謡(うた)と昔話(かたり)のまちかど
・・・結城よしをの「ないしょ話」に続いて、南陽市珍蔵寺に伝わる「鶴女房」にちなむ鶴の石像を設置することができました・・・・
==========

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 これが鶴の石像である。

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 駅舎にはこのようなレトロな看板があった。懐かしいなぁ。

35おりはた駅:山形鉄道

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 14時38分南陽市役所駅発の列車に乗り、6分後の14時44分におりはた駅に到着した。

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 ホームから長井方面を見る。

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 ホームから赤湯方面を見る。

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 この駅は、1959年(昭和34年)6月西宮内駅として新設され、1988年(昭和63年)10月JR東日本長井線が山形鉄道に移管されたのを機におりはた駅に改称された。

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 待合室の中のベンチも長い。

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 駅名標。

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 ホームからの出入口。ここが駅前で駐輪場になっている。

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 駅の近くには果物畑が広がっている。これらはサクランボかな。

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 あやめ越しのホーム。

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 おりはた駅のスタンプ。


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