古地図めぐり4-31b 麺や食堂



本丸亭の隣のスペースではこちらもお祭りの準備が行われています。夏祭りと投票日が重なってしまったようですね。なんとかならないものなのでしょうか。

右側には「菓子司 新光堂」「菓子司 新光堂」があります。「司」の文字が使われていることからも由緒正しき和菓子屋ということがわかります。朝顔もきれいです。

地図の(26)の小田急線のガードが見えてきました。今回のめぐり旅も終わりに近づいてきました。

右側には「麺や食堂」があります。厚木の老舗の喫茶店としてブラジルの名前で親しまれてきましたが、いつしかとても美味しいラーメン食堂になっています。

麺や食堂の隣の路地は、相模川に突き当たっています。小田急線も高架がそのまま鉄橋になっています。

ちょうどロマンスカーがやってきました。

古地図めぐり4-31a 本丸亭



地図の(24)から(25)を目指します。

ここが(25)の交差点で、この写真は北を写しています。

これは(25)の交差点から西側(本厚木駅側)を写しています。赤い看板に「老郷 餃子の店」がちらっと写っています。

さらに日影を求めて右側の歩道を歩いていきます。

左側には「染ときもの たちばなや」があります。老舗の和服屋です。昔は賑わっていたのでしょうね。

右側には「せんべい 三河屋」があります。もちろん老舗です。

そして「らー麺 本丸亭」が見えてきました。こちらは新進気鋭の人気店です。

古地図めぐり4-28 智音寺/神社?



ここであたらめて地図を確認すると、(22)のお寺を行き過ぎてしまっていたことに気付きました。気を取り直して(笑)、「鰻 ひろ瀬」の角を曲がります。

正面に赤い大きな屋根が見えました。

本堂のような建物の手前ののぼりには「智音神社」と書いてあります。寺ではなくて神社なのでしょうか?

同じ敷地内に「鬼子母神堂」もありますし、奥には墓地もあります。それではお寺なのでしょうか?

うん? なんじゃこりゃ。「智音寺境内」と「智音神社」と両方の表記があります。どっちでもいいのでしょうか?
もともとは真言宗のお寺でしたが、明治時代に廃業して今では神社になっているようです。そんなこともあるのですね。那須与一のお墓もあるそうです。

古地図めぐり4-27 熊野神社
古地図めぐり4-26 望月酒店
古地図めぐり4-25 きりんど橋



道の反対側に「きりんど橋」と書かれた石碑がありました。その右側には少し錆付いていますが、「渡辺華山 「厚木六勝」図「洞堤賞月」」と書かれたものがあります。

側面には次のように記されていました。(判読不明文字は★)
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きりんど橋
170年程前、ここを訪れた六部(行脚僧ら)が浄財をもって容★橋し、明治中期架け換えるに際して、きりんど橋と称した。古老の話によると、聖代の御代には神獣★★が出ると祈り★★んど橋と唱え、きりんど橋と呼ばれるようになった。
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そしてその近くには、詩を刻んだ石碑が。
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洞堤賞月 橿家甘人
桐を植へたる きりべの堤 四季を通じて 月が良い
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この先、熊野神社を通るのですが、そこにはこんな案内がありました。

まだまだ先へ進みます。

古地図めぐり4-24 ソニー厚木テクノロジーセンター(2)
古地図めぐり4-23 ソニー厚木テクノロジーセンター(1)
古地図めぐり4-22 御嶽神社
古地図めぐり4-21b ソニー厚木第2テクノロジーセンター
古地図めぐり4-21a 岡田集会所
古地図めぐり4-20b 三島神社(2)



こちらが本殿です。

復興記念の石碑です。

「大正十二年九月一日午前・・・・・・・大地を震撼し」とありますので、関東大震災で壊された建物の復興を記念した石碑のようですね。

「未曾有の大地震」とあります。「みぞう」と読みますが、これを「みぞうゆう」と読んだ内閣総理大臣がいましたね(笑)

狛犬です。

皇紀二千六百年記念と書いてあります。ネットで調べると、1940年(昭和15年)が神武天皇が即位してから2600年で、11月10日に記念式典が行われました。

三嶋神社の奥の建物には、「三嶋神社社務所」とともに「岡田自治会館」の看板も掲示されていました。

古地図めぐり4-20a 三島神社(1)



東名高速道路をくぐると、すぐ右手の(18)の場所に三島神社があります。古地図にも載っています。三島神社は道路沿いにはなくて、カーブミラーのある路地を右折します。その近くには、

「矢倉沢往還」と書かれた道標があります。これは比較的新しいもののようです。

その側面には、
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矢倉沢往還
江戸時代に江戸より武蔵と相模を横断していた街道に関東支配の重要性から、江戸と西とを境とする足柄上郡矢倉沢峠に関所が設置され旅人・荷物等を検査した。この道を矢倉沢往還と呼称された。
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と記されています。

路地を右折してすぐの左手に「村社 三嶋神社」があります。岡田村の村社だったようです。

鳥居をくぐって中に入りましょう。

神社の範囲を示す玉垣が建設されたのを記念した石碑でしょう。

おおきな銀杏の木がありました。

鐘撞堂もありました。

古地図めぐり4-19 長徳寺



今度は地図の(17)のお寺です。古地図には記載は見られないようですが、「壽永山 慈雲院 長徳寺」です。

山門はこんな感じ。

本堂はかなり大きいものでした。

長徳寺を出て、さらに北へ向かうと、東名高速道路が見えてきました。

古地図めぐり4-18b 横山忠重碑



(16)の法徳寺の手前(南側)に、ちょっと気になる石碑を見つけました。

こちらには以下のように記されています。
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正六位 勲四等 功三級
海軍中佐横山忠重碑
大正十一年七月八日 横山直兄の二男として出生。昭和十七年十一月十四日海軍機関学校卒業。海軍少尉任官の後、累進して海軍大尉となり百里原航空隊教官勤務。昭和二十年四月六日特別攻撃隊第一正統隊長として百五十名を引率、敵艦船群に対し必死必中の体当たり攻撃を決行して散華す。仍て連合艦隊司令長官より感状を授与せらる。
昭和42年4月6日 従七位 横山直兄 設修
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特攻隊の正統隊長として散ったのですね。もう二度と戦争をしてはいけません。
百里原航空隊とは今の航空自衛隊百里基地のことで、2010年から茨城空港として開港し、官民共用空港となりました。

こちらは漢文にて、読みにくいのですが、
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二等軍曹横山君碑
陸軍歩兵二等軍曹横山君碑
(漢文)
明治三十年秋八月
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などと記されています。

さらにこちらには、
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叙従七位 高等官 横山直兄 昭和十九年十一月十五日
叙従七位 横山龜太郎 明治二十八年一月十日
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と書かれています。横山家は軍隊に行った人が多い家だったのですね。あるいは時代背景を考えると、青壮年男性はこのような運命の人が多かったのかもしれません。単なる古地図めぐりのはずでしたが、かなり考えさせられる場所に遭遇してしまいました。

こちらの社に眠っているのでしょうか。

駐車場の向こう側には、ハイツ横山A・Bがあります。この横山家のアパートなのかな。

古地図めぐり4-18a 法徳寺



そうこうしているうちに、地図の(16)の寺まで来ました。古地図にも記載があります。「浄土真宗 本願寺派 法徳寺」です。ホームページによると開山500年の歴史があるようです。

中を覗くと、松の木がお出迎え。

これが本堂です。きれいなお寺です。

古地図めぐり4-17 和菓子山口屋



さらに北へ向かいます。右側に「和菓子舗 きらく 山口屋」という看板がありました。老舗の和菓子屋ですね。旧道沿いにある風景です。「WAGASHI BY YAMAGUCHIYA」と外国人にもわかるように表記してあります。

店舗を見るとまだ営業前でした。「水ようかん パイナップル大福」と書いてあります。イチゴ大福は食べたことがありますが、パイナップル大福はまだ食べたことがありません。一度食べてみたいですね。

全景はこんな感じです。

古地図めぐり4-16 ペットフード



さて、さらに北上します。下岡田バス停がありました。

バス停のそばに、こんなお洒落な建物がありました。立派な洋風なお屋敷です。

看板がありました。「SGL Product」とあり、その横には「PURE ORGANIC」と書いてあります。

そして「EXTRAORDINARY PET FOOD」「AUSTRALIAN CERTIFIED ORGANIC」などと書いてあります。ペットの有機食料ですね。それもオーストラリアのです。ペットも大事に扱われてます。

古地図めぐり4-15 相川小学校
古地図めぐり4-14 保存指定生垣
古地図めぐり4-13 合流



(14)の三叉路に立って、三方を見通してみましょう。まずは南。平塚方面です。

こちらは西。今まで歩いてきた道です。

最後のこちらは北。これから歩いていく道です。

(14)から北へ向かってしばらくすると左側に大きくて目立つ松がありました。よく手入れがしてあります。

また北へ少し行くと、左側に「そば」の看板が見えてきました。

手打ちそばあり田です。もりそばをずずーと手繰りたかったのですが、まだまだ朝9時前でしたので、営業前でした。

さて、ここは地図の緑矢印の場所です。右斜め後方から道路が合流しています。旧道の合流方法に似ているので、旧道かと思いましたが、旧地図には手掛かりなく、比較的新しい道と思われます。

リバーサイド前バス停に着きました。徐々に気温があがり猛暑になってきました。

古地図めぐり4-12 交差点
古地図めぐり4-11 酒井前田
古地図めぐり4-10 新宿橋
古地図めぐり4-9 酒井新宿



さらに進んでみると、右側に「薔薇直売所 梅原バラ園」と書かれた建物に出会いました。もう営業しているようです。

さらに進むと、同じ右側に赤い矢印付きの看板が見えます。

「酒井新宿自治会館」とあります。普通、公民館や自治会館は旧道沿いにあるのが普通ですが、奥まっているのでしょうか。ちょっと入ってみましょう。

一見すると民家を改造したような感じです。建物も新しいので、旧道沿いにないわけですね。

元の道に戻りましょう。(10)の進行方向左側には、なんだか新興宗教のような建物があります。大きな駐車場に車は数台。広々としています。帰宅後にネットで調べると、ここは希心会という法華系の新宗教だそうです。女優の樹木希林さんの芸名はこの「希心会」から一字いただいているそうです。

希心会の反対側には(地図の(10)の場所)、道路が続いています。

古地図めぐり4-8 神社
古地図めぐり4-7 鈴木ファミリーファーム



少し(9)に近づいてきました。右側に赤い派手な建物が見えてきました。

近づくと「株式会社カマタ」と書いてありました。その手前(写真右側)の建物は、、、とそばに行ってみると、

「酵素農法 鈴木ファミリーファーム」と書いてあります。こちらもまだ営業前ですね。ホームページをみると美味しい梨が取れそうですね。来年にはぜひ食べてみたいと思います。

鈴木ファミリーファームの隅にも写真のような社がありました。お稲荷さんでもなさそうですが、いったい何なのでしょう。

少し進んだ左側には、大きなお屋敷がありました。これも旧道歩きの醍醐味です。

右側には「もぎたてのいちごあります」という看板。いつもいちごがあるのでしょうか?

さらに(9)に近づいていきます。さて、この先はどのようになっているのでしょうか?
