田村道52:四ツ谷



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 地図の(41)(42)(1)で囲まれた四ツ谷交差点です。目の前の道路は国道1号線で旧東海道です。

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 大きな交差点で、歩道のある場所までかなり距離があります。

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 四ツ谷交差点を渡り、東へ進みます。

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 四ツ谷バス停がありました。

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 赤枠の稲荷神社の前を通過しました。


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田村道51:四ツ谷道標2

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 こちらには記念碑がありました。「藤沢バイパス道路新設、、、、、、、昭和三十八年二月二日 四谷町内会」とあります。

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 祠の中には「大山道」と刻まれた石造物がありました。

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 側面には「これより大山道」とありました。


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田村道50:四ツ谷道標1

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 一の鳥居のすぐそばに道標がありました。

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 「大山みち」と読めますが、その上は読み取れません。

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 「平成十七年七月一日再建 地主 鈴木得郎 四ツ谷町発起人一同 大山阿夫利神社 目黒」とあります。

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 四谷不動(大山道標)について解説がありました。

 「東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標で、大山不動尊の下、正面に「大山道」、両側面に「これより大山みち」とあります。延宝四年(一六七六)に江戸横山町の講中が建てたものです。堂外の道標が初代のもので、万治四年(一六六一)に江戸浅草蔵前の講中によって建てられたものです。江戸時代を通じて、江戸町人の大山参詣が盛んでした。四谷辻には多くの茶屋が立ち並び参詣客を誘いました。今でも七月一日の大山開きには、四谷町内会の年中行事として、辻堂元町の宝珠寺の住職のもと護摩供養が行われています。

平成五年二月   藤沢市教育委員会」


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田村道49:一の鳥居

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 地図(41)の一の鳥居へ向かいます。

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 城南一丁目交差点を直進します。

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 この路地に入るのです。

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 一の鳥居の後ろ姿です。

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 敬意を表して正面写真も撮りました。


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田村道48:折戸地蔵


 地図(40)の折戸地蔵です。

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 この左手角にあります。

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 ここが折戸地蔵です。祠に「折戸」と書いてあります。

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 こちらから見ると、右へ行くのが大山道になります。写真のような句碑がありました。
 「右野道 地蔵も花も笑ひけり」 by 薫風


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田村道47:裏道

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 道の枝分かれが連続します。まずは地図の(36)と(37)の間の赤矢印の場所です。ここは直進します。

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 次に(37)の白丸の角、青矢印の場所です。ここは斜め左へ向かいます。

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 次は緑矢印の場所です。ここは右斜めへ進みます。

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 ここは(38)の変電所です。変電所が多いですね。
 
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 そしてなんとも言えない旧道カーブの道を進みます。


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田村道45:旧道歩き1

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 地図(34)の妙行寺です。

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 妙行寺の反対側に大きなお屋敷がありました。お大尽なのでしょう。

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 地図(35)の分岐です。ここを左の小道に入ります。

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 またまた分岐がありました。ここは右手に進みます。

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 地図の赤矢印の場所で、路地を直進します。

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 元の道に戻ってきました。


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田村道46:旧道歩き2

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 松林ケアセンター前バス停です。地図の赤矢印あたりです。

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 地図赤枠で囲ったコンビニです。右側の道を進みます。

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 ここは直進します。

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 幅の狭い道を進みます。このあたりはあまり目標物がありません。

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 旧道らしい微妙なカーブが続きます。

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 ここは地図(36)の辻堂変電所です。


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田村道44:松林村役場跡

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 地図(32)の赤羽根神明大神から(33)の松林村役場跡へ向かいます。

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 その途中に大きな瓢箪を発見しました。井上酒店です。

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 松林村役場跡がありました。

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 松林村の由来が書いてありました。

「この前を通る大山街道は、田村の渡し(寒川)で相模川を渡る大山参りの近道で、江戸の商人・職人をはじめ多くの文人・墨客が往来した。赤羽根・甘沼の丘陵の南面をほぼ平坦に並行する、のどかな街道であった。正面に日本一の富士を仰ぎながら夫々大山参りの楽しい旅をしたことでしょう。しかし静かな農村にも幾度か行政の改変があり、各村々が合併を重ねていった。明治二十二年(一八八九年)赤羽根村を始め、室田・菱沼・小和田・高田・甘沼・香川の七カ村が一つになって松林村となり、此の地に松林村役場が建設され、村長には水越良介氏(後に茅ヶ崎町町長・神奈川県議会議員を歴任)が就任した。明治四十一年、松林村、鶴嶺村、茅ヶ崎村が合併して茅ヶ崎町ができるまでの約二十年間、此処松林村役場は地方自治の重要な拠点であった。昭和二十二年市制が施行された当時の茅ヶ崎市の五万余の人口も、市制六十周年を迎えた今日は約二十三万と急激な増加を見るに至り湘南の中核的都市となりました。大山街道に添って湘南バイパスが建設されるなどに至り、かつてのふるさと的農村風景も次第に失われつつあります。」


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田村道43:赤羽根神明神社3

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 やっと本殿が見えました。相★ 赤羽根 鎮座 神明大神と書いてあります。

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 比較的新しい本殿ですね。

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 神明大神由緒が書かれていました。

 「祭神 大日★貴命
 合祀神 素戔嗚尊・菅原道真公・福都日神

 大日★貴命は天照大神の別称、大日★貴ともいい日神とある。合祀の三神は、八雲神社、天満宮、荒魂神社等の神であったが、明治四十三年十月の一村一社制度の施行に伴い、上赤(羽根)中赤(羽根)の二社は、下赤羽根の神明大神に合祀された。
(中略)

 昭和五十七年新湘南道路計画に当たり、新しく移築された敷内千三百余坪、総てが社領であり、平坦な境内には数百年の樹木が並び、供鐘燈籠が今も神社の荘重な姿を映す。七月には歴史ある浜降祭と九月の例大祭と御輿渡御で賑わい、日々常々は地区民が平穏を願う鎮守神である。

平成十九年七月吉日   赤羽根神明大神氏子総代」

 ここへ来るまでの参道の樹木は樹齢数百年もあったのですね。


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 記念碑がありました。

「湘南地域交通緩和に伴う新湘南国道の建設にあたり、神明大神境内地参道の一部が建設省の計画路線に掛かる。このため神社の財産たる境内地保全と神社の尊厳維持のため深く憂慮し、財産処分の決定については氏子を挙げその英知を結集する。昭和五十四年を起点として建設省との度重なる協議の末、買収価格に神木銀杏の保存を条件に加えて譲渡成立する。昭和五十五年神社本庁への財産処分申請を手始めとして、境内地の模様替え造成工事と神殿、神楽殿、社務所、手水舍等主要建築工事の設計契約を経て、諸工事は年度を追って着々と進み各々その竣工をみるに至る。思うに昭和五十八年、御遷宮までの5か年間建設委員をはじめ氏子は一致団結してその精魂を傾け数多の困難を克服して、ひたすら由緒ある神明大神の保全と御神徳の発揚を念じ、また関係建設業者の熱意ある貢献のもと慈に御遷宮の大業を成就するに至る。

昭和五十八年九月十七日 赤羽根 神明大神氏子中」

自画自賛の内容だなぁ(笑)


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田村道42:赤羽根神明神社2

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 新湘南バイパスの側道をオーバーパスし、新湘南バイパスはアンダーパスします。

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 反対側の側道の様子です。

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 この歩道橋は「神明歩道橋」と呼ぶようです。

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 昭和63年3月に完成しました。私の手が反射して写ってしまっています(笑)


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田村道41:赤羽根神明神社1

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 今度は地図(32)の赤羽根神明神社へ寄り道です。

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 こちらは地図(31)の大ケヤキです。

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 大ケヤキのすぐ脇に鳥居があります。「指定村社 神明大神」と書いた石碑があります。

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 鳥居をくぐってしばらく進むと、道路がありさらにその先に参道が続いています。

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 釣鐘もありました。

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 参道周囲の木々はご覧のように伐採されているものもありました。何か問題があったのでしょうか。もったいないです。


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田村道40:六地蔵

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 地図(30)の赤丸の六地蔵に寄ってみます。

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 高田緑地からさらに東へ向かいます。

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 「赤羽根六地蔵堂」と書いてあります。

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 六地蔵の奥に「大山街道句碑」がありました。

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 春風や いそがぬ人の そでを吹く 密人たちの かなしみを泣く


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田村道39:高田緑地

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 地図(29)の高田緑地へ寄り道します。ここらあたりは寄り道スポットが多いですね。

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 住宅地の中を東に歩いていきます。

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 途中右側に整地された土地が現れました。マンションでも建てるのでしょうか?

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 ここを右折すると、

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 高田緑地の入口です。

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 階段を上ると、右手にお墓がありました。どこかの一族のお墓でしょうか。

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 中央部には三角点がありました。

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 西側の眺望です。天気がよければ富士山や大山が見えるかもしれません。


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田村道38:本在寺


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地図の(28)の赤丸で示した日蓮宗本在寺です。

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 これが本殿です。

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 日蓮聖人像がありました。


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田村道37:熊野神社・日枝神社

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 地図(26)の道祖神がみつからず。

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 地図(27)の熊野神社です。

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 大きな七五三縄です。

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 こちらが日枝神社の社殿です。

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 日枝神社といえば山王社です。

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 説明書きがありました。

 「高田総鎮守 熊野神社

 高田の鎮守熊野神社は、万治元年(西暦一六五八年)に高田村の領主大岡氏が紀伊国熊野本宮より遷祀された神社で、熊野大神が奉祀されております。慶長八年(西暦一六〇三年)に大岡兵蔵(忠吉公)が、高田村のうちで百六十余石を徳川将軍より賜わり、爾後、明治維新に至るまでその子孫の采地であったのです。熊野神社を創建されたのは大岡隼人(忠高公)で、越前守忠相公の父君にあたる方です。現在の社殿は、勿論当時の建物ではなく、昭和二年に高田総氏子によって新築されたものです。

日枝神社(山王社)

 当社は、享保五年(西暦一七二〇年)に大岡氏が、近江国東坂本の山王大権現を分祀された神社で、祭神は大山昨命であります。昔の社殿は、山王山と稱する丘陵上に建てられていて、そこは青々と松が茂り、高田耕地を眼下に見下す景勝の地でありましたが、後に、熊野神社境内に移されたものです。現在の社殿は、昭和四十七年に新築された建物です。」

 日枝神社が熊野神社に移ってきて一緒になったようですね。

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 社殿の裏に石造物がありました。柵があって中に入れませんので、文字が読み取れません。

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 庚申塔と地神塔もありました。


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田村道36:山口家支店

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 マルエツを出て新湘南バイパスの下の交差点に来ました。地図の赤矢印の場所です。

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 幹線道路を渡り、今度は地図の青矢印の場所です。文教堂書店の前の細い道がおそらく旧道の名残と思われます。

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 ここを左折して東に向かいます。

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 駐車場の向こう側に赤い鳥居が見えます。

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 地図の赤丸の場所のお稲荷さんです。

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 地図(25)の高田交差点です。

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 その手前に地図の赤四角で囲った蕎麦屋がありました。山口家支店と書いてあります。こういう雰囲気の食堂が個人的に大好きです。まだ営業時間前で残念でした。


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田村道35:マルエツ

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 さらに進むと、道がこんなに狭くなります。

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 歴史を感じさせる門扉です。

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 さらに旧道カーブの道が続きます。

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 ライトタウン茅ヶ崎マンションの脇を通過します。正面には新湘南バイパスが見えます。

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 新湘南バイパスの下まで来ました。

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 左手にはライトタウン茅ヶ崎の入口がありました。

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 そしてその先の左側にはマルエツがありました。ここでちょっと小休止しました。


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田村道34:相模線踏切

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 茅ヶ崎中央交差点です。地図では(21)のやや左側で、この地図からははみ出してしまっています。右側に見える高架道路は新湘南バイパスです。

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 これは地図(22)の地蔵尊です。

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 地図の赤矢印の場所です。左側の建物はおそらく以前はコンビニだったのでしょう。ここから道は狭くなり、センターラインもなくなります。

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 ブラタモリでタモリさんが好きそうな段差です。昔の道は微高地に作られた証拠かもしれませんね。

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 地図(23)の相模線踏切です。香川駅方面から茅ヶ崎行き列車が通過しました。


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田村道33:大曲橋

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 香川駅入口バス停がありました。地図の赤矢印の場所です。東に約600mいくと相模線の香川駅があります。

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 道路の両側には食堂やカラオケボックスがあります。

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 大曲橋の200-300m手前に大曲橋バス停がありました。

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 大曲橋に着きました。新しく架け替えになりましたが、その前は写真の右手の奥にありました。昔は間門橋といったようですね。

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 橋の左手では埋蔵文化財の発掘調査が行われていました。工事の途中で貴重な品が見つかったのでしょうね。

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 大曲橋を渡ると茅ヶ崎市に入ります。道路の右側にあるのは地図(20)の茅ヶ崎変電所です。


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田村道32:大曲

3月18日から近江紀行で中断していた大山道田村道に戻ります。

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 二日目(2016年5月3日)は、小田急線と相模線で寒川駅まで行き、寒川駅南口から景観寺前まで移動してからスタートです。

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 寒川駅南口を降りたところです。新幹線新駅を誘致する看板がありました。日本全国のあちこちでこのような看板を目にします。

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 景観寺前交差点に着きました。ここから田村道歩きが始まります。

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 地図の(18)の筒井バス停の場所です。ここをいかにも旧道のような脇道に入ります。

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 かなり幅員が狭い道です。

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 地図の赤矢印の場所で、幹線道路に合流しました。

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 しばらく歩くと大曲バス停がありました。

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 旧道らしいカーブの道が続きます。


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田村道31:神明宮・景観寺

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 地図(17)の神明宮です。なんだかちょっとしょぼいです(笑)。

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 地図(15)の景観寺前交差点です。

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 その交差点のすぐ近くに窪田山景観寺があります。地図の(16)です。

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 本堂です。景観寺というくらいだからもっと景観がいいかと思いましたが、普通でした。

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 景観寺バス停です。今日の散策はここまでとします。これから寒川駅に向かい、相模線で厚木へ、そして小田急線に乗り換えて伊勢原へ戻ります。


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田村道30:一之宮八幡大神

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 「箙(えびら)の梅」の中で、説明文中にでてきた、一之宮八幡大神に寄り道します。

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 寒川十字路バス停です。

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 ここが一之宮八幡大神の鳥居です。

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 五月五日にはこいのぼり祭が行われるそうです。(ちなみに訪問した日は4月29日でした。)

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 参道にはところ狭しとこいのぼりが飾られていました。

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 本殿にも御覧のようにこいのぼりがありました。

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 本殿の裏にはお稲荷さんがありました。

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 その横には石造物群がありました。


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田村道29:松戸橋跡・金比羅宮

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 本の折り目で見えませんが、赤丸の松戸橋跡に行きましょう。

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 ここが松戸橋跡です。橋の面影がありません。

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 説明がありました。ちょっと読みづらいのですが、

 「寒川町南部教育発祥の地

 この地附近は江戸時代 大山街道の宿場として大いににぎわい明治六年(一八七三年)●●●この地に●●明治九年一之宮学校を●●され現在の一之宮小学校の前身であり、寒川町南部の教育発祥の地である。●●●●」

読める部分だけ読んでみました。●は読めない部分です。

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 こちらが進行方向左手にある日蓮宗妙光寺です。

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 そしてこちらが進行方向右手(地図の(13))の金比羅宮です。

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 小さめな本殿です。


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田村道28:薬師堂

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 薬師堂に向かいます。

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 これが薬師堂です。

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 西町集会所も兼ねているようです。

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 正面右にはお地蔵さんが鎮座していました。

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 これが梶原景時館(一宮館)の全貌です。確かにかなり広かったようですね。

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 薬師堂の裏にある地図(10)の「伝梶原氏一族郎党(七士)の墓」に行くのですが、東側から回り込む必要がありそうです。

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 ありました。ここが伝梶原氏一族郎党(七士)の墓です。

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 説明がありました。

 「この石造物群には次のような言い伝えがあります。正治二年(一二〇〇年)正月、梶原景時一族郎党が一宮館を出発、上洛の途中清見関(静岡市清水区)で討死してしまったので、一宮館の留守居役であった家族、家臣らが弔ったといいます。また、景時親子が討死してから、しばらく景時の奥方を守って信州に隠れていた家臣七人が、世情が変わったのをみて鎌倉に梶原氏の復権、所領安堵を願い出たが許されず、七士はその場で自害し、それを祀ったものという説もあります。なお、後ろの水路は当時の内堀の名残ともいわれています。
平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

悲しい過去があるわけですね。

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 こちらは「箙(えびら)の梅」です。

 説明がありました。
「梶原源太景季(かげすえ)は景時の長男で、勇猛果敢歌道にも秀でた弓取である。寿永三年(一一八四年)正月、宇治川の合戦で佐々木高綱との先陣争いで愛馬「麿墨」共に武名をあげる。同年二月、生田の森・一ノ谷の合戦では、折しも咲き誇る梅が枝を箙(えびら)に挿し、

かかれば花は散りけれど
匂いは袖にぞ残るらん

と戦陣を馳せる景季公の風雅を平家物語など諸本が伝え、今日でも能や歌舞伎で「箙(えびら)の梅」が演じられている。八月、一之宮八幡大神例祭の宵宮の屋台巡行に加わる「西町」の屋台は館址にふさわしく、梶原氏に因む彫刻で飾られ、碑の景季公は一部を模写したものである。

平成二十年五月     梶原公顕彰会二十周年記念事業」


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田村道27:梶原景時館址

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 地図(9)の梶原景時館址です。

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 説明がありました。

 「梶原景時は治承四年(一一八〇年)八月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救いました。翌年正月、頼朝の信任厚い家臣となり、鎌倉幕府の土台を築くのに貢献しました。一宮を所領としており、この地に館を構えたとされています。図に示すとおり館の規模は広大だったとの説もあり、現在も当時の堀のなごりを留めていると伝えられています。天満宮の位置はその一角で、当時は物見の場所として一段と高く構築したとも伝えられています。景時は和歌もたしなみ文武両道に秀でた武将でした。頼朝の死後、多くの家臣からそねまれ、ついに正治元年(一一九九年)十一月、鎌倉を追放され、一族郎党を率いて一宮館に引き揚げました。その後、景時は再起を期し、上洛するため、翌正治二年正月二十日午前二時頃ひそかに館を出発しました。一行は清見関(静岡市清水区)で北条方の軍の攻撃を受け、景時以下討死という悲劇的な最期を遂げました。館の留守居役の家臣も翌年尾張(愛知県)に移ったと伝えられ、また物見のあとの高地には里人が梶原氏の風雅をたたえ、天満宮を創設したともいわれています。
     平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

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 これは角落としです。

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 角落としの説明です。

 「両側の堰柱(せきばしら)の溝に、角材や板を落とし入れ、水流を調整したり、堰を止めなどする装置。西側の産業道路沿いにあった相模川防水堤に設けられ増水時には板を落とし、土嚢(どのう)などで補強して洪水から西町を守った。
     平成28年3月」

 できたてホヤホヤの説明板でした。


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田村道26:一之宮小入口交差点

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 八角広場を後にして、さらに東に進みます。

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 道の途中にもくせい号の笠谷入口バス停がありました。地域のコミュニティバスでしょうか。最近では、ローカル路線バス乗り継ぎの旅でもよく利用されるコミュニティバスですが、ここにもありました。ところで「笠谷」と聞いて札幌オリンピックを思い浮かべる私は、もう歳なのでしょう(泣)。

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 こちらには神奈中の同じ名前のバス停があります。

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 道路案内看板には「寒川北IC」というさがみ縦貫道路のIC名が誇らしげに書いてあります。

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 地図(8)の一之宮小入口交差点にやって来ました。

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 交差点を直進し、すぐの右側にお地蔵さんがありました。


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田村道25:八角広場

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 八角広場に到着しました。

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 中央の噴水の池が八角形だからでしょうか。

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 鎌倉・江ノ嶋・大山   新版往来双六からの絵も飾られていました。

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 公園の一角にレールが残っていました。

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 この公園は、旧国鉄西寒川駅の相模海軍工廠跡に作られたのです。国鉄西寒川駅は1984年に廃止されました。

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 1977年発行の1/25,000地形図藤沢です。寒川駅から支線が分岐して、相模川に近い西寒川駅まで延びています。

 1980年10月の時刻表によると、寒川ー西寒川の列車の本数は、朝1往復、夕3往復の1日4往復のみで、通勤に特化した利用だったのでしょうね。


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田村道24:八角広場へ

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 地図(6)の八角広場へ向かいます。

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 河原不動尊から東へ向かいます。旧道らしい微妙なカーブです。

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 赤線で示した馬頭観音です。

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 押しボタン式信号です。

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 この信号を右に行くと八角広場で、左に行くと丸太広場と書いてあります。
一之宮公園を通称丸太広場とも言うようです。

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 こちらが丸太広場方面ですが、ここで折り返します。ここは以前、国鉄相模線寒川支線の線路がありました。

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 八角広場へ向かうこちらを進みます。こちらも国鉄相模線寒川支線の線路でした。


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田村道23:河原不動尊

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 地図では河原橋のすぐそばにある河原不動尊です。(本当はここに河原橋はなく、(4)の上の赤二重線の場所です。)

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 河原不動尊の全景です。道路がカーブを描いているのがわかります。

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 こんな感じの建物です。

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 一之宮不動堂と記載してあります。昔の一之宮村にあるので、こう呼ばれていたのかもしれません。

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 河原不動尊の説明がありました。

 「本尊は、不動明王坐像と二体の眷属(けんぞく)(お供の仏像)からなる不動三尊像です。不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦三年(一七五三)に江戸芝口(東京港区)の初音屋平吉が修理した。との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦(せいたか)童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。お堂の前にある力石は道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したものです。このようにこの不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参詣が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。また同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」との記されていますが、詳細は定かではありません。
  平成十九年十二月
  (一之宮河原地区住民による)   不動尊維持管理会」

 自治体ではなく、地域住民による維持管理会が組織されているのはとても素晴らしいことです。

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 道標もありました。「右大山道」としっかりと読み取れます。

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 大山街道の説明もありました。

 「江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース〜東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み、大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる〜この道であった。」

 こちらは寒川町教育委員会でした。


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