田村道31:神明宮・景観寺

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 地図(17)の神明宮です。なんだかちょっとしょぼいです(笑)。

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 地図(15)の景観寺前交差点です。

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 その交差点のすぐ近くに窪田山景観寺があります。地図の(16)です。

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 本堂です。景観寺というくらいだからもっと景観がいいかと思いましたが、普通でした。

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 景観寺バス停です。今日の散策はここまでとします。これから寒川駅に向かい、相模線で厚木へ、そして小田急線に乗り換えて伊勢原へ戻ります。


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田村道30:一之宮八幡大神

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 「箙(えびら)の梅」の中で、説明文中にでてきた、一之宮八幡大神に寄り道します。

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 寒川十字路バス停です。

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 ここが一之宮八幡大神の鳥居です。

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 五月五日にはこいのぼり祭が行われるそうです。(ちなみに訪問した日は4月29日でした。)

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 参道にはところ狭しとこいのぼりが飾られていました。

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 本殿にも御覧のようにこいのぼりがありました。

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 本殿の裏にはお稲荷さんがありました。

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 その横には石造物群がありました。


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田村道29:松戸橋跡・金比羅宮

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 本の折り目で見えませんが、赤丸の松戸橋跡に行きましょう。

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 ここが松戸橋跡です。橋の面影がありません。

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 説明がありました。ちょっと読みづらいのですが、

 「寒川町南部教育発祥の地

 この地附近は江戸時代 大山街道の宿場として大いににぎわい明治六年(一八七三年)●●●この地に●●明治九年一之宮学校を●●され現在の一之宮小学校の前身であり、寒川町南部の教育発祥の地である。●●●●」

読める部分だけ読んでみました。●は読めない部分です。

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 こちらが進行方向左手にある日蓮宗妙光寺です。

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 そしてこちらが進行方向右手(地図の(13))の金比羅宮です。

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 小さめな本殿です。


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田村道28:薬師堂

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 薬師堂に向かいます。

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 これが薬師堂です。

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 西町集会所も兼ねているようです。

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 正面右にはお地蔵さんが鎮座していました。

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 これが梶原景時館(一宮館)の全貌です。確かにかなり広かったようですね。

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 薬師堂の裏にある地図(10)の「伝梶原氏一族郎党(七士)の墓」に行くのですが、東側から回り込む必要がありそうです。

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 ありました。ここが伝梶原氏一族郎党(七士)の墓です。

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 説明がありました。

 「この石造物群には次のような言い伝えがあります。正治二年(一二〇〇年)正月、梶原景時一族郎党が一宮館を出発、上洛の途中清見関(静岡市清水区)で討死してしまったので、一宮館の留守居役であった家族、家臣らが弔ったといいます。また、景時親子が討死してから、しばらく景時の奥方を守って信州に隠れていた家臣七人が、世情が変わったのをみて鎌倉に梶原氏の復権、所領安堵を願い出たが許されず、七士はその場で自害し、それを祀ったものという説もあります。なお、後ろの水路は当時の内堀の名残ともいわれています。
平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

悲しい過去があるわけですね。

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 こちらは「箙(えびら)の梅」です。

 説明がありました。
「梶原源太景季(かげすえ)は景時の長男で、勇猛果敢歌道にも秀でた弓取である。寿永三年(一一八四年)正月、宇治川の合戦で佐々木高綱との先陣争いで愛馬「麿墨」共に武名をあげる。同年二月、生田の森・一ノ谷の合戦では、折しも咲き誇る梅が枝を箙(えびら)に挿し、

かかれば花は散りけれど
匂いは袖にぞ残るらん

と戦陣を馳せる景季公の風雅を平家物語など諸本が伝え、今日でも能や歌舞伎で「箙(えびら)の梅」が演じられている。八月、一之宮八幡大神例祭の宵宮の屋台巡行に加わる「西町」の屋台は館址にふさわしく、梶原氏に因む彫刻で飾られ、碑の景季公は一部を模写したものである。

平成二十年五月     梶原公顕彰会二十周年記念事業」


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田村道27:梶原景時館址

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 地図(9)の梶原景時館址です。

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 説明がありました。

 「梶原景時は治承四年(一一八〇年)八月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救いました。翌年正月、頼朝の信任厚い家臣となり、鎌倉幕府の土台を築くのに貢献しました。一宮を所領としており、この地に館を構えたとされています。図に示すとおり館の規模は広大だったとの説もあり、現在も当時の堀のなごりを留めていると伝えられています。天満宮の位置はその一角で、当時は物見の場所として一段と高く構築したとも伝えられています。景時は和歌もたしなみ文武両道に秀でた武将でした。頼朝の死後、多くの家臣からそねまれ、ついに正治元年(一一九九年)十一月、鎌倉を追放され、一族郎党を率いて一宮館に引き揚げました。その後、景時は再起を期し、上洛するため、翌正治二年正月二十日午前二時頃ひそかに館を出発しました。一行は清見関(静岡市清水区)で北条方の軍の攻撃を受け、景時以下討死という悲劇的な最期を遂げました。館の留守居役の家臣も翌年尾張(愛知県)に移ったと伝えられ、また物見のあとの高地には里人が梶原氏の風雅をたたえ、天満宮を創設したともいわれています。
     平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

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 これは角落としです。

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 角落としの説明です。

 「両側の堰柱(せきばしら)の溝に、角材や板を落とし入れ、水流を調整したり、堰を止めなどする装置。西側の産業道路沿いにあった相模川防水堤に設けられ増水時には板を落とし、土嚢(どのう)などで補強して洪水から西町を守った。
     平成28年3月」

 できたてホヤホヤの説明板でした。


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田村道26:一之宮小入口交差点

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 八角広場を後にして、さらに東に進みます。

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 道の途中にもくせい号の笠谷入口バス停がありました。地域のコミュニティバスでしょうか。最近では、ローカル路線バス乗り継ぎの旅でもよく利用されるコミュニティバスですが、ここにもありました。ところで「笠谷」と聞いて札幌オリンピックを思い浮かべる私は、もう歳なのでしょう(泣)。

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 こちらには神奈中の同じ名前のバス停があります。

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 道路案内看板には「寒川北IC」というさがみ縦貫道路のIC名が誇らしげに書いてあります。

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 地図(8)の一之宮小入口交差点にやって来ました。

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 交差点を直進し、すぐの右側にお地蔵さんがありました。


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田村道25:八角広場

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 八角広場に到着しました。

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 中央の噴水の池が八角形だからでしょうか。

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 鎌倉・江ノ嶋・大山   新版往来双六からの絵も飾られていました。

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 公園の一角にレールが残っていました。

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 この公園は、旧国鉄西寒川駅の相模海軍工廠跡に作られたのです。国鉄西寒川駅は1984年に廃止されました。

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 1977年発行の1/25,000地形図藤沢です。寒川駅から支線が分岐して、相模川に近い西寒川駅まで延びています。

 1980年10月の時刻表によると、寒川ー西寒川の列車の本数は、朝1往復、夕3往復の1日4往復のみで、通勤に特化した利用だったのでしょうね。


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田村道24:八角広場へ

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 地図(6)の八角広場へ向かいます。

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 河原不動尊から東へ向かいます。旧道らしい微妙なカーブです。

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 赤線で示した馬頭観音です。

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 押しボタン式信号です。

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 この信号を右に行くと八角広場で、左に行くと丸太広場と書いてあります。
一之宮公園を通称丸太広場とも言うようです。

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 こちらが丸太広場方面ですが、ここで折り返します。ここは以前、国鉄相模線寒川支線の線路がありました。

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 八角広場へ向かうこちらを進みます。こちらも国鉄相模線寒川支線の線路でした。


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田村道23:河原不動尊

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 地図では河原橋のすぐそばにある河原不動尊です。(本当はここに河原橋はなく、(4)の上の赤二重線の場所です。)

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 河原不動尊の全景です。道路がカーブを描いているのがわかります。

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 こんな感じの建物です。

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 一之宮不動堂と記載してあります。昔の一之宮村にあるので、こう呼ばれていたのかもしれません。

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 河原不動尊の説明がありました。

 「本尊は、不動明王坐像と二体の眷属(けんぞく)(お供の仏像)からなる不動三尊像です。不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦三年(一七五三)に江戸芝口(東京港区)の初音屋平吉が修理した。との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦(せいたか)童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。お堂の前にある力石は道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したものです。このようにこの不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参詣が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。また同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」との記されていますが、詳細は定かではありません。
  平成十九年十二月
  (一之宮河原地区住民による)   不動尊維持管理会」

 自治体ではなく、地域住民による維持管理会が組織されているのはとても素晴らしいことです。

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 道標もありました。「右大山道」としっかりと読み取れます。

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 大山街道の説明もありました。

 「江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース〜東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み、大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる〜この道であった。」

 こちらは寒川町教育委員会でした。


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田村道22:河原橋の謎

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 さがみ縦貫道路を地図に緑色で示しました。そしてこの地図では鷹匠橋(赤丸)を通る迂回路を提示(黒線)していますが、神川橋東交差点を右折(赤矢印)しました。

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 さがみ縦貫道路に沿って進みます。歩道が狭く対抗自動車が来た時には注意が必要です。地図とは少し違っているようです。

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 さがみ縦貫道路をアンダークロスします。

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 河原橋に着きました。あれっ、ちょっと地図と違うようです。地図の(4)から(3)への道路が地図と異なるのです。ちょうど測量の仕事の方が前方から歩いてきたので、「お仕事中失礼しますが、この橋(河原橋)は以前からこの場所にありましたか?」と尋ねると「そうだと思いますよ。」という返事でした。「実は昔の大山道を歩いているのですが、地図と違うのですよ。」といっても「少なくとも私がこの仕事をしてからこの場所にありますよ。」ということでした。

 自宅に帰ってから改めて地図を見てみました。すると、不思議なことがわかりました。

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 これは2002年(平成14年)1月1日発行の1/10,000地形図寒川です。これによるとA→C→Bとなり、C→Bの間に橋があることになります。この欄の最初の地図もこれを利用しているので同じになっています。

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 こちらは2002年(平成14年)10月1日発行の1/25,000地形図藤沢です。測量はもう少し前だと思われます。これではA→Bで、Cは通っていません。

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これは最新のネット上での地理院地図です。こちらもA→Bで、Cは通っていません。過去の地形図を調べても同様です。つまり「2002年(平成14年)1月1日発行の1/10,000地形図寒川」だけが異なるのです。とても不思議です。

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 河原橋から北を見たところです。

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 河原橋を渡ったところからBの地点までの道路と歩道は新しいものになっています。なんだか不自然です。

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 そして地図Cの目久尻川側をみると、写真のように築堤のコンクリートの色が変わっています。これも不自然です。

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 改めて歩道をみると、ここだけかなり幅が広い歩道があるのです。ますます不自然です。

 寒川町役場に問い合わせてみようかとも思いましたが、まぁ不思議なままにしておきましょう。


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田村道21:神川橋

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 田村の渡しはないので、神川橋で相模川を渡ります。

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 片側1車線で両側に歩道が設置されています。

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 上流には寒川浄水場の取水堰が見えます。

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 進行方向にはさがみ縦貫道路の高架が見えてきました。茅ヶ崎と相模原市を南北に結ぶこの道路ができたおかげで、東名高速から中央高速、そして関越自動車道への乗り換えが便利になりました。

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 神川橋東交差点です。ここを右折します。


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田村道20:田村渡し場跡碑

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 地図の(49)の田村渡し場跡碑へも寄り道です。

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 住宅地の中をちょっと迷ってしまいましたが、無事に田村渡し場跡碑を発見しました。

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 説明が書いてありました。

 「田村の渡しは、中原街道と大山道の二つの往還の渡しでした。中原街道は中原村と江戸を結んだ脇往還で、大山道は藤沢・江ノ島からの大山参詣のために使われた道です。渡し場のある田村は、この両往還と平塚から厚木へ向かう八王子道が交差する所で、旅籠屋などもあり「田村の宿」とも呼ばれていました。渡船場の業務は、田村と対岸の一之宮村・田端村(寒川町)の三か村が勤めていました。また、田村の渡し場付近は、大山・箱根・富士山を眺望することができ、景勝地としても知られていました。
     平成十三年(2001)三月    平塚市」

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 短歌もありました。

 「阿夫利嶺を  まともに仰ぎ   旅人ら   声あげにけむ   ここの渡しに
     中村清四郎」

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 こちらにも昭和時代の説明がありました。

 「田村と田村の渡し場

 田村の地は、古くから、坂上田村麿に由緒の地と伝え、箱根路につづく、陸奥への海道に沿ったところに、相模川の渡し場があった。鎌倉時代には、三浦半島六義村の田村の館があり、鎌倉武士が、しばしば往来したことは、史書にあきらかである。また、江戸時代には関東の霊域大山万尊社への、参詣道として繁昌した。田村の渡し場は、大住郡田村、高座郡一之宮村、同田端村の三村が管理し、渡し船・馬舟など四艘を常置していた。明治初年の記録に「川幅五百二十二間(約九三九米)、水流六十間(約一〇八米)、深さ三尺(約〇・九米)より一丈(約三〇三米)」とみえている。渡し場から、西方諸山岳の眺望の絶佳は、最も芳名で、詩歌の作品が多くのこっている。
     昭和四十八年三月二十一日   平塚市観光協会」


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田村道19:八坂神社

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 地図(50)の八坂神社に寄り道します。

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 鳥居です。

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 神社の右手奥に石造物がありました。正面の大きな道標には、「左大山道」と読み取れます。

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 その横には、「渡し場道 いいやまみち」と書いてあります。

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 記念石と書かれたものがありました。

 「江戸中期に建立されたと言い伝えられる拝殿に使用されていた土台石。神川橋架替工事に伴う社殿移設の際、他の石を補填したのでこれを記念石として保存する。」

 土台石ということは、石造物ではなく、その下にある平べったい石のことでしょうか。

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 (49)の田村渡し場跡碑へ行く途中(地図の赤矢印)に、こんな看板がありました。先ほど前を通った井筒屋には神奈川指定銘菓の「たむら渡し最中」があるそうです。もう戻る元気もないので、購入しませんでした。


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田村道18:十王堂

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 旧田村十字路の北東に十王堂跡碑(47)がありました。

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 田村十王堂の解説がありました。

 「江戸時代にはかつてこの田村十字路に十王堂が建てられていた。伝承によると、天文六年小田原の北条氏が河越の上杉氏を攻撃する際、相模川で合戦があり、多くの戦死者を出した。この戦死者を妙楽寺の住職が集めて、篤く弔い後生のため十王堂一宇を建てたといわれる。」

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 道標もありました。「右大山みち」と読めそうです。

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 右側面の文字はちょっと読み取れません。


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田村道17:旧田村十字路

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 地図の赤矢印を南下(右折)します。ここは田村道と八王子(平塚)道が合流する場所です。

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 相模神田バス停です。旧国名を冠にするなんて、鉄道の駅のような名前ですね。

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 道路の右側には花水ラオシャンがありました。一度来たいのですが未訪です。

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 花水ラオシャンの隣には和菓子の井筒屋があります。

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 旧田村十字路交差点です。


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田村道16:神田小学校前

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田村十字路を直進し、(45)をさらに直進します。とうほ動物病院の左側の細い道です。

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 神田小学校前のバス停があります。

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 左に見えるのが神田小学校です。

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 地図(46)のところにお地蔵さんがありました。

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 さらに直進します。直進といっても旧道らしい緩やかなカーブです。

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 地図の赤矢印の突き当たりに着きました。


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田村道15:神奈中田村車庫

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 地図(43)の横内交差点です。

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 交差点のバス停は横内四ツ角です。ここは田村道と糟屋道との交差点でもあります。

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 しばらく行った左側には神奈中田村車庫(44)があります。

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 さらに進むと田村十字路交差点です。


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田村道14:御霊神社

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 地図の(39)からさらに東へ進みます。

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 正面に東海道新幹線が見えてきました。地図の(40)です。

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 新幹線の高架をくぐると、左側に御霊神社(41)があります。

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 本堂と鐘撞堂です。幼少期にここのお祭りに何度か来ています。昔の面影は残っています。

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 御霊神社の道路向こうには道標(42)がありました。「是大山道」と書かれています。

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 地図では春月堂という和菓子屋が書いてありますが、すでに「DAYTONA STYLE」というホイール屋に変わっていました。


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田村道13:土安橋

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 渋田川堤防上の道をさらに進みます。

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 地図(38)の昭和橋付近に白い紫陽花がきれいに咲いていました。

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 野原橋の近くに「世界一タイヤマーケット」の看板がありました。ここが世界一なのでしょうか?

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 地図(39)の土安橋です。

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 土安橋から北(地図の赤丸)を見ると、渋田川、歌川、笠張川が合流しているのがわかります。


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田村道12:下谷(しもや)

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 地図(32)から田んぼの中をまっすぐ歩いてきました。

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 地図(36)の下谷交差点です。

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 交差点の北東角にはこんなお地蔵さんが。

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 建立志趣がありました。

「昭和四十三年五月十八日 この地において伊勢原警察署勤務神奈川県警部補 佐藤昌司殉職す。幸い当地所有者亀井雅夫氏の善意に依り故人の菩提を薦めかつ交通安全と事故防止を祈願する志趣を以て此の処に地蔵尊を建立して祀るものである。」

 悲しい過去があったようですね。

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 地図(37)の平間入口バス停の分かれ道を左に曲がります。ここから平塚市に入ります。母の実家がこのあたりなので、幼少期に父の運転でこの左に曲がった道はよく通りました。直進する新道はまだなかったのです。時代は大きく変わりました。

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 のどかな道を進みます。渋田川堤防上の道はとても細く感じます。ここを車が行き交っていたとは信じられません。


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田村道11:小田原厚木道路

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 小田原厚木道路を跨線橋で渡ります。地図の(32)の場所です。

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 上り坂が見えてきました。

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 信号を渡り、細い道を進みます。

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 さらに細い道を進み、スロープを登ります。

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 跨線橋から見た小田原厚木道路です。

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 振り返ってみましたが、大山は雲の中でした。


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田村道10:東円寺

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 しばらく行った右側にかわいい石造物がありました。

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 左側には写真のような石造物群がありました。地図の(31)です。

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 地図(33)は東円寺です。

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 こがの渡しがあった場所で、舟つなぎ松跡の石碑がありました。

「東円寺の舟繋ぎ松
     舟つなぐ 松がゆかりの 東円寺
 
 昔、東円寺前から城島(きじま)の浮島までの間は沼地で舟によって往来した。渡しに使った舟を東円寺の松につないだことから「舟繋ぎ松」と呼ばれ、ここの渡しを「こがの渡し」と言い次のような伝説がある。

 永正の頃、平間に子供のない夫婦が住んでいた。夫婦は大山不動尊に「こがの渡し」に道を造り、大山参りの人達を助けますので、子供を授けてくださいと願いをかけ、道造りを始めた。しかし、夜になると道が壊されているので不思議に思い、この悪さをする者を捕まえようと夜見回ったところ、道を壊していたのは白い蛇だった。夫婦は怒ってこの蛇を殺し「舟繋ぎの松」の根元に埋めた。その後、道は順調に進み立派に出来上がった。そして、夫婦にも男の子が授かった。ところが、男の子は十二歳のとき、ふとした病気がもとで亡くなってしまった。夫婦は大変悲しみ仕事も手につかなかったが、ある日、「舟繋ぎの松」の下の茶店に立ち寄り息子のことを話すと茶店の主人は、その子なら毎日笛を吹いてこの店へ菓子を求めにやって来るという。驚いた夫婦が店内に潜んでいると少年が現れたが、その日に限って笛を吹かなかった。店の主人が「今日はなぜ笛を吹かねえのか」と聞くと、少年は哀しい声で「今日は因縁があって笛は吹けませぬ。私の正体をご覧ください」と言うや殺された蛇の姿になって消え去った。夫婦はびっくりして、蛇を埋めた「舟繋ぎの松」の根元に祠をつくり、弁財天をまつり供養した。」


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田村道9:上平間バス停

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 地図の赤矢印のカーブです。下り坂ですが、すぐに上り坂になります。坂をあらわすマークの位置が違っています。青字で直しておきました。

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 下り坂の途中の右側に三観寺がありました。しかし寺らしい建物はありません。

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 そのかわりに上平間自治会館がありました。

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 地図(30)の道祖神は見つからず。またバス停が「上平松」となっていますが、「上平間」の間違いです。なんだか間違いが多いなぁ。


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田村道8:八坂神社2

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 境内の中の一般道を横切ると、その奥にさらに鳥居がありました。

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 そしてその奥には石造物がたくさん並んでいました。「奉納 玉垣」「金壱千園也」などが記されています。

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 さらに神奈川県指定重要文化財の八坂神社銅鐘もありました。


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田村道7:八坂神社1

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 八坂神社に寄ってみましょう。

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 鳥居です。鳥居の先も宅地になっているようです。

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 鳥居の足元には歴史を感じる階段がありました。

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 しばらく進むと左側に道標(庚申供養塔)がありました。「左たむら道」と読めます。

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 別角度には「右大いそ道 宝暦十一年巳 九月吉日再建立」と彫ってあります。再建立したようですね。


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田村道6:原之宿〜天王原

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 三福寺前交差点を直進します。

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 地図(24)の講和記念石碑は見つからず。写真は地図(25)の原之宿道祖神です。かなり新しい道祖神ですね。

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 地図(26)の急坂を下ります。旧道らしい自然なカーブをしています。

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 地図の赤矢印の矢羽根排水路です。このあたりで最も低い土地です。ここから上り坂です。

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 地図の赤丸の道祖神です。

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 坂を登りきると沼目団地入口交差点です。ここを右折します。

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 しばらく歩くと天王原バス停がありました。


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田村道5:三福寺

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 地図(23)の三福寺に寄ってみましょう。

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 浄土宗九品山善光院三福寺です。

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 子の権現の前には、多くのわらじがぶら下げられています。

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 「子の権現」の薀蓄が書いてありました。

 市内の各所に子の権現が祀ってある。子の権現は天長九年紀伊国天野郷の阿字の長者の一子に生まれた。幼くして仏門に入り諸人呼んで天野の聖と言い、又生誕が子の年、子の月、子の日、子の刻に当たっていたので子の聖ともよんだ。広く諸国をめぐり天平年中栗原の山中に庵を結んで広く諸人の心の糧となったのである。のち秩父の山中に大鱗山天龍寺を開き百八十歳で没したと伝えられる。世人その徳を慕うのあまり子の権現として祀った。栗原の庵室の跡には万松寺が建っており、近くの坐祥石、笈平、聖峰、仏坂などの名が残されている。非常に長寿健脚であったので心願のかなったときにはわらじを作ってお礼まいりをする。今でもこの子の権現堂には心願成就のお礼のわらじが奉納してあるのを見かけることが出来る。

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 六地蔵もありました。


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田村道4:伊勢原駅南口

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 旧東急裏を右折します。地図の赤矢印の場所です。

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 イトーヨーカドーが右斜め前方に見えてきました。地図の緑矢印の場所です。イトーヨーカドーを右手に見ながらさらに進みます。

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 さらに進むと右側に大きなマンションが建設中でした。サンクレイドル伊勢原レジデンスです。駅から近くて便利そうです。写真には写っていませんが、左側には下原公園があります。

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 正面の信号は三福寺前交差点です。


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田村道3:さようなら伊勢原東急ストア

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 伊勢原駅南口に降りてきました。赤丸で記した東急ストア(1976年11月開店)は今年の1月で営業を終え、新しくいせはらcomaとして6月29日にグランドオープンしました。屋上には満天ビアガーデンもあるようです。

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 まだこの時は改装中。東急ストアはフェンスに囲まれています。

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 看板もはずされたまま。ちょっと寂しいですね。

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 正面には「いせはらcoma」の案内がありました。

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 南口から旧東急手前を赤矢印の方へ左折します。


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田村道2:伊勢原駅改札口

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 伊勢原駅で旧田村道が分断されているので駅の高架部分を通ります。北口の階段横には伊勢原駅観光案内所が併設されています。別名クルリンハウスです。クルリンとは伊勢原のゆるキャラです。

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 改札口前には「祝『大山詣り』が日本遺産に認定!」との横断幕がありました。

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 そして今年(2016年)の3月から特急ロマンスカーが伊勢原駅に停車したことの横断幕がありました。なんだか盛り上がっている地元です。


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