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51大山街道ふるさと館:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (13)田中屋呉服店
 (14)はかり田中屋
 (15)灰吹屋
 (16)大山街道ふるさと館

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 (14)は、はかり田中屋の前の高津交差点である。

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 (13)の田中屋呉服店である。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
蔵造りの店
 重い瓦屋根と土の壁、母屋との境は厚い土戸。二階には頑丈な格子窓。防火、防犯など蔵の特長を生かした重厚な店構え。田中呉服店は、明治に建築された代表的な蔵造りの店である。
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 ここが(14)のはかり田中屋で高津交差点。交差する道路は府中街道である。

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 はかり田中屋にはこんな案内板があった。

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大山街道とは
 江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれ、寛文9年(1669)溝口村・二子村が宿として定められた。
 江戸時代中期には、庶民のブームとなった「大山詣」の道として盛んに利用されるようになり、この頃から「大山道」「大山街道」として有名になった。
 江戸後期には、駿河の茶、真綿、伊豆の椎茸、乾魚、秦野地方のたばこ等の物資を江戸に運ぶ輸送路として利用され、これらを商う商人たちで大変栄えた。

納太刀の習慣
 大山詣は、江戸を中心とした関東一円の他、遠江、駿河、伊豆、甲斐、信濃、越後、岩代、磐城などにも及んでいたと推測されている。参詣の際には納太刀(おさめだち)をする習慣があり、自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる参詣者の姿が多くの浮世絵などに描かれている。
    大山街道活性化推進協議会、高津区役所地域振興課
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 これはひょっとして(15)灰吹屋かも知れない。

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 そして道の左手には大山小径を書かれたスペースが。ただしどういうわけか、人がいっぱいいた。みんなスマホ画面を見ていたので、ポケモンGOのようなゲームをしていたのかも知れない。

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 そしてここが(16)大山街道ふるさと館だ。旧高津町役場が置かれていた建物である。

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 その一角に道標がある。

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是より北
高幡不動尊道
南川崎
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 こちらにも文字が書かれている。

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西 大山 みち
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50大山街道:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (11)高津図書館
 (12)六軒町参番館
 (13)田中屋呉服店

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 (10)の光明寺から溝口村へまっすぐに大山街道は続いている。

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 ゆるやかな旧道カーブとなっている。

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 進行方向右手に大きな釜があった。近づくと説明が書いてあった。

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口上
 この釜こそは、あのNHKテレビ大河ドラマ「黄金の日々」(注:1978年)に出演し、根津甚八ふんする石川五右衛門を釜ゆでにした代物である。
     提供 (株)飯島商店
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 1978年って40年前だ。

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 こちらにもステッカーがあった。

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 (12)の六軒町参番館があった。昔はこのあたりに家が六軒あったことから六軒町と呼ばれていた。マンション名にその名が残っている。

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 遠景はこんな立派なマンションである。

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 (11)の高津図書館の敷地には国木田独歩碑がある。

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国木田独歩碑
 明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れたとき、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。
 独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたら、志なかばで世を去りました。彼の俳友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念し昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
 題字は島崎藤村が書いたものです。
     高津観光協会・高津区役所
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 なるほど。そういうことなのか。

49光明寺:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (9)大貫病院跡
 (10)光明寺

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 明治地図にも(10)光明寺とはっきりと読み取れる。

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 さらに西へ向かう。

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 ここは(9)の大貫病院跡で現在は二子二丁目公園になっている。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
大貫家の人々
 大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎は、その長男である。
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 ジャングルジムがある小さな公園である。

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 ここが(10)の光明寺。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
光明寺と二子学舎
 浄土真宗光明寺。江戸初期に二子塚から移された。農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。明治7~9年、本堂には「二子学舎」が置かれ、近代小学教育の場となった。
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 やはり昔は寺で教育が行われていた。

48大山街道フェスタ:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(6)二子神社参道

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(6)二子神社参道
 明治地図では、大山街道沿いには建物が密集していたことがよくわかる。

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 (6)の場所は二子神社の参道の入口で鳥居があった。

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 二子神社と岡本かの子碑の説明があった。

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川崎歴史ガイド  大山街道ルート
二子神社とかの子碑
 境内わきにある「かの子碑」は、岡本太郎の作。母を想い「誇り」と題している。昭和37年秋完成。現実的なこの抽象彫刻と隣り合う二子神社の創建は古く、優に300年をこえる。
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 その横には大山燈籠の説明があった。

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大山燈籠
 大山は神奈川県中央部にある山岳で標高1,234メートル、年間降雨量が多く雨降山の別名がある。
 山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある。両者を総称して一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として農工商の庶民に熱く信仰された。
 阿夫利神社の神官や大山寺の社僧を「御師(おし)」といった。御師は関東一円に特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。
 大山信仰が盛んになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。
 落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り大山登山参拝後は一路平塚へ出て、江ノ島、鎌倉、藤沢等の名所旧跡を見物し神奈川より舟で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山詣を兼ねた、三、四泊の観光慰安旅行であった。
 往来する大山詣での鈴の音は大山街道に遠くから響き、二子宿や溝口宿は大山詣の御客で賑わった。
 古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に雨乞いすれば必ず雨が降ると信じられた。事実雨乞いすれば不思議と雨が降った。このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年7月26日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て8月27日まで、連夜欠かさず灯明をつけた。大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。
 この燈籠は当時の夏の風物詩であった、旧高津村が二子神社前に建てた実物です。総桧造りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した。その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。
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 燈籠自体はすでになかった。駐車場になった時になくなったものと思われる。

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 今日は2月3日だが三週間後の2月24日に第16回大山街道フェスタが開催されるというポスターがあった。伊勢原よりも川崎市高津区の方が大山街道に親しみがあるのかなぁ。しかし「ファイナル」とあるように今年でこのフェスタは終了するということだ。ちょっと寂しいなぁ。

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 湯どうふや麦茶は無料配布で、山菜おこわ・甘酒・あゆの塩焼き・カレーライスは販売する。

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 街灯にも「高津の隣人まつり 大山街道フェスタ」の幟が数多く掲揚されていた。

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 もちろん大山街道とはっきりと書いてある。

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 大山街道ステッカーも見受けられる。

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 こんな感じの大山街道。道が狭い割に交通量は多い。

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 こんなポスターもあった。

第16回大山街道フェスタ ファイナル
高津の隣人まつり
平成31年2月24日(日)10:30~14:30

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大山街道フェスタ会場案内図も貼ってあった。

47二子神社:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (4)岡本かの子文学碑
 (5)二子神社

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 明治地図にも(5)に神社の記号がある。その横の文字は読みにくいが天照大神宮と書いてあるのかな? いずれにしてもここが二子神社のようだ。

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 この道は、向こう側からこちら側の左手にカーブして続いているが、本来は真ん前の電信柱の方にまっすぐに来ていたに違いない。手前にまっすぐ来ると二子の渡し場入口につながるのだ。

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 道路沿いには大山街道と書かれたステッカーが貼ってある。大山街道活性化推進協議会という会があるようだ。

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 おもしろい名前の飲食店があった。「豚子新地(ぶたこふれんち)」。二子新地をもじったのだろう。

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 これが岡本かの子文学碑の「誇り」。息子の岡本太郎氏の作だ。

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岡本かの子文学碑
 この碑は地元有志の発意により前衛的な_画家・彫刻家の岡本太郎、建築家の丹下健三等の協力を得て昭和37年(1962)11月に建てられたもので、岡本太郎がモニュメントを製作し、丹下健三が台座と築山を設計しました。この碑は岡本太郎が、父、岡本一平と母、かの子がこよなく愛したこの地、二子の多摩川のほとりを懐かしみ、本人が「誇り」と命名しました。
 また、岡本かの子の業績を讃える文芸評論家・思想家の亀井勝一郎の文を、小説家、川端康成の直筆によって刻んだ碑が「誇り」の横にあります。
     高津観光協会・高津区役所
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 文学碑のすぐ横にあるのが二子神社。

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二子村の村社であった。

46二子の渡し場入口:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(1) 二子橋交差点
(3)二子の渡し場入口

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(1) 二子橋交差点

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 二子新地駅から少し北へ向かい、交差点を右折する。

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 すると(1)の二子橋交差点に出る。

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 ここからは元来た道へと折り返す。

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 道路脇の街灯には「大山街道」と書かれている。

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 そして(3)の場所には旧大山街道二子の渡し場入口があった。

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 その先はこのようになっており残念ながら渡し場の面影はない。

45二子玉川~二子新地:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 二子玉川駅から二子新地駅までは電車で移動しよう。

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 多摩川を挟んで隣の駅なのでわずか2分で二子新地駅へ到着する。「ふたこしんち」と読む。

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 構内の柱には溝の口犬猫病院の広告があった。その地図を注目すると、、、

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 はっきりと大山街道と書いてある。このあたりでは知名度が高いのだろう。

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 駅名は「ふたこ」と濁らないが、住所の二子と二子神社は「ふたご」と濁る。なんだかややこしい。

二子玉川1441→1443二子新地 各停中央林間行き

44二子の渡し碑:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (30)二子の渡し碑

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 手ぬぐいにも「大山街道 二子の渡し」と書いてある。

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 切り通しからさらに多摩川に向かって歩く。

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 現在の堤防には階段があった。二子の渡しの碑がどこにあるかわからないので探してみる。

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 階段を登って河原にでてみよう。

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 右手をみると東急田園都市線の列車が多摩川を渡っている。

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 二子玉川駅のホームはかなり多摩川の上に出っ張っているのがわかる。

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 反対側をみると、二子玉川駅周辺のタワーマンションと、遠くの方には武蔵小杉のタワーマンション群が見える。

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 周辺をうろちょろしていると、それらしきものが目に入った。

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 ここは世田谷区玉川福祉作業所である。

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 その入口の横にひっそりと二子の渡し跡の碑があった。なかなかわかりにくい場所だった。

43切り通し:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (29)切り通し

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 この地図の(29)が切り通しの場所である。赤い点線を通る。
 
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 右手には二子玉川駅がある。

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 こちらが駅まで続くショッピング街が見える。

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 赤い壁の部分が切り通しである。

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 ここが切り通し。おそらく多摩川の自然堤防を切り開いたものなのだろう。

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 角度を変えるとこんな風に見える。

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 自然堤防だったと思われる場所はこんな感じだ。

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 切り通しを反対側から見る。

42南大山道道標:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (28)から★3へ向かう。

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 丸子川沿いを南東へ進む。

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 ここが地図の★3の場所だ。

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 南大山道道標と書いてある。北側を通る上町・慈眼寺線に対して、新町・行善寺線は南側を通るので南大山道となっているのだろう。

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 道標には何か文字が彫ってあるが、、、、読めない。

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 南大山道道標から進路を南西に変える。

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 東急の二子玉川駅が目の前だ。

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 右をみると東急大井町線の線路が高架になっている。

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 現在地から地図の上方向に進み、二子の渡し場跡を目指す。

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 前の地図の赤い点線が大山道(慈眼寺ルート)である。

41法徳寺と調布橋:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (26)法徳寺
 (28)調布橋

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 (26)法徳寺
 (28)調布橋

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 行善寺から★2の場所に向かっては下り坂となる。

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 徐々に急な下り坂になってきた。ここが行善寺坂である。

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 ★2の場所には行火坂(あんかさか)の石碑がある。これは行善寺坂から左へ曲がる登り坂のことである。

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 行火坂を登っていくと法徳寺があった。

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福来山 法徳寺
本尊、阿弥陀如来
 浄土宗に属し、永禄元年(1558)法阿因公和尚によって開山した。開基は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳(重安)、父は、基経といった、基経は足利義明の家来であったが、父子で瀬田の地に農民となり、子重安が開いたものである。
 境内にある筆塚の碑は明治初期、寺子屋の師、大塚貞三郎のために近在の瀬田、用賀、岡本などの門弟一同がたてた記念碑である。
昭和53年3月   世田谷区教育委員会
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 行火坂を今度は下り、行善寺坂へ戻って、後ろを振返るとこんな感じでかなりの高低差がある。おそらくここも多摩川の河岸段丘なのだろう。

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 この橋は(28)の調布橋。

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 調布橋の下には丸子川が流れる。

40行善寺:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (25)行善寺

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 (25)行善寺という文字が見える。

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 ここが行善寺の入口。

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 浄土宗のお寺だ。

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獅子山西光院 行善寺(浄土宗)
 本寺の開基は長崎伊予守重光(法名・行善)、開山は法蓮社印誉上人伝光和尚であり、永禄年間(1558~1569)に建立された。
 本尊は阿弥陀如来で、寺宝には玉川出現楠薬師があった。この地は展望にめぐまれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。

   二子渡舟   太田子徳

玉くしけ 二子のわたり 明ぬやと
   見しや鵜舟の 篝也けり

昭和50年2月   世田谷区教育委員会

せたがや百景(81)瀬田の行善寺と行善寺坂
     昭和59年10月選定   世田谷区
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 瀬田の行善寺と行善寺坂が「せたがや百景」に選定されている。

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 本堂はこちら。

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 行善寺八景の石碑もある。景色のよかった場所だったのだろう。

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 行善寺は多摩川の河岸段丘上にあるため、西側は急な崖になっている。本堂の奥から見下ろすと、こんな風に見える。ビルなどがなかった時代は大山・丹沢の雄姿だけでなく、富士山・奥多摩・秩父連山などが眺望できたようだ。

39旧道:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 ★6へ向かう。


(24)から南へ向かう。

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 この交番の左側の道が★6の道になる。

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 歩道も広く緑も多く歩きやすい道である。

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 ★7の分岐点にやってきた。左側の細い道を進む。

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 しばらく進むと右側に路地があった。

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 「瀬田夕日坂」と命名されていた。明治時代の地図をみるとこのあたりの大山街道は北から南へ向かっており、進行方向右手は西になる。おそらく昔は夕日がきれいに見えた場所だったのだろう。

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 大山街道をさらに南下すると右側にお寺が見えてきた。

38瀬田交差点:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 今回歩いている新町・行善寺線は延命地蔵のある道を直進する。斜め右に行くと上町・慈眼寺線(白地に黒文字番号)になる。
 ★5から(24)の瀬田交差点に進み、★6の道を進む。

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 明治地図でも(24)の瀬田交差点は判別できる。赤の点線は上町・慈眼寺線のコースである。

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 手ぬぐいにも瀬田が描かれている。

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 ここが瀬田交差点である。左側の歩道を渡り歩道橋に登る。

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 正面が★1の国道246号線の厚木方面。

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 振り返ると★2の国道246号線の渋谷・赤坂方面。

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 こちらは★3の環状八号線の玉川IC・第三京浜方面。

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 そしてこちらは★4の環状八号線の東名高速東京IC・
高井戸方面。

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 今歩いてきた道は★5でこんな位置関係になる。

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 これから大山街道は★6の方に進む。

37田中橋と延命地蔵:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(18)田中橋
(23)延命地蔵

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(18)田中橋
(23)延命地蔵

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 地図(18)の田中橋交差点に来た。高架部分は首都高速3号線だが、地上にも交差点がある。

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 現在でも川が流れている。

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 さらに先に進む。

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 地図(23)の延命地蔵があった。

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 しっかりと延命地蔵と書かれている。

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「奉修地蔵大菩薩法交通安全祈●」と書かれた立派な石碑もあった。

36用賀駅:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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(19)用賀追分
(20)交差点
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
なお(18)だけ白地に黒文字になっているのは、新町・行善寺線ではなく上町・慈眼寺線用の表示だから。両者は三軒茶屋から二子玉川まで分かれるが、用賀追分から延命地蔵までは共通である。

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(19)用賀追分
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
明治地図にも真福寺としっかりと書かれている。

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 用賀追分からゆるやかな旧道カーブを進む。

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 交差点を過ぎて用賀駅方面へ向かう。

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 右側には真福寺の参道がある。

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 ここが山門であり、今回は時間がないのでここまでで先を急ぐ。

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 用賀駅前についた。

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右側には交番がある。交番の横の階段を下ると用賀駅。

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 道路を渡ったところにあるのが東口。

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 しばらく進むと左側にセントラルフィットネスクラブがあった。地元のセントラルに通っているだけに目についてしまう。ここは24時間営業している。

35用賀追分:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 (18)から★1を通り(19)へ向かう。

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 ★1を通り(19)へ向かう。

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 単調な道を進む。平成地図の(18)より手前あたりだろう。

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 ここが★1の場所。右側のやや細い道を進む。

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 ゆっくりと右にカーブしながら少し下っていく。

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 (19)の場所についた。

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 大山道追分と書いた石碑があった。ここが用賀追分だ。

34桜新町:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

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 大山街道歩きの2回目は2019年2月3日の午後。午前中の横浜での仕事を終えてから、桜新町に移動する。
 今日は桜新町からどこまで歩けるだろうか。

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 (17)桜新町駅南側のサザエさん通り
 このあたりは割と単調な道が続く。

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 明治地図では桜新町駅の場所がわかりにくい。

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 桜新町駅南口近くの麺やさとうで昼食を食べようと向かうが店外に行列がありあきらめる。

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 こちらにもサザエさん像があった。

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 道路をわたり向う側へ。

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 昼食はカレーハウスCoCo壱番屋でポークカレー484。レジを担当していたのは外国人だった。日本人スタッフも店内にはいたが、よほど信頼されている外国人スタッフなのだろう。

伊勢原0801→0811海老名 小田急小田原線 快速急行新宿行き
海老名0813→0846横浜 相模鉄道本線 急行横浜行き
横浜0856→0903伊勢佐木長者町 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通湘南台行き
伊勢佐木長者町1149→1225あざみ野 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通あざみ野行き
あざみ野1229→1253桜新町 東急田園都市線 各停渋谷行き

33桜新町:大山街道1

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 平成地図の左上に桜新町駅が見える。「東急新玉川線」となっているが、渋谷~二子玉川園(現二子玉川)は2000年(平成12年)8月に新玉川線から田園都市線となり、渋谷~中央林間までがすべて東急田園都市線となった。それ以前の編集の地図であろう。

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(17)このあたりが桜新町駅であろう。

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 桜神宮から西へ向かい桜新町駅を目指す。

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 この地図の左側から歩いてきて、桜新町駅の南口へ着いた。(この写真は後ほど撮影したもの)
 
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 そして三井住友銀行の手前を左折するとそこはサザエさん通りである。作者の長谷川町子が居住していたためのネーミングである。この先には長谷川町子美術館もある。

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 西口近くにはご覧のような登場人物像があり、花でできたサザエさんの顔型もあった。

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 今日は桜新町駅で終了としよう。この西口の階段を下りて駅に向かう。

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 13時32分の準急でも中央林間到着は同じだが、少しでもいろいろな列車に乗るために13時26分発の各停中央林間行きに乗った。

桜新町1326ー1343鷺沼 中央林間行き
鷺沼1345ー1405中央林間 準急中央林間行き
中央林間1409ー1414相模大野 相模大野行き
相模大野1417ー1437伊勢原 快速急行小田原行き
伊勢原駅北口1445 バス大山ケーブル行き


32桜神宮:大山街道1

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 ★5「神習教本祠」というのが桜神宮のようだ。

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 明治地図では神社記号も見当たらない。

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 ゆるやかな旧道カーブに沿って歩いていく。

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 右側に桜神宮という大きな神社があった。

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古式神道本宮  桜神宮
創建
 勤皇の志士として梁川星厳、西郷隆盛、伊藤博文らと深く親交のあった大中臣65代の後裔で伊勢皇大神宮筆頭禰宜・神宮支庁東京出張所(現在の東京大神宮)所長であった芳村_正もちが神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるため明治15年5月15日、明治天皇の勅許により教派神道13派の1派特立を果たす。名称も神宮奉職中の荒祭宮で神託によって授かった「神習いの教」とした。以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれる。(後略)
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 拝殿も立派だ。

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 数多くの絵馬も納められている。

31善養院:大山街道1

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(14)新町一丁目交差点
(16)善養院
★4:久富稲荷神社

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(14)新町一丁目交差点
★4:久富稲荷神社
 明治地図では善養院の場所はわかならかった。そのかわり★4には久富稲荷神社が描かれている。

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ここが新町一丁目交差点だ。ここを右斜めへ進む。

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 そして城南信金の前を左折すると善養院がある。

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 山門と本堂があった。逆光だったので写真が暗い。

30庚申堂:大山街道1

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(12)駒沢大学駅前交差点
(13)庚申堂
(14)新町一丁目交差点

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(13)庚申堂
(14)新町一丁目交差点
 明治地図でははっきりしないが新町一丁目はこのあたりだろうか。

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 上馬バス停を過ぎる。

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真中(駒沢大学駅前)交差点を直進する。

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駒沢交差点もそのまま進む。

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 (13)のところに庚申堂があった。

29宗円寺:大山街道1

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(10)上馬交差点
(11)宗円寺

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 ここらあたりも明治地図でははっきりしない。

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 上馬交差点に近づいてきた。

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 ここが上馬交差点だ。

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 環状七号線がアンダーパスしている。

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 こちらが宗円寺。

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八幡山 宗円寺(曹洞宗)
 開基は心覚宗円大庵主北条左近太郎入道成願で、文保元年(1317)10月23日寂した。
 当時は若宮八幡宮の別当寺であった。本尊は釈迦如来坐像、創立当時は小さな草庵であったが、寛永10年(1633)喜山正存和尚が中興した。
 境内に木像の「しょうづかの婆様」の小堂がある。江戸時代初期の頃からまつられたもので、疫病よけに霊験あらたかであるといわれている。
     昭和54年3月 世田谷区教育委員会
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 「しょうづかの婆様」の小堂はおそらくこれであろう。

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 旭小学校発祥の地の石碑もあった。昔はお寺で寺子屋があり、それが発展して小学校になったのだろうかと推測する。

28中里通り:大山街道1

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(8)中里通り
(9)地蔵尊

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 明治地図ではこのあたりがわかりにくい。あまり特徴のない道だからだろうか。周囲には楢の文字が多い。楢の林に囲まれていたのだろう。

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 通りをわたり、さらに中里通りを進む。

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 中里通りの電柱にはこのステッカーが貼られていた。

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 右側になんだかおもしそうなお店があった。「ヒダリキキ・バル」って何だ?

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 近づいてみると下記のごとし。

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ヒダリキキ = お酒大好き
 昔の大工さんは右手に「金槌」を、左手に「鑿(のみ)」をもって仕事をされます。
 その「鑿(のみ)」と「飲み」をかけた洒落言葉で、左利き=お酒好きとなったようです。
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 あぁ、そういうことか。

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 さらに中里通りを進む。

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 再び大山街道ステッカー。

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 旧道カーブが美しい。
 
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 ここが(9)の地蔵尊だ。

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 この先で玉川通りと再合流する。

27伊勢丸稲荷大明神と蛇崩川緑道:大山街道1

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(4)中里通り分岐
(5)伊勢丸稲荷大明神
(6)蛇崩川緑道

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 明治地図ではどこから中里通りかははっきりしない。

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 三軒茶屋のバス停を過ぎる。

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 ここが(4)の場所で右が玉川通り、左が中里通りである。もちろん左へ進む。

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 ゆるやかな旧道カーブが心地よい。

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ここが(5)の伊勢丸稲荷大明神。

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 かなり狭い場所にある。

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 こちらが(6)の蛇崩川緑道だ。

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蛇崩川(じゃくずれがわ)緑道
 この蛇崩川緑道(茶屋下橋~薄橋)は、公園等の管理協定制度に基づき、地域の皆さんにより清掃活動などの管理活動が行われています。
 公園等の管理協定制度は、維持管理活動に意欲のある地域の団体が、世田谷区と協定を結び、区と役割分担をしながら公園等の維持管理活動を行っていく制度です。
 利用するみなさんも、公園利用のマナーを守り、楽しく快適に利用できる公園の環境づくりにご協力をお願いします。
(管理協定団体)上馬東町会・世田谷区
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 暗渠の上に遊歩道ができている。

26中華そば瀧井:大山街道1

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 そろそろお腹が空いてきた。スマホアプリのラーメンマップで近くのラーメン屋さんを検索する。表通りに面しているよりも路地裏のお店にしよう。そして中華そば瀧井にやってきた。

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 カウンターのみのお店。8割くらい席は埋まっている。メニューは、中華そば650、味玉そば720、辛ねぎそば700、チャーシューそば900、タンメン780、みそそば680、つけ麺800、大盛り+100、黒焼きめし550など。初の来店なので基本であろう「中華そば650」にしよう。

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 店内のカウンター席はわずか一席にも空いていた。そこに座る。左隣の二人は麺だけだが、右隣の二人は麺と黒焼きめしのセットを食べていた。他の人たちはわからず。中華そばのビジュアルは美味しそうだ。

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細麺だがこのスープにはよく合っている。毎日でも食べられそうなマイルドは味わいである

25道標:大山街道1

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(3)道標

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(3)道標
 明治地図にも玉川通りと世田谷通りは描かれている。茶沢通りはまだなかったのだろう。

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 世田谷通りは都道3号線だ。

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 分かれ道の場所に道標があった。立派な道標だ。

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【正面】には「左相州通、大山道」と書いてある。

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【左側面】には「右富士、世田谷、登戸道」と読める。

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【右側面】には「此方、二子通」となっている。

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道標
銘文
(正面)左相州通、大山道
(左側面)右富士、世田谷、登戸道
(背面)天下太平国土安穏 寛延2年(巳巳)建立 以下略
(右側面)此方、二子通

年代
 寛延2年(1749)、文化9年(1812)再建
伝来
 大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期_ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分れ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
 大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
 この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピック(注:1964年のもの)の道路拡張などにより点々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元の位置近くに複された。
備考
 一、この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
 一、相州通・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
 一、富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。
     昭和59年3月   世田谷区教育委員会
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 都市開発の中で、埋もれないでよく残っていたものだなぁ。

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 手ぬぐいのこの道標のことなんですね。

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 エコー仲見世など路地裏の商店街もあり、個人的には好きな街だ。

 三軒茶屋は、江戸時代に大山街道が世田谷上町へ向かう大山道(上町線)・登戸道と、新町方面に向かう大山道(新町線)とに分離する三差路に、三軒の茶屋(田中屋、信楽(石橋楼)、角屋)があったことから名づけられた。

24三軒茶屋:大山街道1

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 ここで大山街道は二手に分かれる。三軒茶屋から用賀までは(1)世田谷通りを通る「上町線」と(2)国道246号線に沿った「新町線」となり、用賀から二子玉川までは(3)行善寺を通る「行善寺線」と(4)慈眼寺を通る「慈眼寺線」である。今回は(2)の新町線と(3)の行善寺線を歩くこととし、(1)と(4)は後日に歩くこととする。


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(40)三宿交差点
(41)三軒茶屋駅

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(40)三宿交差点
(41)三軒茶屋駅

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 旧道をひたすら歩く。

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 ここで玉川通り(国道246号)と合流する。

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 (40)の三宿交差点だ。

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 左側に学校が見えた。昭和女子大学だ。写真を撮ろうとすると警備員の人ににらまれた(ように感じた)ので、この写真だけの撮影としよう。

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 徐々に三軒茶屋に近づいてきた。

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 斜め左方向に向かうと厚木へ行く。

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 玉川通り(国道246号)と世田谷通りと茶沢通りの交差点になっている。

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 こちらにも成人式を迎える振り袖姿の女性がいた。誰を待ってるのかな?

23池尻稲荷神社:大山街道1

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(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

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(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

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 江戸大山まいりすごろくの手ぬぐいにも池尻のそばに池尻稲荷神社が描かれている。

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 ここが池尻稲荷神社の入口である。この神社は池尻・池沢両村の村人によって建てられ、子育て、火伏せの稲荷として信仰されていた。境内には薬水の井戸があり、大山街道、富士街道の旅人や付近の農村の人々の飲料水に使われていた。薬水と井戸は涸れずの井戸とも呼ばれていた。

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 旧大山道と書かれた石碑があった。

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 涸れずの井戸の由来が書いてあった。

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涸れずの井戸(かれずのいど)
 この池尻稲荷神社の入口わきに、昔「涸れずの井戸」と呼ばれる井戸がありました。これはどんなに日照りが続いても、涸れることなしに、いつも豊かな水をたたえていたので、こう言われていました。この前の大山道旧道を往き来する旅人や野菜を運ぶ農民ののどをうるおし、まわりの人々に大変尊ばれました。とくに、雨乞いのための大山詣の際には、必ずここに立ち寄ったと言われます。現在も、この水は、境内の中にあり、みなさんにおいしい水を提供しています。
 この像は、江戸後期近くの商店に奉公に来ていた少女が、奉公先の子どもといっしょに、ここに水を汲みに来た際、たぶんついでに「かごめかごめ」の遊びをしたであろう様子を想像してつくったものです。どうぞ、昔の風景を思いうかべてみてください。
     平成元年3月 世田谷区

     せたがや百景(2) 大山道と池尻稲荷  昭和59年10月選定
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 子供たちが「かごめかごめ」で遊んでいる様子だ。

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 池尻稲荷神社と拝殿である。またも旅の安全を祈願した。

22旧道と庚申堂:大山街道1

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(38)旧道入口
★3:庚申堂
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿交差点

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(38)旧道入口
★3:庚申堂
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿交差点

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 (38)の分岐部を左に入れば大山街道の旧道である。

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 ゆるやかな旧道カーブが続く道をゆっくりと歩いていく。

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 こんなステッカーが貼ってあった。

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 コンビニ手前の路地を左折して庚申堂へ寄り道する。

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 すると右側に黒住教の建物があった。いろいろな宗教があるのだなぁ。

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黒住教(くろずみきょう)
 黒住教(本部:岡山市)は、江戸時代後期に岡山藩の守護神社今村宮の神職であった黒住宗忠(1780~1850)が、昇る朝日を拝んで立教なった(1814)神道教団で、江戸末期より”神道の教えの大元”と称えられ、多くの人々から”開運の宗教”として信仰されてきました。黒住教東京大教会所・宗忠神社東京分社は、”心の時代”・”宗教の時代™といわれる今日に、一人でも多くの方が本教を通して心身ともに健やかで幸せな人生を過ごしていただくことを念願しています。
 どなたでも自由にお参りください
     黒住教東京大教会所・宗忠神社東京分社
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 帰宅後に調べてみると、天理教、金光教とともに幕末三大新宗教の一つなのだそうだ。

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 さらにその先へ進んでいく。

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 平成地図の★1庚申堂のところに到着した。

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池尻庚申会
 現在区内で確認されている205体の庚申塔の中、2体がこのお堂に安置されている。1体は延宝8年(1680)の庚申の年。他の1体は次の申(サル)年の元禄5年(1692)の造立となっている。
 この庚申塔は邪鬼をふんづけた姿の青面金剛とその下に三猿を彫った石仏である。この石仏は江戸築城の際、集めた石工に造らせたと云われており江戸時代以降の石仏を特に庚申塔と呼ぶようである。
 庚申信仰は古く平安の世に中国から伝わり時の貴族の間に広がり時代が江戸となり庶民信仰として口づてにそのありがたさが農民の間にも受け入れられ300有余年も連綿と継承されて今日のお祭り行事にまで続いている。
 お祭りは毎年4月15日目黒常円寺の住職により先祖の供養と参拝者の幸せを祈りお経をあげ盛大に行われている。この長い歴史と先人の心を支えてきた庚申様を守護し地元の人々との親睦を深めて次の世代に引き継ぎたいものである。
     平成18年 池尻庚申会
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Author:かめ

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鉄道旅行派の同好会に
参加しています。
(敬称略)


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