


地図(21)の砥上公園に道標がありました。

道標の説明文です。
「市指定重要文化財(建造物) 昭和四十一年(一九六六)一月十七日指定
江の島弁財天道標
この石柱は、江の島への道筋に建てられた道標の一つです。江の島弁財天道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術を、江の島で考案したという杉山検校(杉山和一、一六一〇〜一六九四)が寄進したと伝えられています。現在、市内外に十数基が確認され、市内所在のうちで十二基が藤沢市の重要文化財に指定されています。いずれも頂部のとがった角柱型で、その多くが、正面の弁財天を表す梵字(ぼんじ)の下に「ゑのしま道」、右側面に「一切衆生(いっさいしゅうじょう)」、左側面に「二世安楽(にせあんらく)」と彫られています。この文言には、江の島弁財天への道をたどるすべての人の現世・来世での安穏・極楽への願いが込められています。
市役所新館脇歩道橋付近に移設されていましたが、新庁舎建設にともなう歩道橋周辺の整備により、「江の島道」の路傍にあたるこの地に移設したものです。
平成二十七年(二〇一五)十一月 藤沢市教育委員会」
藤沢市役所へ行ってもな〜んにもなかったってわけですね!

石上(いしがみ)の説明文がありました。
「石上(いしがみ)
鵠沼を中心とした一帯は天平時代(七三五年頃)には、「高座郡(たかくらぐん)土甘郷(とがみごう)」と呼ばれ、鎌倉時代には「砥上が原(とがみがはら)」とよび西行法師や鴨長明も砥上が原の歌を残しています。
江戸時代に入ると江の島、大山詣の道筋で賑った石上舟渡場があり、その北側に砥上地蔵尊(一六五五)が建立されました。
この辺りの開発の祖の鎌倉武士を祀ったといわれる石上神社は度々水に浸り、昭和九年に現在の地に移されました。 藤沢市」


砥上公園内にも庚申供養塔がありました。
さぁ、移転した石上神社に向かいましょう。
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