
貴生川駅から徒歩7-8分のところにある想夫恋で昼食をとります。ここは日田焼きそばのお店です。日田焼きそばは
「一般的な炒める焼きそばと違い、鉄板上で一部が焦げるほど硬めに焼く麺に特徴がある。 ソースで味付けし、具はもやし、ねぎ、豚肉をおもに入れる。 昭和30年代に、日田焼きそば専門店の想夫恋の初代である角安親が「焼いた麺料理はないものか」と考え、試行錯誤の結果生み出したものとされる。日田市内のラーメン店を中心に広がっており、この焼きそばを提供する店は想夫恋をはじめ十数店舗ある。日田で焼きそばが流行った影響で、現在は周辺の都市や福岡県にも日田風の焼きそばを出す店が存在する。「日田焼きそば」と表記する場合は、想夫恋の商標で2009年8月27日に登録されている。」
という特徴があります。

メニューの中からシンプルな焼そば(864円)を注文しました。

日田市の想夫恋本店には行ったことがあったので、その美味しさは知っていました。今回は近江鉄道近辺の食堂を検索していて偶然に発見した次第です。期待に違わぬ美味しさでした。満足です。

信楽駅内には「セーフティーしがらき」という、1991年5月14日の列車衝突事故に関する資料を展示したコーナーが、事故を風化させるべきでないという遺族の要望によって1997年4月30日より設けられています。

「事故車両部分展示の説明
平成3年5月14日午前10時35分頃、信楽高原鐵道の列車とJR西日本直通乗り入れ列車が正面衝突し、42名の尊い命が失われ、600余名が負傷するという大事故となりました。
この車両部分は、この事故で破損した車両の一部であり、ご遺族の強い要望により、二度とこのような列車事故を起こさないという思いと事故の風化を防ぐため、ここに展示するものであります。」

変形した「世界陶芸祭 しがらき号」のヘッドマークが事故を風化させないことでしょう。

変形した車体の一部でしょうか。こちらも事故の衝撃が伝わってきます。

向こう側のホームには、楽しい柄の車両が停まっていました。


「事故車両部分展示の説明
平成3年5月14日午前10時35分頃、信楽高原鐵道の列車とJR西日本直通乗り入れ列車が正面衝突し、42名の尊い命が失われ、600余名が負傷するという大事故となりました。
この車両部分は、この事故で破損した車両の一部であり、ご遺族の強い要望により、二度とこのような列車事故を起こさないという思いと事故の風化を防ぐため、ここに展示するものであります。」

変形した「世界陶芸祭 しがらき号」のヘッドマークが事故を風化させないことでしょう。

変形した車体の一部でしょうか。こちらも事故の衝撃が伝わってきます。

向こう側のホームには、楽しい柄の車両が停まっていました。


24分で終点の信楽駅に到着しました。


さすが信楽焼の本場です。数多くのたぬきが出迎えてくれました。

虹色たぬきもお出迎えです。

かなりの勾配を登ってきましたが、標高はまだ285メートルです。

近江鉄道と信楽高原鉄道を貴生川で直通させ、さらに信楽〜京田辺まで延伸することによるびわこ京阪奈線(仮称)構想があり、それにちなんだ、近江鉄道全線と信楽高原鉄道全線乗り放題のびわこ京阪奈線フリーきっぷ(1,030円)が平成28年4月1日〜平成29年3月31日までの土・日・祝日に発売されています。米原〜貴生川〜信楽の片道で1,490円ですので、格安のフリーきっぷです。

この先にレールが伸びて、京田辺とつながる日が来るのでしょうか?


信楽高原鉄道は昔の国鉄信楽線です。貴生川と信楽を含めて駅は全部で6つです。全長14.7kmの路線ですが、貴生川と次の紫香楽宮跡まで9.6kmあり信楽側に駅が偏っています。

貴生川駅を出発すると、JR草津線から分かれて右にカーブしていきます。

徐々に勾配をあげ、見晴らしのよい高台を紫香楽宮跡まで走っていきます。


途中で小野谷信号場があります。現在は列車交換はしていないのですが、まだ線路は残っています。1991年に起きた信楽高原鉄道列車衝突事故は、本来ならこの信号場で列車交換するはずの列車同士が正面衝突をしてしまうという痛ましいものでした。

さらに列車は高原の中を進んでいきます。

紫香楽宮跡駅には「未来へ走る鉄道へ 再出発」と書かれています。1991年の事故のことかと思いましたが、2013年9月の台風18号による橋梁流失で運休になり翌年11月に運行再開になったことを意味しているのでしょう。
貴生川1024ー1048信楽 信楽高原鉄道 信楽行


再び水口城南駅に戻ってきました。

急に晴れ間が覗いてきました。この天気が続くことを祈ります。

一面一線のホームです。貴生川方面を見ています。

やってきた電車はゆるキャラ電車です。座席の背もたれに「いしだみつにゃん & しまさこにゃん」が描かれています。しまさこにゃんって何だろう、と思って帰宅してから調べると、
「しまさこにゃんは、ひこね「街の駅」戦国丸(花しょうぶ通り商店街、滋賀県彦根市河原町)のマスコットキャラクター。通称「さこにゃん」。コミュニティFM局のエフエムひこねでパーソナリティを務める山本ひまりが、「国宝・彦根城築城400年祭」のキャラクターである「ひこにゃん」を引き立てるために、戦国時代の武将・島左近由来のキャラクターとしてイラストを描いたのがはじまり。後に島左近の主君である石田三成をモデルにした「いしだみつにゃん」も作られた。」
ということでした。

車体の側面には「エコ イコ キコ」と書いてありました。

わずか4分で貴生川に到着しました。貴生川の跨線橋からゆるキャラ電車を見たところです。
水口城南1000ー1004貴生川 近江鉄道 貴生川行



山車の収納庫からすぐのところに水口神社がありました。ここが「大宮さん」と呼ばれている場所です。なかなか大きな神社です。

由緒書がありました。
「由緒書
御祭神
大水口宿禰命(おおみなくちすくねのみこと)
相殿
大己貴命(おほなむちのみこと)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
由緒
御祭神 大水口宿禰命は饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫である出石心大臣命(いずしごころおほをみのみこと)の御子に坐し、吾が郷土を、御開拓遊された祖神にて御神徳広大無辺である。当社の御創祀は不詳ながら「日本三代実録」貞観元年(八五九年)正月甲申の条に従五位下水口神に従五位上を授くとあり、延喜式内の旧社で神名帳にある近江国百五十五座甲賀郡八座の一である。大正十三年六月二十一日には県社に列せられた。
例祭
四月二十日
文化財
木造女神坐像(平安時代) 国指定重要文化財 明治四十四年八月九日
官幣(勅使御奉納)
御榊(同右)
古文書(上総介書)
石燈籠(南北朝時代) 甲賀市指定文化財 昭和五十九年四月一日
水口まつり 滋賀県選択無形民俗文化財 昭和三十六年七月六日指定
以上」

奥に拝殿がありました。


拝殿の手前に、桜と橘がありました。
「還暦記念植樹
左近の桜
紫寝殿(天皇の御殿)の警護や信奉の任にあたっていた左近衛府が担当して大内裏の階段の下の東方(向かって右側)に植えられた桜(別名南殿の桜)
右近の橘
右近衛府が担当して大内裏の階段の下の西方(向かって左側)に植えられた橘
昭和五十五年庚申吉日 久寿会」


わずか4分で水口城南駅に到着しました。

ここが改札口ですが、改札してるのかなぁ。

駅舎ですが、左半分は近江タクシーの水口営業所になっていました。


駅前広場には山車の様子が展示してありました。
説明もありました。
「曳山広場 水口祭と曳山(水口町指定文化財)
水口祭は「大宮さん」と呼ばれ親しまれている水口神社の春の大祭(四月二〇日)で、この広場に掲げられた曳山は、江戸時代(享保二十年)から町内を巡行したと伝えられ、現在十六基が保存されています。
この曳山は、上層に歌舞伎などからテーマをとった人形飾り(だし)をのせる「二層露天式人形屋台」と呼ばれる構造で、初層部には囃方(七人〜一〇人)が乗り勇壮な水口囃子が演奏されます。
現存する曳山はいずれも江戸末期の建造で、高さ四・五〜六・三m、幅三〜四m、長さ四〜五・五mを有し、総勢四〇〜五〇人の人によって巡行されます。
この広場は国土庁と滋賀県の花と緑の年モデル地区整備事業の指定を受け整備された広場です。 水口町」

駅の裏側へ回ると、山車の収納庫が並んでいました。大きな山車のようですね。


水口(みなくち)駅に到着しました。

対向列車との列車交換です。カラフルな列車です。


鉄道むすめ列車でした。ひょっとして、昨日の豊郷あかねフェスタの際の臨時シャトル列車だったのでしょうか?

この駅のみどころとして大池寺の庭があるようですが、徒歩25分もかかるので行くのはやめます。

こちらは八日市方面です。

こちらは貴生川方面です。


雪のために周囲の散策をする元気がなかったので、駅舎内の掲示物を見ていました。昨日、近江鉄道と豊郷町のジョイントで豊郷あかねフェスタが開催されたようです。



スマホで検索してみると、昨日は臨時シャトル列車の運行はすべて取りやめになったそうです。

こちらは近江の地酒電車です。



人気があるので、アンコール運行されるようですね。

昨日から明後日まではびわ湖灯り絵巻です。


びわ湖周辺に何箇所かの会場があるようです。
この時期ですがいろいろなイベントが行われているのですね。
地元の少年が父親の運転で駅にやってきました。次の列車に乗るのでしょう。その少年に「こちらは冬はこんなに雪が降るのですか」と尋ねると、「雪は降るけどこんなに毎日降るのは珍しい」という返事でした。数日前からずっと降っているようです。

名残惜しいのですが、そろそろ桜川駅をあとにしましょう。次の電車に乗って日野駅に向かいます。


雪に煙る愛知川を越えました。

そして五箇荘駅に到着しました。今日は途中下車はしません。

五箇荘駅から左に反れていく引き込み線があります。

雪ではっきりしませんが、まだまだ続いているようです。帰宅後に調べると、五箇荘引き込み線で、愛知川沿いの砂利を採取していたようです。
彦根0655ー0729八日市 近江鉄道 近江八幡行



八日市駅から徒歩約10分のABC食堂にやってきました。創業1925年の老舗の洋食店です。18時開店ですが、20分前に到着してしまいました。寒いけどしょうがない、開店時刻まで20分待とう! と思っていると、なんと10分前にドアが開きウエイトレスさんが、「お待たせしました。中へどうぞ」と入れてくれました。

待っている間にお店の前から周囲を見渡すと、気になる高架がありました。上には何やら電線らしきものが張り巡らせてあります。ここが旧八日市線の廃線跡かぁと勝手に思ってしまいましたが帰宅後に調べると場所が明らかに違いました。なんだったのでしょうか?


数あるメニューの中から、オムライスのハッシュドビーフがけを注文しました。店内に流れるジャズに耳を傾けていると、そこへオムライスが出てきました。


美味しいなぁ、お店のインテリアもBGMもいいなぁ、こんなお店がもっと近くにあったらなぁ、などと思いながらあっという間に食べてしまいました。

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