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40佐藤一斎座像:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 石畳を降りてきた。濡れた坂道は登りより下りの方が気を使う。岩村山荘の近くに佐藤一斉の座像があった。

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佐藤一斎翁顕彰碑建立趣意
 幕末最高の思想家佐藤一斎は「志こそが人間のレベルを決まる!」といい、志を養うべきことを説き、その思想を著書「言志四録(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録)」などを書き残しました。
 碑文の「三学戒」は言志晩録の一節で最も輝いている言葉です。
 ここに全国各地300余名の賛同者の浄財により、一斎翁の「三学戒」を刻み、永く後世に伝えんとするものです。
平成8年10月19日
佐藤一斎顕彰碑建立実行委員会
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 「三学戒」が書かれている。
「少くして学べば 則ち壮にして為すあり
壮にして学べば 則ち老いて衰えず
老いて学べば 則ち死して朽らず」
 学ぶことの大切さを教えている。

39岩村城跡2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 岩村城の特徴の一つの六段の石垣が見えてきた。この上が本丸跡であろう。

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 やっと到着した。

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本丸
 本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣城に構えられていた。東と北には一段低い位置に長局と呼ばれる細長い曲輪が付属する。正門は東曲輪側の東口門である。内部には施設はなく、広場となっていた。
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 ここに本丸があったようだ。

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岐阜県指定史跡 岩村城址
 岩村城は別名を霧ケ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜717mに位置し、全国の山城の中で最高地にあり、日本三大城の一つである。
(中略)
 建物は明治維新により廃城され、後明治6年(1873年)に取り壊された。
岩村町教育委員会
岐阜県教育委員会
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 海抜は717mと全国の山城の中で最高地にあるようだ。

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 本丸にも昇龍の井戸があった。海抜717mでも井戸があるのがこの場所が山城に選ばれた理由なのかもしれない。

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 遠くには雪をいただいた山々が見える。御嶽山などの中央アルプスなのかなぁ。

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 その右側にも山々が見える。

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 本丸の石垣を下から望む。空が青々しい。


38岩村城跡1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 かなり急な石畳の坂道を登っていく。アキレス腱とふくらはぎのよいストレッチになっている。このあたりは藤坂と呼ばれている。

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初門
 直線的に伸びる登城坂でこの部分だけが、行く手を遮るように鉤の手に大きく曲げられている。有事の際にはここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」と呼んだという。岩村城の最初の関門である。
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 写真のような坂道が続いている。

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土岐門
 岩村城第二の門で、内側は馬出状の曲輪となっている。絵図では薬医門または四脚門として描かれている。土岐氏を破ってその城門を奪い移築したという伝承からこの名がついた。廃城後に徳祥寺(岩村町飯羽間)山門として移築され現存している。
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畳橋
 大手の入口は、高石垣と枡形門、三重櫓によって厳重に固められており、前面の空堀にL字形に架かる木橋を渡って内部に入るようになっていた。床板を畳のようにめくることができたことから、畳橋と呼ばれたという。
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 畳橋を過ぎると石畳ではなく普通の山道になってきた。前日の雨で道全体が湿っているのですべらないように注意して登っていく。

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霧ケ井
 霧ケ城と言われるもととなった井戸。敵が城を急襲したとき、この井戸へ城に秘蔵の蛇骨を投げ入れると忽ち霧が立ちこめ城を覆いかくしたと云う伝説があります。この水は今も絶えることなく湧き出し、昭和62年に岐阜県の名水50選に認定されました。
岩村町
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 こんな伝説があったとは。

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 この高さなのに確かに水が湧き出していた。

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菱櫓と俄坂
 山の形にあわせて石垣を積んだので菱形になった、山城特有のものである。この上にあった建物も菱形であったので菱櫓と呼ばれた。
(中略)
 中世の頃はここが大手門(正門)で大円寺城下町説もあり、大円寺へ通ずる険しい急坂も残っている。
 実際は裏手の門で、普段は使わないが落城等の非常口として用いられた。俄坂もその意味がある。俄坂の途中に中世城の遺構である東曲輪があるが、天然の峻険を利用し敵の来襲に備えていた。
岐阜県指定史跡 岩村城跡
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 そろそろ本丸跡が近づいてきたようである。


37下田歌子:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 今朝はまず岩村城跡へ登る。

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 坂を800mほど登るのである。

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 坂を少し登ると下田歌子先生の略伝があった。

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近代女子教育の先駆者  下田歌子先生 略伝
 下田歌子先生は安政元年(1854年)に岩村藩士 平尾しゅう蔵の長女としてこの地に生まれ、鉐(せき)と名づけられた。明治4年(1872)18才で父の元へ上京、翌5年に宮中の女官に登用された。宮中での歌会にいつもすぐれた和歌を詠み昭憲皇太后より歌子を名を賜った。
(中略)
 明治26年に欧米へ出張して女子教育を視察、同32年(1899年)に実践女学校及び女子工芸学校を創設して校長となった。現実践女子学園である。
(中略)
 先生は女子教育に一生を捧げ学者であり歌人であり、社会奉仕家で意志強固、熱弁家で男子を凌ぐ、明治・大正の日本未曾有の女傑で才色兼備の女性であった。昭和11年、83才で死去した。

 明治41年特旨を以って 従三位勲三等に叙せられた。
 恵那市教育委員会
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 実践女子学園の創始者が岩村の出身なんですね。

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 下田歌子先生の顕彰碑。

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下田歌子勉学所
(中略)
 歌子女史は5才で俳句をつくり和歌を詠み7-8才にして美事な韻を踏んだ漢詩を賦し、神童と呼ばれた。
 しかし、女であるため、すぐ近くにある知新館に学ぶことは許されなかった。
(中略)
 この室は父の書斎であり、女史の勉強した室である。
 幼い頃から女史の胸中に秘かに燃えていた炎は、女というだけで知新館へ入学できなかったという反発であった。
 18才で上京し、やがて実践女子学園を創立するにいたった苦難の道を進むのを支えたのは、この炎であった。
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 ここが勉学所である。

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 そして勉学所のそばには銅像がある。

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三好学博士像
 環境があって そこに人間が存在する   三好学
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 三好学博士の銅像もある。

36朝食:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 昨夜は部屋に戻って大正浪漫亭で買ったプリンを食べてから、ゆっくりと休むことができた。
 そして朝食の時間だ。

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おはようございます
朝ごはんは健康を思い「まごわやさしい」を基本にしています

「ま」まめ類、「ご」ごま類、「わ」わかめ海藻類、
「や」やさい、「さ」さかな、「し」しいたけ類、「い」いも類

白飯は「農村景観日本一」富田・大円寺コシヒカリ米です
手作り「しそ味噌」「あじめ味噌」をごはんのお供にお召し上がりください
(売店にて好評販売中)
〜皆様にとって良き1日になりますように〜
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 「感謝」と書かれた小さな紙に上記の文字が書かれていた。

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 湯豆腐、赤だし、焼きのり、茶わん蒸し、とろろ以外に写真のような様々なおかずが出てきた。

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 今日は昨日と打って変わって快晴なのだ。お城を模した岩村山荘もご覧のような輝きである。空は「半分」どころか「全部」青い!(笑)


35館内:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 ロビーの一角にはサンタクロースの飾りがありクリスマスムードである。

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 ロビーの別の一角には「半分、青い」の資料があった。

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 館内と売店はシンプルである。


34夕食:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 夕食は戦国料理ということだ。

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 この囲炉裏端での料理を戦国料理と称するのだろう。

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 天井が高く吹き抜けになっている。

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 朴葉に乗った味噌も囲炉裏で焼いてから野菜につけて食べるように言われた。

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 こんな感じである。

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 そしてメインは飛騨牛。かなりのボリュームである。

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 先ほどまで生け簀で泳いでいたイワナも豪快に焼いている。

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 ほくほくして美味しい。

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 熱燗の徳利には岩村城が、おちょこには岩村山荘の文字が入っている。

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 五平餅と焼きおにぎりでフィニッシュ。

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 量も質も満足した。ごちそうさまでした


33常夜灯〜岩村山荘:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 今夜の宿は岩村山荘でまだまだ歩く必要がある。

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 常夜灯があったので、ここを左折する。

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上町常夜灯
 寛政7年(1795)、上町・中町の有志により、ここから約100m南東の上町木戸付近に建立したもので、銘には「明和二乙酉秋創立寛政七乙秋再建」とある。戦前に国道257号沿いに移されていたが、昭和62年(1987)、岩村城創築800年を機にここに移された。城下町は江戸時代に度々大火に見舞われたことから、火伏せ(神仏の力により火災を防ぐこと)を祈願して建立したと伝えられる。正面に大神宮(伊勢神宮)を配して天下泰平を、左側に秋葉大権現を配して火伏せを、右側に金比羅大権現を配して招福繁栄を願ったものである。
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坂を登ると右手に太鼓櫓が見えてきた。

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 そして左側には岩村山荘の看板がみえた。地図によると岩村駅から1.7kmの距離だが登り坂が続いたので少し疲れた。

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 外観は山荘というよりお城のようだ。岩村城を模したものだろう。


32ふくろう商店街2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 さらに進んでいくと「いらっしゃいませ ふくろう商店街」というモニュメントがあった。実際に撮影に使ったのだろうか?

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 この角の建物は創業寛政年間の京屋建具店である。

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 そして伝来菓子のかめや。

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 勝川家という古い屋敷がある。

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 勝川家の隣には浅見家。

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 水野薬局の看板は大正時代から残るものらしい。

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 さらに雨が強くなり正面の山は煙っているかのようだ。


31西町一丁目商店街(ふくろう商店街)1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 そして西町一丁目商店街を歩く。

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 「半分、青い」の舞台 恵那市へようこそ! の幟が町のいたるところにある。町おこしへの盛り上がりがわかる。

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 「岩邑カステーラかめや」の看板と「ようこそふくろう商店街」という穴あきパネルがあった。ドラマの中ではふくろう商店街の設定になっていたようだ。

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 実際のお店とドラマの設定とが比較してあった。渡辺床屋は「銀巴里理髪店」、坂田は「オシドリクリーニング」、岡田洋服店は「蕎麦処松善」、あけぼの書房は「羽鳥衣料品店」、土屋自転車店は「棚橋自転車商会」、竹内左官店は「山田畳店」、万さは「伊藤新聞」、西尾家は「ノーノードライ」、かんからやは「大瀬良たばこ店」、荻山家は「日本料理 清流」という具合である。

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 水野ガラス店があった。営業していないようであるが。

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 明るいタッチの穴あきパネルもある。

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 家の軒先の青い暖簾には「初子」「久美子」「美千代」「和代」「あつ子」といったその家の女性の名前が書かれている。これはは、岩村城の城主が女性であったことにちなんでいる。


30やすだや洋品店(おしゃれ木田原):明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 ここ岩村はNHKの連続テレビ小説「半分、青い」の舞台になった。西町一丁目商店街の入口にやすだや洋品店がある。

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 ここがやすだや洋品店である。ドラマでは「おしゃれ木田原」というお店の設定となった。

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 店内にはテレビ撮影の記念グッズやサイン色紙などが展示されていた。お店の人が親切に説明してくださるのだが、私はドラマをみていないので今一つ感動しない。適当な相槌になってしまったのは申し訳ないと思っている。


29巌邑天満宮・道標:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 駅から1-2分歩くと本通りにでる。レトロ感たっぷりの商店街である。

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 左側には巌邑天満宮がある。

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 そして山村硝子店もある。「かめ」と「ガラス店」はよく気が付くのだ(笑)

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 道標があった。「左なごやえ(へ)」と書いてあるのだろう。


28岩村駅:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 定刻に岩村駅に到着した。

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 駅には岩村散策絵図があり観光スポットが描かれている。

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 またポイント切替装置もあった。現在は使用されていない。

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 駅舎には喫茶・レストラン・売店の「キッチンゆら」が併設されている。

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 岩村駅舎外観。雨はまだ降り続いている。

明智1516ー1536岩村 明知鉄道


27明智〜山岡:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 15時16分発の列車に乗る。

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 列車が入線してきた。恵那から乗ってきた時と違って、この列車は空いている。

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181223b野志〜山岡

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 山岡駅舎にはかんてんかんがある。この地域では寒天が名産らしい。

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 かんてんかん便りもある。12月4日から冬の新メニューの華御膳(冬)~雪化粧~がスタートしたようだ。

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森の列車カフェ
 山岡駅の建物の奥の明知鉄道でお役目を終えた列車が、素敵なカフェとして活躍しています。窓から四季折々の花々が咲き、その中をのんびりと明知鉄道が走っていくところを見ることが出来ますよ!! 車窓を楽しみながらお食事やデザートを召し上がって頂けます。

縁結びの神社
 森の列車カフェの運転席が縁結びの神社になりました。
 縁結びで有名な島根県八重垣神社の主宰神をお祀りしております。
 夫婦和合・授児・安産・厄難除・災難除のご利益も与ることができます。
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 いろいろな努力をしている鉄道であることがよくわかる。

明智1516ー1536岩村 明知鉄道


26明智駅3:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 明智駅に戻ってきました。次の列車まで少し時間があります。駅舎の近くには「明智光秀公ゆかりの地」という石碑がありました。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀ですから、脚光を浴びるかもしれませんね。

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 明智駅前プラザを覗きましたが地元の人が集って談笑しているようでした。

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 駅舎には鉄道グッズの売店がありました。

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 500円の手ぬぐいを購入しました。

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 そして鉄カードも。コレクションしている人がいるのでしょうね。

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 明智駅から岩村駅までの切符を購入。次の極楽駅までと料金が同じため、極楽行きとなっています。まるで本当の極楽へ行けるようですね(笑)

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 明知鉄道では「じねんじょ列車」、「枡酒列車」、「孫とおでかけふれあい列車」などのイベント列車が運行されており、また「SL乗車体験」も開催されています。工夫を凝らしていることがよくわかります。


25アイコウフーズ:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 大正浪漫亭で光秀プリンと濃厚栗プリンを買い、今夜旅館で食べることにしました。

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 観光案内所に併設されているアイコウフーズで五平餅とみたらし団子を買い妻とシェアしました。ちょうどおやつの時間でした。


24大正村資料館2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 養蚕業の最盛期は明治時代末期から大正時代であった。大正5〜6年頃には繭1貫目(3.75kg)が米1俵(60kg)の額に匹敵するほどであり、大正時代までは「おかいこさま」と言われるように人間よりも大切に扱われてきて、蚕の飼育や上蔟の時はすべての部屋を蚕室にあて人間は土間や板の間にむしろを敷いて寝起きしたほどであった。昭和10年頃まで養蚕は農家の現金収入の道として盛んに飼育されてきたが、昭和12年頃から戦争により、食糧増産の国の施策で桑畑は次第に畑として食糧の増産に切り替えられ、養蚕は衰退していった。
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 昔の繭蔵だった建物だけに繭や養蚕の歴史が紹介されていた。

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 サッポロビール、リボンシトロンのポスター。芸者さんだろうか。

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 メンソレータムなどの看板。

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 サンタクロースメリヤス。大正時代からサンタクロースの話があったのですね。

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 当時の薬の袋です。痛み止めや下痢止めなどの急性期の薬が目立ちます。

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 大正モダンのファッションのイラストです。

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時事新報
ダブルフロー 二色万年筆
 最高権威! 斯界の誇り!
1本のペン先から黒赤青紫其の外何でも2色だけは自由自在に出る
欧米に於ても出来なかった大発明、専売特許品
製造元 東京工業株式会社
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 2色の万年筆です。画期的な商品だと思うのですが、今では使われていないようですね。何か問題があったのでしょうか?

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大正村資料館(旧銀行蔵)
 岐阜県恵那郡明智町は、県の東南端にある高原郷で附近の丘陵は海抜210mから823mにある南へ傾斜した寒冷地。そのため夏場の涼しさは想像以上です。この涼しさが良質の繭を産出します。明治の初め頃から、中馬街道、南北街道筋の交通が情報源となって農作物の収穫の少ないこの地に、養蚕を副業とする農家が増えました。正面3階の建物(銀行蔵)は、当地の先覚者橋本幸八郎氏の設立した濃明銀行のもとで繭蔵として使われていました。
 明智町指定文化財
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 ここが昔の郵便局です。

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逓信資料館(旧郵便局)
 この郵便局は、明治8年開局の歴史をもち明治30年には電信業務も兼ねたというこの地方での郵政業務の草分けで、誇り高い局舎でもあります。
 大正時代にはモダンな出庇に欄間風の彫り物を加え、局舎全体をペンキ塗りにした装いは、大正の役場や交番を加えても、数少ないモダン建築の一つでした。
 明治、大正、昭和の風雪に耐え、戦後一般民家になりましたが、その面影を余すところなく伝えています。2階の彫り物のある手すりもそのまま残っていて大正生まれの郷愁をさそいます。
 現在の建物所有者や、郵政省、NTTのご好意によって、さまざまな郵便、電信資料が展示されています。
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23大正村資料館1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 大正村資料館は3階建てである。

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 銀行蔵であり、4階建てのようである。入口近くに滑車式昇降機が現存していた。繭を収納するための繭蔵だったようだ。

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郷土玩具展になっており大量のこけしや郷土玩具が展示されていた。

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 数年前に訪れた山形県肘折地方のこけしも展示されていた。

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 こちらは青森県のねぶたなどの民芸品である。

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音と人のくらし
明治
 日本人は本来空に消えゆく人の言葉、音を蘇生する機器を入手した。人はこの魔的な箱に写声器、蓄語器と多様に名付けて親しんだ。
大正
 人は弦より流れる哀愁のセンリツを鍵盤に打たれるロマンの響きを身近な生活の中にとり入れくらしに豊かなバレーションを加える。日本人はこの箱を異口同音にチクオンキと呼んだ。
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 レコードプレーヤーや蓄音機が陳列されていた。

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竹製の針
 音の柔らかさと音盤を傷つけないことで愛好家に利用された。
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 竹製のレコード針があるとは初めて知りました。

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陶磁器の針
 第二次大戦中の金属節約のための日本人の工夫の作品
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 陶磁器の針もあるなんて知りませんでした。

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 現存する昔のレコードです。写真の「田谷力三氏」の名前は聞いたことがあります。

22大正の館:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 そのまま進むとやはり左手に日本大正村資料館と大正の館がある。

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 有料だが共通チケットにて入館できる。

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 順路としてはまず大正の館から見学する。

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大正の館(旧橋本医院)
 明治の末期に建てられた当地の名門橋本家の居宅です。
 庄屋を勤め明智町の先覚者であった橋本幸八郎本家の分家です。初めは米穀商(屋号 又一 襲名 為吉)を営み三代目は医院を開業されましたがその逝去により今回重要保存建物としてオープンしました。
 比較的平穏な地勢、気象の為か平凡な住宅建築の中で当地をしては一級品の貴重な建物です。
 敷地 227.3坪、建坪 76.9坪(延坪 123.9坪)
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 橋本氏は大正路地のところでも名前が出てきた。地元の名士なのだろう。

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 鮮やかなデザインの和服が展示されていた。

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大正時代初輸入
 ナショナル金銭登録器
 アメリカ合衆国オハイオ州
 ナショナルレジスター社
 大正13年製
  明智町 ゑびすや呉服店
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 大正時代からこんなレジスターがあったのですね。

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 人力車もきれいなままにしてあった。

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 電話室。現在の携帯電話・スマホの盛況の時代を知ったら、大正時代の人はどう思うのだろう。

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 炊事場の様子。生活感にあふれている。


21街道交差点・南北街道:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 中馬街道と南北街道の交差点に出た。

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南北街道と中馬街道の出逢い
 この辻を東へたどれば伊那路、はては塩尻、長野まで通じています。南へ下れば奥三河から岡崎へ。また西にたどれば尾張へと、いずれも下り道。明智はやはり山の町です。
 かつてこの辻は、三河地方から信州や木曽へ、塩や織物を運んだ南北街道と、南信飯田地方から瀬戸や尾張へ繭や薪を送った中馬街道の二つの街道の出遭うところ、いわば幹線の交差点。馬子の唄声やお伊勢参りの人たちで賑わった宿場の中心です。
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 ブラタモリだったらCGで往時の賑わいを再現していることだろう(笑)

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 交差点を左折し南北街道を北に進む。

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 昼食を食べたアミーが左手に見えてきた。

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 ここが旅館笹乃家の入口だったようだ。

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 その横にアミーの入口がある。


20大正時代館2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 大正時代館には別棟がある。そこの2階にあがるとご覧のような旧帝国ホテルのジオラマがあった。犬山の明治村に玄関が移築保存されておりその様子はテレビでみたことがあるが、ホテル全体がこれほど大きかったとは知らなかった。

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 「口腔ハブラシ」のポスター。

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 切子などのグラスが並んでいる。

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 大正時代に完成した東京駅。

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 路面電車も活躍していた。

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 こちらが本館。

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 こちらが別棟で、1階はカフェー天久になっている。

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カフェー天久
 カフェーは明治末期の東京に始まり大正期に各地の都市に広がりました。大正12年の開店で昭和の初期にかけて文化人の間に名を馳せた。
 京都千本通りのカフェー「天久」が昭和61年10月店を閉じるに当たって、昔懐かしいSPレコードや内装、什器一切を大正村に寄贈され、この「うかれ横丁」の一郭に復元されました。
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19大正時代館1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 うかれ横丁を通って大正時代館へ向かう。ここも有料だが大正ロマン館での共通チケットで入ることができる。

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 明治から大正初期までの水着だ。きっとハイソな人しか海水浴なんてできなかったのだろうなぁ。

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 「カフヒー」はコーヒーのことだろう。

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 「大正時代の明知町―楽しみー」と書いてある。その中に「田舎町にできたキャバレー」という記事を発見。

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 ちょっと読んでみる。
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田舎町にできたキャバレー
 大正9年、中馬街道にキャバレーができた。紡績会社のお偉方が他所から来たお客さんを連れたり、町の若者や糸紡ぎの女工さんたちが仲間連れで来て、賑やかな毎夜であった。大正メロディーに合わせて人伝てに覚えたダンスに興じ、カクテルを楽しんだ。田舎町の法楽境キャバレー「ヒノデ」は明知町の名物であった。

料理旅館
 大正3年頃の笹乃家の玄関前。人力車のそばの和服の少年は誰か。2階からきれいどころが眺めている。門灯がシックな姿を見せている。右下はポストらしい。
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 どうもさきほどのアミーのことだろうが、ここには「ヒノデ」となっている。ちょっと疑問だが、その後にこの疑問は解ける。

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 「理想的台所用品及び食器」が写真付きで掲示されている。

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 こちらは昔の「朝日グラフ」。カラーである。

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 カテイ石鹸って家庭石鹸のことだろうか?

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 昔の明知町のジオラマがあった。

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 ハヤシライスを食べたアミーの場所をよく見ると、「キャバレー・ヒノデ(バー・アミー)」と書いてある。ヒノデとアミーは同じ場所だったのだ。おそらく最初はヒノデで後にアミーに代わったのだろう。これで先ほどの疑問は解消した。

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 昔の地図には「笹乃家」が載っていた。


18アミー2:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 恵那のご当地グルメは「えなハヤシ(ハヤシライス)」らしい。
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恵那は「ハヤシライス」の生みの親、早矢仕有的(はやしゆうてき)ゆかりの地です。
 岩村城跡がある岐阜県恵那市。かつて岩村藩は、美濃国(現在の岐阜県)の岩村城を拠点として周囲を支配していました。「ハヤシライス」生みの親と言われている早矢仕有的(1837〜1901)は岩村藩領の武儀郡笹賀村(現在の山県市)に生まれ、幕末の頃には岩村藩の藩医でした。明治初期の横浜の病院医師勤務時代もっと栄養を取るべき患者などに、滋養に富み美味で簡単にできる料理として、牛肉の細切りと野菜を一緒に煮込みご飯にかけて食べることを考案。「ハヤシ先生の料理」という様な名で評判となり、明治後期には「ハヤシライス」という名が定着したと言われています。
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 お店の年配の女性にメニューを尋ねると申し訳なさそうに「カレーライスとハヤシライスしかできないんですよ」と答える。いえいえ、ハヤシライスを食べたくて来たのですから、全く申し訳なくないんですよと思い、「ハヤシライス二つ」を注文する。
 たちまちカレー皿に出てきたハヤシライス。食べてみると酸味が強いが美味しい味である。

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 自家製のコンニャクも付け合わせに提供してくれた。こういう気配りがうれしい限りだ。
 いろいろと話をすると、ここは旅館笹乃家の一部であり、大正時代から営業していて昔はキャバレーだったという。旅館は今年の秋で営業を終えた(この秋までやっていたのが素晴らしい)。表の看板に「地階」と書いてあるのは、ここあたりは段差があるので反対側の入口からは階段なしでそのまま入れるという。

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 もう一つの入口の様子がこちら。本当に表と裏の顔があった。

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 ドアをあけると「コーヒー・ビール・アィスクリーム・ジュース・五平もち・山菜そば」という看板もあった。その上に「ハヤシライス・カレー 700円」「ただいま営業中」と書いてある。昔はメニューが多かったんだねぇ。

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 内側のガラス戸はこんな感じ。ガラスのステンドグラス風の模様がレトロで素敵である。

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 こちらの入口のそばにはうかれ横丁の渡り廊下がある。


17アミー1:明知鉄道(明智・岩村)紀行

 食事をとろうと町の中心へ向かっていると再び雨が降り出してきた。傘をさしての移動となる。

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 父がガラス屋をやっていた関係で窓ガラスに目が行く。昭和時代の板ガラスは面白い。これはたしか「からたち」だったかな。

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 喫茶店があったのでここで昼食を食べよう。「大正村名物 コーヒー ハヤシライス 笹乃家地階アミー」と書いてある。昔の建物を利用した普通の喫茶店かと思いきや・・・・・

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 ガラス戸を開けると、「画廊スナック ようこそカレーパラダイスへ」とあり、

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 7-8段のコンクリート製の階段を下った先にはドアがありその中がなんだか赤くなっている。左には「BAR(Rは欠落か) AMI」と書いてある。

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 店内はこんな感じでスナックを居抜きで喫茶店にしていたのかと思った。いずれにしても面白いお店でよかった。


16旧三宅家:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 大正ロマン館の隣にある旧三宅家に寄る。

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 全体像である。

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旧三宅家
 当家は、古い歴史をもつ家柄であります。古記録によれば旗本遠山家に仕えていた第4代伊賢が馬木村に移住し農業に従事、その後元禄元年(1688)第5代与次郎重正に依って現在の母屋は普請されたと伝えられています。
 現在残っているものは母屋だけであるが、近代中期の民家の特徴である鳥居建ての形式が残っています。
 昭和53年に町文化財に指定後、平成3年明智町に寄贈され、綿密な調査に基づき当時の姿に復元されここに移築したものです。
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 屋根のカヤが不足しているので、北海道のススキを屋根の真ん中に使っているということだった。

15大正ロマン館:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 さらに坂を登っていくと大正ロマン館になるが、その途中に面白い看板を発見! 「保母歯科医院」。保母さんがいると子どもの歯の治療がしやすくなるのか、あるいは、ほとんど歯科医院だけど時々は他の仕事をしているのか(笑)

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 大正ロマン館は立派な建物だ。ここは有料で、大正ロマン館・大正時代館・日本大正村資料館と合わせて500円というのでチケットを2枚買った。

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 大相撲の春日野元理事長の像がある。

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 こちらは日本大正村の初代村長である高峰三枝子氏の像がある。

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 館内の様子。展示物の写真撮影は禁じられていた。NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」「わろてんか」で使用・収録されたアコーディオンやハーモニカがあったがそれほど感動できず。


14大正村役場:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 大正時計店の目の前が大正村役場だ。

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日本大正村役場(旧明智町役場)
 明治22年7月、明知町は町制を布きました。
 明治39年、本格的洋風建築として建てられ、昭和32年9月まで、明智町役場として使用されていました。
 瓦拭き寄せ棟造り二階建ての木造洋館で、当時としては目を見はるほどのモダンな建物でした。以来町の中心として衆議をはかり、町の発展を見つめて来ました。
 平成12年5月に文化庁の登録有形文化財に指定されました。
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 日本大正村開村記念の石碑があった。

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 日本大正村役場という看板がある。

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 大正モダンのコスプレをした若いカップルがいた。この写真の「大正107年」という表示を見て、男性が「大正は15年で昭和が64年で平成が30年だから計算すると大正107年になるんだね」と説明すると女性は「えっ、大正ってたった15年しかなかったの?」と返事をしていた。カップルの将来が心配になってしまった(笑)。

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 日本大正村方言選番付があった。

「あんじゃない」→大丈夫だ、「しんじょか」→たしかに、「やくと」→わざと、
「べんこい」→かしこい、「かんかない」→しょうがない、「どえんけん」→でたらめ、
「ごたいげ」→気を使わせた、「へじくなる」→しゃがみこむ

まったくわかりませんねぇ。

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 こちらは東濃弁。東美濃地方ということだろう。

「やっとかめ」→久しぶり、「かんかなぁ」→しかたがない、「いんね」→いいえ・ちがう、
「おおじょおこく」→どうにもならない、「わや」→無茶苦茶な様子、「まわし」→同意・したく

こちらもわかりませんねぇ。

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 レトロな電話機にしてはかなり新品だった。

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 全体像はこんな感じである。


13南北街道・大正時計店:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 南北街道を横切る。

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 地図では大正村展示館となっているが、そこには大正時計店があった。

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 なんだかとても懐かしい時計がたくさん展示されていた。昔はこんな時計が家庭にあったよね。


12大正路地:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 まずは大正路地。

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 この橋を渡った先が大正路地だ。

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 こんな感じ。路面が雨でぬれている。

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 黒壁に白い窓枠が映えている。

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大正路地
 素封家であり、二代目町長、濃明銀行の創始者として町の発展に功績のあった故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と、江戸時代から続いた旧家の呉服問屋の反物類を入れた蔵の並ぶ路地です。蔵の白と黒のコントラストがあざやかです。この黒い羽目板は、数個の桟を取りはずすとすぐに一面の土壁となって防火壁の役目をはたし、窓を閉ざせば外からの火を防ぐ仕組みになっています。
 この坂道を登ると大正村役場に出ます。
 また、この坂道は明知城址への登城口。また、八王子神社、遠山氏菩提寺および歴代の墓、明智光秀公供養塔への近道でもあります。
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11大正浪漫亭:明知鉄道(明智・岩村)紀行

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 まず向かったのは大正浪漫亭の近くの観光案内所。ここで無料の地図をいただく。

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 NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」「わろてんか」で使用・収録されたイタリア鍵盤式アコーディオンや日本製ハーモニカが大正ロマン館に展示されているようだ。連続テレビ小説は見ていないが話題性があるのでちょっと見てみよう。

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 大正ロマン館へ向かいながらいくつかの施設に寄ろう。



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