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養蚕業の最盛期は明治時代末期から大正時代であった。大正5〜6年頃には繭1貫目(3.75kg)が米1俵(60kg)の額に匹敵するほどであり、大正時代までは「おかいこさま」と言われるように人間よりも大切に扱われてきて、蚕の飼育や上蔟の時はすべての部屋を蚕室にあて人間は土間や板の間にむしろを敷いて寝起きしたほどであった。昭和10年頃まで養蚕は農家の現金収入の道として盛んに飼育されてきたが、昭和12年頃から戦争により、食糧増産の国の施策で桑畑は次第に畑として食糧の増産に切り替えられ、養蚕は衰退していった。
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昔の繭蔵だった建物だけに繭や養蚕の歴史が紹介されていた。

サッポロビール、リボンシトロンのポスター。芸者さんだろうか。

メンソレータムなどの看板。

サンタクロースメリヤス。大正時代からサンタクロースの話があったのですね。


当時の薬の袋です。痛み止めや下痢止めなどの急性期の薬が目立ちます。

大正モダンのファッションのイラストです。

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時事新報
ダブルフロー 二色万年筆
最高権威! 斯界の誇り!
1本のペン先から黒赤青紫其の外何でも2色だけは自由自在に出る
欧米に於ても出来なかった大発明、専売特許品
製造元 東京工業株式会社
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2色の万年筆です。画期的な商品だと思うのですが、今では使われていないようですね。何か問題があったのでしょうか?

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大正村資料館(旧銀行蔵)
岐阜県恵那郡明智町は、県の東南端にある高原郷で附近の丘陵は海抜210mから823mにある南へ傾斜した寒冷地。そのため夏場の涼しさは想像以上です。この涼しさが良質の繭を産出します。明治の初め頃から、中馬街道、南北街道筋の交通が情報源となって農作物の収穫の少ないこの地に、養蚕を副業とする農家が増えました。正面3階の建物(銀行蔵)は、当地の先覚者橋本幸八郎氏の設立した濃明銀行のもとで繭蔵として使われていました。
明智町指定文化財
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ここが昔の郵便局です。

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逓信資料館(旧郵便局)
この郵便局は、明治8年開局の歴史をもち明治30年には電信業務も兼ねたというこの地方での郵政業務の草分けで、誇り高い局舎でもあります。
大正時代にはモダンな出庇に欄間風の彫り物を加え、局舎全体をペンキ塗りにした装いは、大正の役場や交番を加えても、数少ないモダン建築の一つでした。
明治、大正、昭和の風雪に耐え、戦後一般民家になりましたが、その面影を余すところなく伝えています。2階の彫り物のある手すりもそのまま残っていて大正生まれの郷愁をさそいます。
現在の建物所有者や、郵政省、NTTのご好意によって、さまざまな郵便、電信資料が展示されています。
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