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159大山街道説明板:大山街道(5)

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 (47)大和歩行者専用道、鶴間二丁目交差点、(48)大山街道説明板

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 鶴間二丁目交差点は明治地図の赤丸の場所と思われる。

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 さらに旅を続ける。

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 マンションの手前に小さな公園があった。

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 ここが(47)の大和歩行者専用道である。元はなんだったのだろうか?

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 鶴間二丁目交差点を直進する。

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 左手に東京靴流通センターがあり、その前には鶴間駅前のバス停がある(逆光なので振り返って撮影)。

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 これが(48)の大山街道説明板。

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矢倉沢往還
 この道路は矢倉沢往還とよ呼ばれた古道であり、江戸時代には東海道の脇往還として重要な交通路となっていました。
 東京都港区青山を起点とし、南足柄市関本、矢倉沢、足柄峠へと至る街道です。
 また、大山街道とも呼ばれ、江戸時代中期以降は大山信仰や富士信仰の行者が利用する道として栄えました。
(この石は、全国の「大和」という市町村で構成している「まほろば連邦」の加盟国である山梨県大和村より算出されている甲州鞍馬石です。)
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 小田急江ノ島線の鶴間駅に着いた。今日の旅はここまでで終了。

鶴間1458-1506相模大野
相模大野1517-1537伊勢原


158山王原公園:大山街道(5)

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 (46)山王原公園

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 明治地図ではよくわからない。

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 このあたりは昔は山王原という地名で呼ばれていたらしい。

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 その名残がこの山王原公園にある。

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山王原公園
 ここは、みんなの公園です。
 次のことをまもり、たのしくなかよくあそびましょう。
1. 野球などのきけんなあそびはやめましょう。
・・・・・・・・・
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 えっ、野球ってそんなに危険なものなのでしょうか? 公園で野球やサッカーをできなくして、「最近の子どもは外で運動しない」とは大人のエゴのような気がします。

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 こんな広い公園ですが、ほとんど利用されていませんでした。まぁ緊急避難場所にはなりそうですね。

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 農作物の無人販売所がありました。地物の野菜は美味しいですからね。


157日枝神社:大山街道(5)

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 (44)山王(日枝)神社

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 明治地図では赤丸の場所であろう。

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 信号のある交差点についた。矢倉沢往還と滝山街道の交差点になる。

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 この右側に日枝神社(山王神社)がある。

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 説明文があった。

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矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)
 青山(港区)から矢倉沢(南足柄市)に至る江戸時代の古道で、県内の東西を結ぶ、政治・経済上重要な街道でした。また、江戸時代中期以降は大山信仰等の参詣者の通る道をして栄えました。
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 笠塔婆型の庚申塔があった。


156坂上厄除地蔵尊:大山街道(5)

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 (42)坂上厄除地蔵尊

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 明治地図では赤丸の場所だ。

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 ゆるやかなカーブを描いた道を進む。

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 右に分かれる道がある。

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 その分岐部に厄除地蔵尊がある。ガイドブックによると、「左 大山道 右 ざまみち」と書かれているようだ。

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 さらに歩みを進める。


155地蔵尊・まんじゅうや跡:大山街道(5)

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 地蔵尊、(41)まんじゅうや跡

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 明治地図では赤丸あたりであろう。

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 ゆるやかな登り坂を進む。

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 すると右側に地蔵尊があった。

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 その隣には常夜燈の石碑。

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 そして渡辺崋山が宿泊したまんじゅうやの跡地である。

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渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)
 江戸時代後期の洋学者で、画家として知られる渡辺崋山は、第十代田原藩主三宅康明の弟友信の命により、高座郡早川村(綾瀬市)に住む友信の生母お銀の消息を尋ねるため、天保2年(1831)9月20日、弟子の高木梧庵といっしょに江戸の青山を立ちました。その日は都築郡荏田村(横浜市緑区)に泊まりましたが、翌21日には矢倉沢往還下鶴間村に着き、俗に「まんじゅうや」(土屋家)といわれる旅籠屋に1泊しました。
 「まんじゅうや」は初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていたといいます。土屋家には、天保11年の「大山く組」という看板が残っています。これは江戸の町火消「く組」が、大山参詣の定宿としていたことを物語っています。
     平成10年3月 大和市教育委員会
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154不動明王・鶴林寺:大山街道(5)

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 (39)不動明王、(40)鶴林寺

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 明治地図には鶴林寺は記されている。

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 さて歩みを進めよう。登り坂を進むと、右側に「下鶴間不動尊」と書かれた案内板と幟があった。

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階段の横には不動明王があった。階段を登ろうかとも思ったが、日も傾きつつあるので先を急ぐ。

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そしてまた右側に「浄土宗 鶴林寺」があった。


153下鶴間ふるさと館:大山街道(5)

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 (36)下鶴間ふるさと館

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 赤丸あたりか。

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 高札場跡の裏側に建物があった。これが下鶴間ふるさと館だ。

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旧小倉家が復元されており展示館になっている。

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大和市下鶴間ふるさと館のご案内
 ふるさと館には市指定重要文化財の旧小倉家住宅母屋と土蔵が復元されています。母屋は安政3年(1856)に建築されたもので宿場の商家建築として県内でも数少ない建物です。建物の床材から、墨で書いた黒船の絵や「安政3年」という年紀が発見されています。土蔵は前身建物の古材を用いて大正7年に同じ規模で再建されたもので、商家の付属建築です。一般的に袖蔵といわれ、商品などを保管しておくものです。
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 外壁には大きな写真があった。明治4年の下鶴間宿の様子だ。「Tsuruma」とあるので、鶴間と下鶴間で一つの宿だったのかもしれない。

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下鶴間宿 The Village of Tsuruma(明治4年)横浜美術館蔵
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 下鶴間ふるさと館の全景。

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 「秋の下鶴間宿」という復元ジオラマがあった。

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 中央を横に走る道が矢倉沢往還で、矢印が下鶴間ふるさと館。右へ行くと長津田(横浜市)方面になる。

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 当時のよろず屋にはいろいろな薬品が置いてあったようだ。

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小倉家と薬
 小倉家は幕末の創建時から昭和20年代初め頃まで雑貨商を営んでいました。4代目祐一氏の時代(昭和初期)に金物を多く扱うようになり、「金物屋」と呼ばれるようになります。その当時のものと思われる「小倉祐一商店」の「布袋」には、「建築材料、和洋金物、薬品売薬」と記されており、「万屋」と呼ぶにふさわしい商店であったことが伺えます。
 薬品・医療用品は、軟膏、丸薬等の飲み薬、座薬、殺虫剤、注射液、石鹸、栄養剤、シッカロール、薬品、マスク、分娩用紙、染料、整髪料、目薬、蚊取り線香など本当に多岐にわたっています。当時の「薬屋」にこれだけの品揃えが必要とされていたことは、周辺の農村部で必要とされていたことにほかなりません。農村部での医薬品の利用状況を知るうえでの大変貴重な資料をなっています。
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 征露丸もよく売れたのでしょうね。今でも使われてますからね。

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征露丸(正露丸)
 木クレオソート(樹木を原料とするフェノール系化合物の混合物)を主成分とした吐瀉薬。
 明治35年(1902)、「忠勇征露丸」と名付けられたもの。日露戦争は発売直後の明治37-38年(1904-05)。40数年後第二次世界大戦終戦。他国を征服するという名称は国際信義上好ましくない、との理由により、「正露丸」と名称変更された。今では、さまざまな医薬品製造会社から「正露丸」の名称で販売されているが、現在でも「征露丸」の名称で販売している製薬会社もある。
 ロシアとの関係悪化、日露戦争の勝利、ポーツマス条約に対する世論の反発といった世情により、「征露」という言葉は当時の流行語だった。世の中には、「征露画報」「征露戦報」「征露蚊帳」などさまざまな「征露」商品があふれた。
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 高木軍医の洞察力が森軍医を上回った有名な話です。

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征露丸と文豪
 日清戦争(明治27-28(1894-95)年)当時、日本陸軍の戦没者の3分の1は戦闘による死者ではなくビタミンB1の欠乏による脚気での死亡者であり、脚気対策は陸軍が解決すべき大問題となっていた。当時はビタミンが発見されておらず(最初のビタミンの発見(B1)は明治43(1910)年)、脚気は原因不明の病であった。日本独特の風土病、白米に毒物が含まれているなどが考えられていたが、陸軍で脚気対策を担当していた森林太郎軍医は未知の細菌感染によるものと考え、日露戦争では殺菌効果を期待して「征露丸」を兵士に服用させることとした。下痢や腹痛には効果があったものの脚気には効かず、30,000人近い兵士が脚気により死亡する結果となる。
 一方海軍では、脚気は白米を主食とする日本人の栄養の偏りによるものという高木兼寛軍医の仮説を元に、主食にパンや麦飯を採用していたため脚気による犠牲者はほとんど見られなかった。
 脚気細菌原因説の軍医森林太郎、森鴎外その人である。
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 こんな提灯も飾られていた。

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 薬研坂や薬研掘などで名を残している。

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薬研(やげん)
生薬をすりつぶす道具。
鉄や合金、陶器などでできています。
生薬には金属をいやがるものもあるので、木でできた薬研もありました。
舟のかたちのうつわに、コマを横にしたようなかたちの刃を前後に転がして使います。
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 渡辺崋山の「游相日記」には下鶴間宿の様子が書かれている。

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まんじゅう屋の家(「游相日記」より)
 江戸時代後期の南画家・蘭学者として知られる渡辺崋山は、天保2年(1831)9月三河国(愛知県)田原藩主の異母弟三宅友信の命を受け、友信の実母お銀を訪ねるため相州厚木に旅をします。この旅の様子は崋山が書き記した「游相日記」によって知ることができます。
 崋山は9月20日江戸を出発し、翌21日に下鶴間村の旅籠「まんぢう屋」に宿をとりました。この時の様子をまんじゅう屋のスケッチとともに記しています。
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152高札場:大山街道(5)

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 (37)目黒川にかかる橋

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 (37)赤丸の場所

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 目黒川の手前に交差点がある。平成地図では橋の右手前に交番の地図記号があるが、交番は交差点の左手前にあった。

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 目黒川を越えたすぐ左側に高札場跡があった。

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 昔はいろいろな御触書(おふれ)が出ると村人たちがこの周りに集まったのだろうなぁと思いをはせる。
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高札場
 高札は基本的な法令を板札に墨書きし、庶民への法令の徹底を意図したものです。禁令の掲示は奈良時代からみられますが、江戸時代に発達し、明治6年(1873)まで続きました。明治新政府は慶応4年(1868)旧幕府の高札を撤去し、新政府が定めたいわゆる「五榜の掲示」を掲げさせました。
 高札を掲示する場所を高札場といい、村では名主の家の前、村の中心は主要な街道が交錯する交差点といった場所に設けられていました。下鶴間村には二か所あり、そのうちの一か所がこの付近にあったことが絵図から分かっています。
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 右から順にみていこう。

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慶応4年の太政官高札
 徒党、強訴、逃散を禁止したもので、それを発見したときには役所へ申し出をすれば、褒美を与えるとしています。
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慶応4年の太政官高札
 キリシタン禁止を定めたものです。
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明治3年の太政官高札
 火付、盗賊、人殺、贋札を作る犯罪者などを発見したときには役所へ訴え出ることを定めたものです。
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 高札場のすぐ横には大山街道のステッカーがあった。


151阿夫利神社御分霊社:大山街道(5)

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 (35)阿夫利神社御分霊社

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 おそらく大きな丸のあたりかと思われる。

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 観音寺前交差点を直進すると右側に阿夫利神社御分霊社がある。

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 新田軍の鎌倉進撃路の途中にある家らしい。

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当家の往昔史
相模国風土記稿に観音寺境内に板碑二基ある事が名記されている。
建武五年 延文二年 墓石は高下元祖新田氏の墓より出土した者也
 新田軍の鎌倉進撃路
南朝忠臣新田氏縁の家
 挙兵六百五十年記念
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 「相州鶴間村宿」とある。次の下鶴間とともに宿場だったようだ。

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 「是より西 大山 七里」と書いてある。

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 逆光で読みにくいが「是より東 江戸 十里」と書いてある。これを見た旅人は、大山が近くなったと感じることだろう。

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 鳥居の奥に阿夫利神社御分霊社がある。

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 同じ敷地に「新田義貞公鎌倉進撃路 鶴間の歴史」もある。

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 古くからある名家のようで「当家は鶴間村最古の歴史を誇る 鎌倉時代以前より此の地に処住」と書いてある。

150観音寺:大山街道(5)

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 (34)観音寺

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 明治地図にも観音寺と記されている。

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 目黒交差点を回り込み、ここを左折する。平成地図の矢印の場所である。

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 旧道に戻る。

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 境川にかかる鶴瀬橋から町田方面を見る。

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 こちらは大和方面。

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 鶴瀬橋を渡るとすぐに観音寺前交差点。

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 その右側に観音寺がある。

149五貫目道祖神:大山街道(5)

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 (30)日枝神社、(31)圓成寺、(32)五貫目道祖神、(33)坂下バス停

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 左手には日枝神社がある。

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 そして右手には圓成寺。

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 (33)坂下バス停の付近。旧道カーブと思われる。

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 しばらく歩くと左手に道祖神があった。

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五貫目道祖神
 五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)の現所在地より約300メートル西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。
 現在の道祖神は徳川後期安政3年丙辰8月と印され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代おり平成の今日迄、毎年1月14日道祖神地先にて1年の無病息災並びに豊作を念じて、左義長別名ダンゴ焼きの行事を実施致しております。
 平成4年3月一般国道246号大和厚木バイパス開通に伴い、建設省のご配慮により現在地に移転いたし、之れを後世に伝えるべく由来碑を建立し、永く顕彰するものとする。
   平成5年3月吉日  国道246号バイパス 対策委員会 五貫目町内会
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 新しい道路の建設などで移転することはたびたびあるようだ。

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 国道246号線と八王子街道(県道56号線)が交わる目黒交差点にでる。

148大ケ谷庚申塔:大山街道(5)

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 (29)大ケ谷庚申塔

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 横浜水道道路との交差点は無意識に通りすぎてしまったようだ。気がついたら大ケ谷庚申塔の交差点だった(笑)

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 交差点の右手前にこのような庚申塔がある。

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 逆光のため振り向いて撮影(セブンイレブンの向こう側に庚申塔)。

147大和バイパス:大山街道(5)

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 (23)長津田辻バス停、東名入口交差点、大和バイパス

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 (23)長津田辻バス停の場所

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 セブンイレブンの前で国道246号線と別れ、斜め左に入る。

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 地図では長津田辻バス停となっていたが、町田辻というバス停だった。

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 東名入口交差点である。右手の国道246号線と大和バイパス(国道16号線)の交差点は三層構造になっていて壮観である。

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 ここを直進する。

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 さらに直進する。逆光となり写真が見にくい。

146地蔵堂・道祖神:大山街道(5)

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 (20)「ふか草」看板、(21)地蔵堂・道祖神、町田市辻交差点

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 町田市辻交差点(赤丸)

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 ガイドブックには「ふか草」という旅館の看板を左折とある。看板は見つかったがここは左折できない。

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 しばらく歩くと、再び「FUKAKUSA HOTEL」という横文字の縦看板があった。ここは左折することができる。

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 左折して、すぐまた左折すると地蔵堂があった。

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辻地蔵尊
 此の地蔵様は念仏供養や所願成就を願って元文5年11月(1740年)に建てられたもので、今から270有余年前です。その頃から皆さんの願いを何でも聞いてくださるというので、霊験あらたかと崇敬され親しまれて来ました。
 昭和38年い国道246号線の拡幅に伴い、100メートル東側のこの地に移されました。平成5年12月に祠が改修されました。     平成12年春  辻地蔵尊奉賛会
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 地蔵堂の隣には道祖神があった。

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 国道246号線に戻り旅を続ける。この交差点が町田市辻交差点である。明治地図には「長津田ノ辻」となっている。

145こうま公園:大山街道(5)

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 (18)こうま公園

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 (18)こうま公園

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 登り坂の右側の傾斜地は「南つくし野こうま公園」になっている。「馬の背」の近くだから「こうま公園」なのかなぁ。

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 かなりの傾斜地だ。

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 国道246号線に合流する。

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 馬の親子のモニュメントがあった。

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 すずかけ歩道橋で向こう側に渡る。

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 歩道橋の上から、これから向かう町田・厚木方面を望む。

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 振り向くとこちらは長津田方面。天気がよい。

144すずかけ台駅:大山街道(5)

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 すずかけ台駅、(16)馬の背橋

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 すずかけ台駅(赤楕円)、(16)馬の背橋

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 少しだけ国道246号線と並走し、次を右折する。

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 右手下にはすずかけ台駅が間近に見える。転落防止のホームドアの工事中だった。

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 この橋が(16)の馬の背橋。

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 この坂を登るのだが、左に曲がると国道246号線をアンダークロスして東京工業大学すずかけ台キャンパスへ行くことができる。

143馬の背:大山街道(5)

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 (14)馬の背入口、(15)馬の背(矢印)

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 (14)⚫︎、(15)矢印

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 この(14)細い道を右に入る。

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 坂を登る。

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 左手には国道246号線が見える。

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 ここが(15)馬の背である。両側が切り立った崖になっていて馬の背中のように見えることから馬の背を呼ばれている。なかなか「うまい」ネーミングである。

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 馬の背の右側の崖下には東急田園都市線とすずかけ台駅がみえる。

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 その向こうには大山の雄姿がはっきりと見えている。昔はもっと大きく見えたことだろう。

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 馬の背から下って国道246号線と合流。

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 東工大入口交差点の向こう側には東京工業大学の看板があった。

142フィールドアスレチックつくし野:大山街道(5)

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 (10)高圧線、(11)マクドナルド、(12)陸軍殉職の碑、(13)歩道橋

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 左側にはフィールドアスレチック横浜つくし野コースがある。

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 道路からもちょこっと様子がわかる。

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 さらに進む。

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 (11)のマクドナルドは宇佐美ガソリンスタンドに変わっていた。ガソリンスタンドの手前を左へ。このあたりに(12)陸軍殉職の碑があるようだが、見つけられなかった。

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 つくし野交差点を渡る(13)歩道橋で向こう側に渡る。

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 歩道橋から町田・厚木方面を望む。

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 歩道橋から長津田方面を望む。天気がよい!

141長津田交差点:大山街道(5)

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 長津田交差点

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 赤丸が長津田交差点

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 右手には環境霊園 横浜みどりの里がある。

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 さらに進むと国道246号線との合流部の長津田交差点が見えてきた。

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 道路の向こう側に渡り、

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 右折して進んでいく。

140横浜田園都市病院:大山街道(5)

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 (6)そば屋、(7)横浜田園都市病院

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 赤丸が横浜田園都市病院の場所

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 そば屋の裏を回り込んで、

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 こんな細い道を進む。

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 そしてそば屋に出た、と思ったらパン屋に変わっていた。

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 そしてしばらく歩くと左側に横浜田園都市病院があった。

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 登り坂を進む。

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 さらに進んでいく。

139森村学園裏:大山街道(5)

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 (5)合流地点、森村学園、(6)そば屋

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 合流した道路を横切る。向こう側には森村学園の体育館のような建物(★)がみえる。

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 さらにこの小道を下る。

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 住宅地に入った。

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 ここが地図の(5)の合流地点。

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 右折してしばらく歩く。

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 そば屋の手前を右へ折れる道があったのでそちらへ。

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 森村学園の裏に出た。当然ながら関係者以外立ち入り禁止。

138長津田小学校:大山街道(5)

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 (3)小学校入口交差点、長津田小学校

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 ここが(3)の小学校入口交差点で、右側の登り坂を進む。

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 さらに登る。

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 右に行くと長津田小学校(★)だが、この細い路地を矢印に沿って左へ進む。 

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 (4)の分岐点に旧大山街道の案内板があった。

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 そしてここにも長津田十景の長坂夜雨(ながさかやう)があった。

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長津田十景
(8)長坂夜雨
 大山街道は、次第にその道筋を変え、長坂は現在の国道から取り残されました。
 坂に通じる長津田小学校脇から森村学園脇の旧道には、昔の矢倉沢往還の雰囲気を僅かなりとも伝える場所が一部残っており、蓑笠をつけた旅人が雨の中を歩く様子を連想させます。
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 さて小学校下のこの未舗装の道を進む。旧道らしくて琴線に触れる。

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 左に竹林がある中をさらに進む。

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 いったん道路に合流する。

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 合流する場所にも案内板があった。

137大石神社:大山街道(5)

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 (2)大石神社

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 明治地図にも神社の地図記号とともに大石祠と書かれている。 

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 「初詣 大石神社」とある。

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 鳥居を進み、

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 拝殿である。

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 名木古木指定のモミの木である。

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 参道入口へ降りてきて、振り返って撮る。

136常夜灯(上宿):大山街道(5)

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 常夜灯

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 赤丸が常夜灯の場所であろう。

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 大石神社に続く急な登り坂である。

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 坂道を途中まで登ると左側に常夜灯があった。

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 横浜市地域史跡 長津田宿常夜燈二基(上宿)

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「天下泰平 地神尊 五穀成就」と書いてある。

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 こちらが常夜灯である。

135しぶそば:大山街道(5)

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 困ったときは立ち食いそばだ!(笑) ということで駅構内のしぶそばに入った。カレーうどん500を美味しくいただいた。

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 さて、旅を続ける。長津田駅南口交差点に戻り、ここを右折する。

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 そして真っすぐ進む。

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 コンビニを過ぎると右手に坂が見えてきた。

134長津田駅南口入口:大山街道(5)

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 明治地図では長津田駅入口は赤丸の場所であろう。

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 さらに進んでみよう。ここが長津田駅南口入口交差点である。

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 この交差点の角にも「旧大山街道」の案内板があった。ほっとする。

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 お昼時になったので、長津田駅に向かい昼食を取ることにしよう。

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 長津田駅南口は現在再開発工事中であった。駅構内や北口周辺でラーメン屋さんや他の飲食店を探すが、よさそうなお店は見当たらない。再び駅構内に戻るが、テイクアウトのお店は数軒あるがそこでは食べることはできない。
 さぁ、どうしよう!

133常夜灯(下宿):大山街道(5)

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 ⚫︎が常夜灯の場所

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 道の右側にあるはずの石造物は見当たらず。そのかわり(?)、道の左側に常夜灯などがあった。

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 長津田宿には常夜灯が二基残っており、ここはその一つとなる。

――――――――――――――
横浜市地域史跡  長津田宿常夜燈二基  平成元年十二月二十五日登録
  県北を通る公道矢倉沢往還(大山街道)は、東海道の裏道にあたり、大山参詣の信仰の道でもありました。長津田は江戸初期から荏田とともに宿駅に指定されていました。
  現在、上宿、下宿に常夜燈が残されています。当時の宿の繁栄を物語るものの一つです。
⚫︎上宿常夜燈(緑区長津田町2322-1) 総高 240センチメートル、天保14年(1843)に宿中の秋葉山講中が建立したもの。
⚫︎下宿常夜燈(緑区長津田町五丁目1652-1) 総高 210センチメートル、文化14年(1817)に宿中の大山講中が建立したもの。
    平成2年3月  横浜市教育委員会
――――――――――――――

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 長津田の地名は戦国時代からの文献に出てくるが、渡辺崋山の「游相日記」には「長蔦」と記されている。音は「ながつた」と「た」は濁らない。

――――――――――――――
長津田十景
(7)下宿晴嵐(しもじゅくせいらん)
 宵闇のなか旅人を迎えてきた常夜燈はまさに長津田の宿場町の歴史を象徴する歴史的資産であり、晴嵐はかっての宿場町の活気を表します。
 宿場の入口には常夜_燈があり、灯火を灯して道を照らし、宿場の安全と暗い夜道を行く旅人のための道しるべでありました。
 下宿常夜燈とともに上宿常夜燈も横浜市の地域史跡に登録されています。
 平成20年12月にこの地に移築されました。
――――――――――――――

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 「旧大山街道」と案内板があった。

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 「大山まいりすごろく」手ぬぐいにも、溝の口→長津田→鶴間と描かれている。

132地蔵堂:大山街道(5)

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 (17)地蔵堂

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 JR横浜線のガードをくぐる。

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(17)で左からの道と合流。この道は明治地図にも載っている。

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 その左手に片町地蔵堂があった。読み取れなかったが、台石には「向テ 右 かな川 みぞノ口」、「南 カナ川道 東 江戸道」と記してあるようだ。

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 さらに道を進む。

131恩田大橋~片町:大山街道(5)

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 (13)恩田大橋、(15)片町交差点

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 国道246号線に合流するため、右折して坂をのぼる。

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 (13)恩田大橋から田奈駅方面を望む。

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 単調な国道246号線沿いを進む。(14)の二十三夜塔は見過ごしてしまったようだ。

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 (15)片町交差点にやってきた。

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 この右の路地へ入る。なんだか旧道っぽい様子に心が躍る。

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 バス停の名前も片町である。私の自宅近くにも片町をいうバス停があるのでなんだか親近感を覚えた。


130富士山:大山街道(5)

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 (8)交差点、(11)恩田茶屋跡

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 ラブホテルを超すと、

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 正面には富士山が顔をだす。

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 そしてその近くには大山(矢印)が雄姿をみせる。
 明治地図の矢印の方向には、きっと富士山や大山が今よりくっきりと見えていたことだろう。

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 先に進もう。

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 ここで道を間違えた。(8)の場所をすぐに左折したのだが、この道ではないと思い、引き返してしまい、まっすぐと進んでしまったのである(赤点線部分)。最初の左折で合っていたのだ。

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 ここは地図の★の場所。あきらかに外れている。

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 この道で国道246号線へ向かう。

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 平成地図の(11)恩田茶屋跡は、明治地図では(イ)であろうか。明治地図の欄外には「恩田村岐路(イ)」の様子が描かれていた。


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