飯田線紀行28:飯田線&東海道線1
飯田線紀行27:中部天竜駅3

つり橋を渡り終えると、ちょうど地元の人がいて、バックパッカーおやじが情報を聞いてからSさんに伝えられた。いいおやじだ。NPO法人のお店「いどばた」で何とか食事にありつけるようだ。ところがおやじは「いどばた」を通り越して先を行く。Sさん曰く「あのおやじは食事よりもビールを探してさらに先に行った」と。

店内に入ると11時。ちょうど開店したばかりだ。近所の主婦の方々がNPO法人として活動しているようだ。営業時間は11時から14時までで、火曜日定休である。そばはまだ届いていなかったので、ざるうどんを食べる。その他、お総菜の種類も多彩であり、なかなかよい店に出会ったものだ。駅へ戻ると、ちょうど特急ワイドビュー伊那路2号が中部天竜駅を出発するところだった。
中部天竜駅を特急ワイドビュー伊那路2号が出発
もう少し時間があるので、飛竜軒でアイスを食べようとガラス戸を開けると、なんとそこにはビールがあった! あのおやじはどこまで行ったのだろうか。駄菓子屋だと思っても、地方ではよろづ屋的な側面もあるのだと、改めて思う。まさに灯台下暗しである。アイスはその場で食べ、ビールは車内用に買い込んだ。このお店のオババは、氷川きよしの大ファンだそうで、店内は氷川きよしグッズで満載である。おもしろいお店だ。帯状疱疹の痛みは氷川きよしの歌を聴いても癒されないなどと言っていた。

さて、中部天竜駅に戻り、豊橋行きの普通列車に乗り込んで、乾杯である。
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飯田線紀行26:中部天竜駅2
飯田線紀行25:中部天竜駅1

佐久間ダム建設に伴い線路を付替えた様子がこの地図からもわかる。天龍川沿いの線路が大きく東側に迂回している。

大嵐駅を出て長いトンネルを過ぎると、車窓には写真のようなきれいな川が顔をのぞかせる。

中部とはこのあたりの地名の中部(なかべ)であり、決して中部地方を指しているのではなく、当初は「なかべてんりゅう」と呼んでいたらしいが、JR化した時に「ちゅうぶてんりゅう」となったようだ。

駅舎もあり待合室もある。

駅構内に「佐久間レールパーク」があったのだが、2009年11月1日に閉園された。今後は名古屋地区に「JR東海博物館(仮称)」として復活する予定だ。
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飯田線紀行24:大嵐駅4

もう少し駅周辺を探索する。佐久間ダム建設に伴い線路が変更されたので、旧線の遺構がいくつか残っている。これは昔のホームである。

ホームの先にはトンネルが残っている。今にも列車がこちらへ向かってくるような、そんな気がしてくる。

その先に、もう一つトンネルが残っている。かなりの急勾配で下っているが、佐久間ダムの水位が上昇するとトンネルを出てからの道が通行止めになることもあるそうだ。
大嵐駅に到着
さて、大嵐駅に別れを告げ、中部天竜行きの列車に乗る。向市場と城西の間で、渡らずの鉄橋(第六水窪川橋梁)を通る。これは水窪川の反対側へ行かずに、大きく迂回するだけの鉄橋である。
渡らずの鉄橋
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飯田線紀行23:大嵐駅3

鷹巣橋を渡ると愛知県豊根村になる。平成の大合併前の自治体であった富山(とみやま)村は、合併以前は日本一小さな自治体として有名な村だった。

標識をよく見ると張り替えした後がある。この裏側には「富山村」とあるのだろう。

駅前の看板にはコーヒーショップがあると書いてあったので探してみると、こんな看板があった。「3km先」って1km15分として45分くらい歩くわけです。時間や距離の感覚が首都圏とは違うのでしょうが、うらやましくも思ったりする。

もう少し歩いて見ると、生活している民家に出会えた。ひょっとしたら自給自足あるいはそれに近い生活をしているのかも知れない。
駅へ戻ると、地元のご夫婦が車(三河ナンバー)で大嵐駅へ来て、ポータブルガスコンロで湯を沸かし、カップラーメンを食べている。早速ご挨拶していろいろと話してみると、このご夫婦は山が好きであり、かつご主人が鉄道好きなので、私とTさんとで話し込んでしまった。
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飯田線紀行22:大嵐駅2
飯田線紀行21:大嵐駅1
飯田線紀行20:小和田駅4

現在の皇太子妃雅子様の姓と同じ(読みは違う)なので、成婚された1993年当時はブームとなった。入場券販売も急遽行われて、販売額は当時の小田和駅での売り上げの200年分にも相当したらしい。

この駅で結婚式をあげたカップルもあり、その写真が駅舎に飾られている。

こちらも同じく。

駅から川へ向かうと東屋があある。

その中には、「愛」そして「お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれた二人用の椅子がまだあった。おそらく多くのアベック、もといカップルが、この椅子に座って写真を撮ったことだろう。しかし座ってしまうと椅子に書いてある文字が見えなくなってしまうようだが、、、、、野暮なことはやめよう。

ホームには「恋成就駅小和田」という看板も立っている。
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飯田線紀行19:小和田駅3
飯田線紀行18:小和田駅2
飯田線紀行17:小和田駅1
飯田線紀行16:田本駅3
飯田線紀行15:田本駅2
飯田線紀行14:田本駅1
飯田線紀行13:龍泉閣
飯田線紀行12:平岡駅
飯田線紀行11:為栗駅3
飯田線紀行10:為栗駅2
飯田線紀行9:為栗駅1
飯田線紀行8:中井侍駅4
飯田線紀行7:中井侍駅3
飯田線紀行6:中井侍駅2
飯田線紀行5:中井侍駅1

飯田線の列車にしては、予想以上に乗客が多い。飯田について少し減ったかなと思っていたが、天竜峡から大量に乗車した。おそらく豊橋9時51分発で天竜峡15時03分着の臨時急行飯田線秘境駅号の乗客であろう。座席が埋まり立ち客も出ている。後ほど下車する為栗駅からはさらに乗客が増えた。こんなに混雑しているとは予想だにしなかった。そして我々の旅、もといおやじの遠足としては最初の秘境駅の中井侍(なかいさむらい)駅に列車が到着した。

中井侍駅では、到着した列車から、次々とそして次々と乗客が降りてくる。こ、こ、こんなはずではなかった! 物寂しげな秘境駅を見たかったのに。これまたサプライズである。30人近い年配の方々は、しなの鉄道のツアー客で、為栗駅の次にこの中井侍駅に来たと、添乗員さんが言っていた。申し訳ありませんと、恐縮しきりだった。それほど恐縮する必要はないのに。
到着した列車が出発

気を取り直して、駅を散策。まずは駅名票。

駅の近くの地形図。民家は駅の上の1軒のみ。
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飯田線紀行4:田切オメガカーブ
飯田線紀行3:中央本線から飯田線へ
飯田線紀行2:サプライズ
飯田線紀行1:伊勢原を出発

伊勢原の輪のおやじの遠足。文字通り、おやじだけの遠足だが、今回は初の一泊二日である。遠足ならぬ修学旅行かな? 参加者はちょっと少なくTさん、Sさん、そして私の3人。

東海大学前駅でSさん、鶴巻温泉駅でTさんを乗せた急行新宿行きの最後尾車両に、伊勢原駅から私が合流した。土曜日の朝の小田急線はまだまだ空いている。日程の確認などをした後、娘さんがJR東海に勤務しているSさんからストラップとメモ帳、そして定規のお土産をいただく。サプライズである。

こちらはN700系の先頭車両を模ったメモ帳。

そしてこちらはやはりN700系デザインの定規。15cmだが、16両編成に敬意を表して16cmにして欲しかったと思うのは、マニアックなことかな。
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