観光地のお土産のようなタイトルになってしまいました(笑)が、キャンナス(http://www.nurse.gr.jp/)のチームの一員として4月8日(金)夜から石巻へ行き10日(日)夜に帰宅しました。
4月8日(金)22時に藤沢をマイクロバスで出発し、翌6時頃に石巻へ到着しました。道中の東北自動車道は橋桁との段差が大きく、かなりお尻に衝撃を受けました。
初日は、渡波(わたのは)中学の避難所をはじめ、牡鹿半島の付け根あたりの小規模の避難所を巡回しました。総じて、小さな規模の避難所の方が、まとまりがあり、人々が協力的であるような印象を持ちました。小竹浜の避難所には、常時人数分の毛布と、100食分の食事が蓄えられており、定期的な避難訓練も行われていたことを聞いて、感心いたしました。
翌10日(日)は、亀田総合病院の小野沢先生や高知あおぞら診療所の和田先生をリーダーとする、避難所以外の市民の生活状況(要医療、要介護を含む)調査「石巻市世帯調査(ローラー作戦)」が始まり、それにも参加してきました。4月7日の大きな余震で再び断水になり、ライフラインの復旧が切実な問題となっていました。1か月もお風呂に入っていない高齢女性もいました。
町の様子は、石巻市内でも地区によって大きな差があります。蛇田(へびた)地区ではスーパーの営業が再開し、居酒屋も営業し始めたようです。しかし、海に近く被害の大きかった地区では、未だに電気・水がありません。
私が宿泊した湊中学校(避難者57人)には、さらに下水も壊れていました。流れないんです。男子小用はなんとか可能ですが、それ以外は大変です。手を洗うこともままなりません。
そして海に近い地区は、地盤沈下の影響か、満潮時には道路が冠水する箇所もあります。もはや「陸」ではなく「海」なのです。そのためヘドロのようなものがどこでもあり、ドブのにおいが漂っています。ドブの中で生活している感覚です。
石巻市は2005年4月に近隣六町と合併して人口が21万人ほどになりましたが、そのために広域(牡鹿半島の先端まで)になり、情報が行き渡らない可能性が高いように思います。
震災後1か月も経っているのですが、まだまだといった感じです。長期にわたる支援が必要になることでしょう。
最後に、個々の名前を控えますが、キャンナスの皆さん、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
4月8日(金)22時に藤沢をマイクロバスで出発し、翌6時頃に石巻へ到着しました。道中の東北自動車道は橋桁との段差が大きく、かなりお尻に衝撃を受けました。
初日は、渡波(わたのは)中学の避難所をはじめ、牡鹿半島の付け根あたりの小規模の避難所を巡回しました。総じて、小さな規模の避難所の方が、まとまりがあり、人々が協力的であるような印象を持ちました。小竹浜の避難所には、常時人数分の毛布と、100食分の食事が蓄えられており、定期的な避難訓練も行われていたことを聞いて、感心いたしました。
翌10日(日)は、亀田総合病院の小野沢先生や高知あおぞら診療所の和田先生をリーダーとする、避難所以外の市民の生活状況(要医療、要介護を含む)調査「石巻市世帯調査(ローラー作戦)」が始まり、それにも参加してきました。4月7日の大きな余震で再び断水になり、ライフラインの復旧が切実な問題となっていました。1か月もお風呂に入っていない高齢女性もいました。
町の様子は、石巻市内でも地区によって大きな差があります。蛇田(へびた)地区ではスーパーの営業が再開し、居酒屋も営業し始めたようです。しかし、海に近く被害の大きかった地区では、未だに電気・水がありません。
私が宿泊した湊中学校(避難者57人)には、さらに下水も壊れていました。流れないんです。男子小用はなんとか可能ですが、それ以外は大変です。手を洗うこともままなりません。
そして海に近い地区は、地盤沈下の影響か、満潮時には道路が冠水する箇所もあります。もはや「陸」ではなく「海」なのです。そのためヘドロのようなものがどこでもあり、ドブのにおいが漂っています。ドブの中で生活している感覚です。
石巻市は2005年4月に近隣六町と合併して人口が21万人ほどになりましたが、そのために広域(牡鹿半島の先端まで)になり、情報が行き渡らない可能性が高いように思います。
震災後1か月も経っているのですが、まだまだといった感じです。長期にわたる支援が必要になることでしょう。
最後に、個々の名前を控えますが、キャンナスの皆さん、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
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