(2005年の旅です)
2時間ドラマの帝王、船越英一郎の妻、松居一代さんの出身地が近江八幡で、彼女は近江八幡市観光大使を務めています。約400年前にわずか18歳の豊臣秀次により築かれた近江八幡には、琵琶湖からの運河(堀)がありこの運河により琵琶湖を往来する船が寄航することができ、商業が栄えました。まさしく近江商人です。当時は日本海の敦賀から琵琶湖を経て大阪や京都へ物資が運ばれていたのでおそらく多くの船が行き来したことと思います。その運河が現在では八幡堀と呼ばれ、観光の名所となり、時代劇の撮影ロケ地としても利用されています。
約100年前にアメリカから英語教師としてやってきたヴォーリズ氏はこの街を多いに気に入り「近江八幡は世界の中心」と言い残しました。今風に言うと「近江八幡はセカチュー」とでもなるのでしょうか(笑)。伝道師でもあり建築家でもあったヴォーリズ氏はいくつかの建築物も残し、さらには近江兄弟社学園という幼稚園から高校までの一貫教育を目指して学園も作りました。(以上、「小さな町小さな旅 関西版」山と渓谷社 2004/10/1発行 7ページから引用)
そんなわけで、関西方面への出張の帰りにちょこっと寄り道をしてきました。
前日にグリーンホテルYes近江八幡に宿泊。このホテルには大浴場もあり、前夜はゆっくりと出張の疲れをとることができました。近江八幡へ行く際にはおすすめのホテルです。翌日は7時に起きてオニギリを食べて早々にホテルを出発。バスを利用しようかとも考えましたが街全体の様子を知るために八幡堀方面へテクテクと歩くことに。観光地域までは30分近くかかりました。

永原町通り入口(右:永原町通り、左:旧朝鮮大街道)

永原町通りの街並み
まずは永原町通りへ。昔ながらの面影がたっぷりと残っています。

旧近江八幡YMCA会館(ヴォーリズ建築)

旧八幡郵便局(ヴォーリズ建築)
為心町通りには旧YMCA会館が、仲屋町(すわいちょう)通りに足を伸ばせば旧八幡郵便局があります。
2時間ドラマの帝王、船越英一郎の妻、松居一代さんの出身地が近江八幡で、彼女は近江八幡市観光大使を務めています。約400年前にわずか18歳の豊臣秀次により築かれた近江八幡には、琵琶湖からの運河(堀)がありこの運河により琵琶湖を往来する船が寄航することができ、商業が栄えました。まさしく近江商人です。当時は日本海の敦賀から琵琶湖を経て大阪や京都へ物資が運ばれていたのでおそらく多くの船が行き来したことと思います。その運河が現在では八幡堀と呼ばれ、観光の名所となり、時代劇の撮影ロケ地としても利用されています。
約100年前にアメリカから英語教師としてやってきたヴォーリズ氏はこの街を多いに気に入り「近江八幡は世界の中心」と言い残しました。今風に言うと「近江八幡はセカチュー」とでもなるのでしょうか(笑)。伝道師でもあり建築家でもあったヴォーリズ氏はいくつかの建築物も残し、さらには近江兄弟社学園という幼稚園から高校までの一貫教育を目指して学園も作りました。(以上、「小さな町小さな旅 関西版」山と渓谷社 2004/10/1発行 7ページから引用)
そんなわけで、関西方面への出張の帰りにちょこっと寄り道をしてきました。
前日にグリーンホテルYes近江八幡に宿泊。このホテルには大浴場もあり、前夜はゆっくりと出張の疲れをとることができました。近江八幡へ行く際にはおすすめのホテルです。翌日は7時に起きてオニギリを食べて早々にホテルを出発。バスを利用しようかとも考えましたが街全体の様子を知るために八幡堀方面へテクテクと歩くことに。観光地域までは30分近くかかりました。

永原町通り入口(右:永原町通り、左:旧朝鮮大街道)


永原町通りの街並み
まずは永原町通りへ。昔ながらの面影がたっぷりと残っています。

旧近江八幡YMCA会館(ヴォーリズ建築)


旧八幡郵便局(ヴォーリズ建築)
為心町通りには旧YMCA会館が、仲屋町(すわいちょう)通りに足を伸ばせば旧八幡郵便局があります。

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