伊勢原古地図めぐり1 準備
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年は「伊勢原古地図めぐり」からスタートします!

写真のような古地図が手元にあります。「神奈川県相模国大住郡伊勢原村」とあり、今住んでいる伊勢原の古地図なのです。
陸地測量部(現国土地理院)発行で、「明治前期測量 2万分の1フランス式彩色地図」です。地図の左下には陸軍省御用掛 横山番安と参謀本部測量課雇 萩原太郎という二人の名前も記されています。軍部として正確な地図が必要だったのでしょう。

左上を拡大すると、明治15年12月第2測期第3測回と書いてあり、明治15年の地図ということがわかります。西暦に直すと、明治15年は1882年となり、今から約130年前の地元の姿なのです。なんだか興奮してきました(笑)。

右上の絵には、三ノ宮村比々多神社南面が描かれています。比々多神社は地元では今でも有名な神社ですが、明治前期にもこの地域を象徴する存在だったのでしょう。

地図自体はこんな感じです。右上の集落には伊勢原村と書いてあります。その西(左)側に板戸村、白根村、神戸(ごうど)村、串橋村などの文字が見えます。昔は多くの村があったのですね。明治21年(1888年)には町村合併標準提示により全国的に町村合併が行われ(いわゆる「明治の大合併」)、結果として町村数は約5分の1になりましたが、この地図はその合併の前の表記なのです。

これは前の写真と同じ地域の、現在の様子を伝える国土地理院発行の2万5千分の1の地形図です。当然といえば当然ですが、130年の時を経てここまで変わってきました。
さて2014年10月19日(日)に、古地図に載っている道を歩いてきました。まずは自宅近くの伊勢原交差点から、小田急線東海大学前駅(旧大根駅)入口交差点までです。

写真のような古地図が手元にあります。「神奈川県相模国大住郡伊勢原村」とあり、今住んでいる伊勢原の古地図なのです。
陸地測量部(現国土地理院)発行で、「明治前期測量 2万分の1フランス式彩色地図」です。地図の左下には陸軍省御用掛 横山番安と参謀本部測量課雇 萩原太郎という二人の名前も記されています。軍部として正確な地図が必要だったのでしょう。

左上を拡大すると、明治15年12月第2測期第3測回と書いてあり、明治15年の地図ということがわかります。西暦に直すと、明治15年は1882年となり、今から約130年前の地元の姿なのです。なんだか興奮してきました(笑)。

右上の絵には、三ノ宮村比々多神社南面が描かれています。比々多神社は地元では今でも有名な神社ですが、明治前期にもこの地域を象徴する存在だったのでしょう。

地図自体はこんな感じです。右上の集落には伊勢原村と書いてあります。その西(左)側に板戸村、白根村、神戸(ごうど)村、串橋村などの文字が見えます。昔は多くの村があったのですね。明治21年(1888年)には町村合併標準提示により全国的に町村合併が行われ(いわゆる「明治の大合併」)、結果として町村数は約5分の1になりましたが、この地図はその合併の前の表記なのです。

これは前の写真と同じ地域の、現在の様子を伝える国土地理院発行の2万5千分の1の地形図です。当然といえば当然ですが、130年の時を経てここまで変わってきました。
さて2014年10月19日(日)に、古地図に載っている道を歩いてきました。まずは自宅近くの伊勢原交差点から、小田急線東海大学前駅(旧大根駅)入口交差点までです。
