

さて、(23)から(24)へ向かいます。

まだ登り坂です。

登り切った場所に着きました。


右側には史跡箕輪駅跡があります。伊勢原市の指定文化財になっています。
以下ホームページからの抜粋です。
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10世紀(平安時代)に完成・施行された「延喜式(えんぎしき)」という法典に、当時の東海道に置かれた「箕輪駅」というのが登場します。この箕輪駅の所在地として、伊勢原市笠窪字三ノ輪を比定して「箕輪駅跡」として史跡に指定されました。
「駅」とは「駅家(うまや)」で、飛鳥時代から平安時代にかけて、東海道のような主要幹線路に置かれたものです。中央から地方へ、地方から中央へとスムースな情報伝達のため4〜5里(16〜20キロメートル)の間隔で駅家と呼ばれる施設が設置されました。駅には当時の最速の乗り物である馬を置きました。駅は公式な施設で食事や宿泊の場としても利用されました。駅路の沿線には、国府や郡家(ぐうけ)と呼ばれる地方支配のための役所が置かれました。
箕輪駅の所在地には伊勢原説の他、秦野説、平塚説がありました。伊勢原説は字三ノ輪という地名だけでなく、当地点あるいは近くを古東海道が通過していたという考えによります。これは相模国府の所在地と関連するものです。かつて相模国府三遷説(海老名市→大住郡→大磯)が唱えられていました。大住国府の位置を三之宮比々多神社から遠くない伊勢原市内にあったであろうとの説です。
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