


さらに進んでみると、右側に「薔薇直売所 梅原バラ園」と書かれた建物に出会いました。もう営業しているようです。

さらに進むと、同じ右側に赤い矢印付きの看板が見えます。

「酒井新宿自治会館」とあります。普通、公民館や自治会館は旧道沿いにあるのが普通ですが、奥まっているのでしょうか。ちょっと入ってみましょう。

一見すると民家を改造したような感じです。建物も新しいので、旧道沿いにないわけですね。

元の道に戻りましょう。(10)の進行方向左側には、なんだか新興宗教のような建物があります。大きな駐車場に車は数台。広々としています。帰宅後にネットで調べると、ここは希心会という法華系の新宗教だそうです。女優の樹木希林さんの芸名はこの「希心会」から一字いただいているそうです。

希心会の反対側には(地図の(10)の場所)、道路が続いています。


[題名]地図を歩く
[著者]堀 淳一
[発行]河出書房
[定価]2,808円
[初版発行日]1974/8/30
[新装新版初版発行日]2012/5/30
地形図の表現の変遷史、鉄道の廃線跡を歩いてみる、鉄道経路の移り変わり、諸外国の地図を比較鑑賞するなど、奥深い地図の醍醐味。1974年(昭和49年)初版掲載の地図をすべて製版し直して鮮明に甦らせた。『地図のたのしみ』の姉妹編。
初版は1974年(昭和49年)発行。それが新装版になって再登場した。鉄道だけでなく、いろいろな地図に関するエッセイと、実際に歩いた紀行文について。まさに「地図を歩く」というタイトルがぴったり。外国の地図に関しては色についての記載が多いが、載っている地図は白黒なので、今ひとつ伝わってこない。予算の問題と思われるが残念である。




(14)の三叉路に立って、三方を見通してみましょう。まずは南。平塚方面です。

こちらは西。今まで歩いてきた道です。

最後のこちらは北。これから歩いていく道です。

(14)から北へ向かってしばらくすると左側に大きくて目立つ松がありました。よく手入れがしてあります。

また北へ少し行くと、左側に「そば」の看板が見えてきました。

手打ちそばあり田です。もりそばをずずーと手繰りたかったのですが、まだまだ朝9時前でしたので、営業前でした。

さて、ここは地図の緑矢印の場所です。右斜め後方から道路が合流しています。旧道の合流方法に似ているので、旧道かと思いましたが、旧地図には手掛かりなく、比較的新しい道と思われます。

リバーサイド前バス停に着きました。徐々に気温があがり猛暑になってきました。




さて、さらに北上します。下岡田バス停がありました。

バス停のそばに、こんなお洒落な建物がありました。立派な洋風なお屋敷です。

看板がありました。「SGL Product」とあり、その横には「PURE ORGANIC」と書いてあります。

そして「EXTRAORDINARY PET FOOD」「AUSTRALIAN CERTIFIED ORGANIC」などと書いてあります。ペットの有機食料ですね。それもオーストラリアのです。ペットも大事に扱われてます。


[題名]1982年の九州乗りつぶし 〜列車・路線・交通手段いろいろ〜
[発行]乗りつぶしオンライン
[定価]600円
[発行日]2015/8/14
この本の「はじめに」に、「2年前に、『1982年の北海道の乗りつぶし』を刊行したところ、予想以上の好評をいただくことができました。<中略>好評と同時に、『北海道が出たのだから次は九州で』という声が多く寄せられました。」とあります。2年前の記事は、 1982年の北海道乗りつぶし 〜特定地方交通線の当時とその後〜 です。
九州でも北海道と同じように、数多くの路線が廃止になったり、第三セクターなどに経営形態を変えています。単なる1982年の乗りつぶしを行うかという視点だけでなく、どうしてそうなったのか、他の交通との比較など、全体的に社会派の読み物にもなっています。
http://www.noritsubushi.org/




さらに北へ向かいます。右側に「和菓子舗 きらく 山口屋」という看板がありました。老舗の和菓子屋ですね。旧道沿いにある風景です。「WAGASHI BY YAMAGUCHIYA」と外国人にもわかるように表記してあります。

店舗を見るとまだ営業前でした。「水ようかん パイナップル大福」と書いてあります。イチゴ大福は食べたことがありますが、パイナップル大福はまだ食べたことがありません。一度食べてみたいですね。

全景はこんな感じです。




そうこうしているうちに、地図の(16)の寺まで来ました。古地図にも記載があります。「浄土真宗 本願寺派 法徳寺」です。ホームページによると開山500年の歴史があるようです。

中を覗くと、松の木がお出迎え。

これが本堂です。きれいなお寺です。




(16)の法徳寺の手前(南側)に、ちょっと気になる石碑を見つけました。

こちらには以下のように記されています。
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正六位 勲四等 功三級
海軍中佐横山忠重碑
大正十一年七月八日 横山直兄の二男として出生。昭和十七年十一月十四日海軍機関学校卒業。海軍少尉任官の後、累進して海軍大尉となり百里原航空隊教官勤務。昭和二十年四月六日特別攻撃隊第一正統隊長として百五十名を引率、敵艦船群に対し必死必中の体当たり攻撃を決行して散華す。仍て連合艦隊司令長官より感状を授与せらる。
昭和42年4月6日 従七位 横山直兄 設修
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特攻隊の正統隊長として散ったのですね。もう二度と戦争をしてはいけません。
百里原航空隊とは今の航空自衛隊百里基地のことで、2010年から茨城空港として開港し、官民共用空港となりました。

こちらは漢文にて、読みにくいのですが、
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二等軍曹横山君碑
陸軍歩兵二等軍曹横山君碑
(漢文)
明治三十年秋八月
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などと記されています。

さらにこちらには、
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叙従七位 高等官 横山直兄 昭和十九年十一月十五日
叙従七位 横山龜太郎 明治二十八年一月十日
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と書かれています。横山家は軍隊に行った人が多い家だったのですね。あるいは時代背景を考えると、青壮年男性はこのような運命の人が多かったのかもしれません。単なる古地図めぐりのはずでしたが、かなり考えさせられる場所に遭遇してしまいました。

こちらの社に眠っているのでしょうか。

駐車場の向こう側には、ハイツ横山A・Bがあります。この横山家のアパートなのかな。




今度は地図の(17)のお寺です。古地図には記載は見られないようですが、「壽永山 慈雲院 長徳寺」です。

山門はこんな感じ。

本堂はかなり大きいものでした。

長徳寺を出て、さらに北へ向かうと、東名高速道路が見えてきました。

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