
美濃市観光地図


今回の目的の一つの旧名鉄美濃駅に向かう。美濃市駅から徒歩5分ほどだ。写真のように屋外展示されている。

こちらが駅舎である。

そして説明文があった。
「美濃町線 旧美濃駅
名古屋鉄道美濃町の前身は、地元有志の方々により誕生した美濃電気軌道株式会社が美濃並びに関と岐阜間の交流を図るため、明治四十四年(1911年)二月に神田町駅から上有知駅間を開業しました。
大正十二年(1923年)十月に美濃駅が当初に開設されて以来、地域住民をはじめ多くの方々の重要な交通機関として、地域相互の交流・発展に貢献してまいりました。
しかし、日本経済が急速な発展を遂げるとともに車社会の進展により、平成十一年(1999年)四月一日には、美濃町線新開駅から美濃駅間が廃線となりました。
ここに残る旧美濃駅は、美濃町線新関駅から美濃駅間の廃線にあたり、先人が築き上げられた功績を称えるとともに、永く歴史にとどめるものであります。 美濃市」
素晴らしい取り組みだと敬服する。

駅舎へ続くこの階段も昔のままなのだろう。



この赤と白のツートンカラーの列車に乗ってみる。

運転席はシンプル。

座席は取り外されているが、休憩用(?)のベンチがあった。

モ512号というらしい。
「モ512号車
美濃町線の前身である美濃電気軌道が大正15年に製造した車両で、長い間美濃町線で活躍していたが、昭和42年揖斐線と岐阜市内線の直通運転を実施するのを機に、直通用車両として揖斐線へ転属した。最大の特徴は正面5枚窓の流線型と楕円形の戸袋窓で、白熱灯を用いた大きなグローブ付車内灯やヨロイ戸式の日よけと合わせて、大正の雰囲気を今に伝えている。昭和63年にはエバーグリーン賞を受賞、その際に塗色を赤一色から市内線直通運転開始時の赤と白のツートンカラーに変更した。」


[題名]校閲ガール
[著者]宮木あや子
[発行]KADOKAWA
[定価]604円
[発行日]2016/9/30
憧れのファッション雑誌の編集者を夢見て、根性と気合と雑誌への愛で、 激戦の出版社の入社試験を突破し 総合出版社・景凡社に就職した河野悦子(こうの・えつこ)。しかし、「名前がそれっぽい」という理由で(!?)、悦子が配属されたのは校閲部だった。入社して2年目、苦手な文芸書の校閲原稿に向かい合う日々。 「こんなところ早く抜け出してやる」とばかりに口が悪い演技をしているが、 段々自分の本性がナマイキな女子であるような錯覚に陥ってくる毎日だ。そして悦子が担当する原稿や周囲ではたびたび、ちょっとしたトラブルが巻き起こり……!? 読んでスッキリ、元気になる! 最強のワーキングガールズエンタメ☆
テレビドラマ「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作です。小説の中に小説がでてくる構成です。現実的ではないという批判もあったらしいが、小説やドラマってそんなもの。楽しくて元気になること間違いなし!



最後は赤い電車に乗る。

段差解消のためにステップがある。

運転台はやはりシンプル。

車内は休憩用(?)のベンチのみ。

こちらはモ601号というらしい。
「モ601号車
昭和45年、美濃町線から田神線・各務原線経由で新岐阜へ乗入れをする際に製造された車両。電圧の異なる美濃町線(600V)と各務原線(1500V)を直通するため、路面電車タイプの車両としては、珍しい複電圧車となっている。車内は2人掛けと1人掛けの転換クロスシートが配置され、前部を絞ったスリムな車体と屋根上の抵抗器が特徴で、昭和46年にローレル賞を受賞した。美濃町線の主力車両として活躍した。」
新岐阜へはモ601号車しか直通できなかったというのは、担当の老男性からも話を聞いた。

旧美濃駅で十分に鉄分を補給した後、町の散策に繰り出した。相変わらず雨は降り続いている。

美濃市観光地図(再掲)

こんな街並みが続いている。

こちらは「味の素 天ぷら油 丸栄食料品店 電話一一五番」と書いてある。風情のある建物だ。


ここは小坂家住宅で、国重要文化財に指定されている。江戸時代から続く造り酒屋で、屋根がふくらんだ"むくり屋根"が特徴的である。うだつも立派だ。


うだつのあがる家々が続いている。


美濃市観光地図(再掲)

こんな街並みが続いている。

こちらは「味の素 天ぷら油 丸栄食料品店 電話一一五番」と書いてある。風情のある建物だ。


ここは小坂家住宅で、国重要文化財に指定されている。江戸時代から続く造り酒屋で、屋根がふくらんだ"むくり屋根"が特徴的である。うだつも立派だ。


うだつのあがる家々が続いている。


美濃市観光地図(再掲)

2016年10月8日〜9日に美濃和紙あかりアート展が開催されたようだ。美しいポスターに魅せられてしまった。

和紙の店「紙遊」があったがまだ営業時間前だった。

街並みの北側にあるバス停はズバリ「うだつの町並み通り」!


金毘羅山寳勝院。中濃八十八ヶ所三十四番札所となっている。

さらにうだつのあがる街並みは続く。


こちらは旧今井家住宅で美濃史料館になっている。


再び美濃市駅に戻ってきた。ここにも美濃和紙あかりアート展のポスターがあった。

ホームに上がり、駅舎を見下ろす。

こちらは待合室。
160918美濃市駅到着

10時28分発の美濃太田駅行きの列車が先に到着した。美濃市駅で列車交換である。

次いで10時28分発の「ゆら〜り眺めて清流列車1号」が到着した。2両目の車体には越美南線全線開通80周年記念号と書かれている。越美北線と越美南線は、ついに結ばれることはなかった。そして越美南線は国鉄・JRの手を離れ今や長良川鉄道として再出発している。

160918美濃市駅出発
「ゆら〜り眺めて清流列車1号」は定刻通りに美濃市駅を出発した。

列車は山間に入っていく。
美濃市1028-1203北濃 長良川鉄道 清流列車1号 北濃行き


[題名]地図マニア 空想の旅
[著者]今尾恵介
[発行]集英社
[定価]1,404円
[発行日]2016/6/29
「地図」と「想像力」だけで綴る紀行文!
金銭的、物理的、時間的、様々な理由で人は旅に出られない。
だがワンコインで買える地図と想像力があれば、あり得ないほどの低予算でヨーロッパやカナダ、オセアニアなどの遠く離れた外国の地に降りたつことができるし、明治・大正・昭和時代の日本各地など、通常では行くことのできない場所にも行ける。
空想紀行には人を縛るものなどないのである。
長年に渡り地形図を眺め、その時代、その土地についての研究を重ねてきた著者の、地図研究家としての情熱、その技法が一冊の本に!
今尾恵介氏の著書はほとんどすべて読んでいるので期待して購入したが、残念ながら期待はずれだった。特に「明治の赤坂 ひとめでわかる旧道」では、都内の地理がわからないと理解しがたい内容であり、都内の人だけを限定対象にしており横暴である。また地図と文章が見開きで対応していないので読みにくい。というわけでまだ海外
編は読んでいない。そのうちに開いてみるかもしれないが、現時点ではその予定はない。昔の地形図は好きなので、それだけを眺めることとなり、ちょっと高い1,404円になってしまった。


転車台の説明があった。
「北濃駅の転車台
この転車台は、蒸気機関車を走行線路から橋げたの上に乗せ、手押しで180度回転させて機関車の前後ろ向きを変え、走行線路にもどす役割をするものです。明治35年アメリカンブリッジ社で作られたものです。
舟のような形をした鉄骨構造物の上部に枕木を置き、その上にレールを敷いた長さ約15mの橋げたを中央で支える上路式の転車台です。橋げたの全長は15.240m、幅が1.8m、軌間距離1,067mm、中央部の高さ1,430mm、端部の高さ590mm、重さが約15トンあります。円形ビットはコンクリート造りで、直径15.400m、深さ960mmと、直径13.480m、深さ1,430mm、2段の凹面になっています。
この転車台は、官設鉄道が明治35年にアメリカより輸入し、東海道本線の「岐阜駅」で使用されていたようです。昭和9年8月、国鉄越美南線が「北濃駅」まで開通した時に「北濃駅」に移設されました。移設後、昭和44年までの35年間、越美南線を往復する蒸気機関車の前後ろ向きを変えるために使われ、昭和61年、長良川鉄道に引き継がれてからもレールバスの方向転換に使用されました。
国鉄越美南線は、地域住民の要望により大正9年、国会で敷設を決定したのが始まりで、開通後、御母衣ダム及び九頭竜ダムの工事用資材などの輸送、地元の中学生や高校生の通学、スキー客や郡上おどりなどの観光客の送迎などで大活躍し、鉄道沿線地域の産業の発展と住民の生活を支えてきました。
鉄道輸送事業で役割を終えたこの転車台は「北濃駅」開設70周年となる平成16年、越美南線の活躍の歴史を語る貴重な鉄道文化遺産として、郡上市白鳥町歩岐島の「北濃駅」に保存展示されました。現在、転車台の所有者は長良川鉄道(株)です。
郡上市白鳥町観光協会・北濃駅の転車台を保存する会」

転車台の全景。

登録有形文化財に指定されている。「旧国鉄越美南線北濃駅機関車転車台」と書いてある。

反対側から見たところ。

最近のコメント