田村道17:旧田村十字路

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 地図の赤矢印を南下(右折)します。ここは田村道と八王子(平塚)道が合流する場所です。

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 相模神田バス停です。旧国名を冠にするなんて、鉄道の駅のような名前ですね。

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 道路の右側には花水ラオシャンがありました。一度来たいのですが未訪です。

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 花水ラオシャンの隣には和菓子の井筒屋があります。

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 旧田村十字路交差点です。


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田村道18:十王堂

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 旧田村十字路の北東に十王堂跡碑(47)がありました。

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 田村十王堂の解説がありました。

 「江戸時代にはかつてこの田村十字路に十王堂が建てられていた。伝承によると、天文六年小田原の北条氏が河越の上杉氏を攻撃する際、相模川で合戦があり、多くの戦死者を出した。この戦死者を妙楽寺の住職が集めて、篤く弔い後生のため十王堂一宇を建てたといわれる。」

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 道標もありました。「右大山みち」と読めそうです。

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 右側面の文字はちょっと読み取れません。


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田村道19:八坂神社

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 地図(50)の八坂神社に寄り道します。

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 鳥居です。

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 神社の右手奥に石造物がありました。正面の大きな道標には、「左大山道」と読み取れます。

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 その横には、「渡し場道 いいやまみち」と書いてあります。

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 記念石と書かれたものがありました。

 「江戸中期に建立されたと言い伝えられる拝殿に使用されていた土台石。神川橋架替工事に伴う社殿移設の際、他の石を補填したのでこれを記念石として保存する。」

 土台石ということは、石造物ではなく、その下にある平べったい石のことでしょうか。

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 (49)の田村渡し場跡碑へ行く途中(地図の赤矢印)に、こんな看板がありました。先ほど前を通った井筒屋には神奈川指定銘菓の「たむら渡し最中」があるそうです。もう戻る元気もないので、購入しませんでした。


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田村道20:田村渡し場跡碑

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 地図の(49)の田村渡し場跡碑へも寄り道です。

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 住宅地の中をちょっと迷ってしまいましたが、無事に田村渡し場跡碑を発見しました。

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 説明が書いてありました。

 「田村の渡しは、中原街道と大山道の二つの往還の渡しでした。中原街道は中原村と江戸を結んだ脇往還で、大山道は藤沢・江ノ島からの大山参詣のために使われた道です。渡し場のある田村は、この両往還と平塚から厚木へ向かう八王子道が交差する所で、旅籠屋などもあり「田村の宿」とも呼ばれていました。渡船場の業務は、田村と対岸の一之宮村・田端村(寒川町)の三か村が勤めていました。また、田村の渡し場付近は、大山・箱根・富士山を眺望することができ、景勝地としても知られていました。
     平成十三年(2001)三月    平塚市」

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 短歌もありました。

 「阿夫利嶺を  まともに仰ぎ   旅人ら   声あげにけむ   ここの渡しに
     中村清四郎」

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 こちらにも昭和時代の説明がありました。

 「田村と田村の渡し場

 田村の地は、古くから、坂上田村麿に由緒の地と伝え、箱根路につづく、陸奥への海道に沿ったところに、相模川の渡し場があった。鎌倉時代には、三浦半島六義村の田村の館があり、鎌倉武士が、しばしば往来したことは、史書にあきらかである。また、江戸時代には関東の霊域大山万尊社への、参詣道として繁昌した。田村の渡し場は、大住郡田村、高座郡一之宮村、同田端村の三村が管理し、渡し船・馬舟など四艘を常置していた。明治初年の記録に「川幅五百二十二間(約九三九米)、水流六十間(約一〇八米)、深さ三尺(約〇・九米)より一丈(約三〇三米)」とみえている。渡し場から、西方諸山岳の眺望の絶佳は、最も芳名で、詩歌の作品が多くのこっている。
     昭和四十八年三月二十一日   平塚市観光協会」


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伊勢原カレンダー3月

伊勢原カレンダー1703
審査委員特別賞・一般の部 陶酔大山/大津源康


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田村道21:神川橋

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 田村の渡しはないので、神川橋で相模川を渡ります。

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 片側1車線で両側に歩道が設置されています。

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 上流には寒川浄水場の取水堰が見えます。

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 進行方向にはさがみ縦貫道路の高架が見えてきました。茅ヶ崎と相模原市を南北に結ぶこの道路ができたおかげで、東名高速から中央高速、そして関越自動車道への乗り換えが便利になりました。

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 神川橋東交差点です。ここを右折します。


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田村道22:河原橋の謎

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 さがみ縦貫道路を地図に緑色で示しました。そしてこの地図では鷹匠橋(赤丸)を通る迂回路を提示(黒線)していますが、神川橋東交差点を右折(赤矢印)しました。

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 さがみ縦貫道路に沿って進みます。歩道が狭く対抗自動車が来た時には注意が必要です。地図とは少し違っているようです。

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 さがみ縦貫道路をアンダークロスします。

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 河原橋に着きました。あれっ、ちょっと地図と違うようです。地図の(4)から(3)への道路が地図と異なるのです。ちょうど測量の仕事の方が前方から歩いてきたので、「お仕事中失礼しますが、この橋(河原橋)は以前からこの場所にありましたか?」と尋ねると「そうだと思いますよ。」という返事でした。「実は昔の大山道を歩いているのですが、地図と違うのですよ。」といっても「少なくとも私がこの仕事をしてからこの場所にありますよ。」ということでした。

 自宅に帰ってから改めて地図を見てみました。すると、不思議なことがわかりました。

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 これは2002年(平成14年)1月1日発行の1/10,000地形図寒川です。これによるとA→C→Bとなり、C→Bの間に橋があることになります。この欄の最初の地図もこれを利用しているので同じになっています。

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 こちらは2002年(平成14年)10月1日発行の1/25,000地形図藤沢です。測量はもう少し前だと思われます。これではA→Bで、Cは通っていません。

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これは最新のネット上での地理院地図です。こちらもA→Bで、Cは通っていません。過去の地形図を調べても同様です。つまり「2002年(平成14年)1月1日発行の1/10,000地形図寒川」だけが異なるのです。とても不思議です。

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 河原橋から北を見たところです。

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 河原橋を渡ったところからBの地点までの道路と歩道は新しいものになっています。なんだか不自然です。

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 そして地図Cの目久尻川側をみると、写真のように築堤のコンクリートの色が変わっています。これも不自然です。

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 改めて歩道をみると、ここだけかなり幅が広い歩道があるのです。ますます不自然です。

 寒川町役場に問い合わせてみようかとも思いましたが、まぁ不思議なままにしておきましょう。


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田村道23:河原不動尊

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 地図では河原橋のすぐそばにある河原不動尊です。(本当はここに河原橋はなく、(4)の上の赤二重線の場所です。)

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 河原不動尊の全景です。道路がカーブを描いているのがわかります。

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 こんな感じの建物です。

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 一之宮不動堂と記載してあります。昔の一之宮村にあるので、こう呼ばれていたのかもしれません。

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 河原不動尊の説明がありました。

 「本尊は、不動明王坐像と二体の眷属(けんぞく)(お供の仏像)からなる不動三尊像です。不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦三年(一七五三)に江戸芝口(東京港区)の初音屋平吉が修理した。との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦(せいたか)童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。お堂の前にある力石は道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したものです。このようにこの不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参詣が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。また同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」との記されていますが、詳細は定かではありません。
  平成十九年十二月
  (一之宮河原地区住民による)   不動尊維持管理会」

 自治体ではなく、地域住民による維持管理会が組織されているのはとても素晴らしいことです。

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 道標もありました。「右大山道」としっかりと読み取れます。

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 大山街道の説明もありました。

 「江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース〜東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み、大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる〜この道であった。」

 こちらは寒川町教育委員会でした。


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田村道24:八角広場へ

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 地図(6)の八角広場へ向かいます。

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 河原不動尊から東へ向かいます。旧道らしい微妙なカーブです。

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 赤線で示した馬頭観音です。

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 押しボタン式信号です。

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 この信号を右に行くと八角広場で、左に行くと丸太広場と書いてあります。
一之宮公園を通称丸太広場とも言うようです。

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 こちらが丸太広場方面ですが、ここで折り返します。ここは以前、国鉄相模線寒川支線の線路がありました。

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 八角広場へ向かうこちらを進みます。こちらも国鉄相模線寒川支線の線路でした。


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田村道25:八角広場

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 八角広場に到着しました。

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 中央の噴水の池が八角形だからでしょうか。

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 鎌倉・江ノ嶋・大山   新版往来双六からの絵も飾られていました。

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 公園の一角にレールが残っていました。

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 この公園は、旧国鉄西寒川駅の相模海軍工廠跡に作られたのです。国鉄西寒川駅は1984年に廃止されました。

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 1977年発行の1/25,000地形図藤沢です。寒川駅から支線が分岐して、相模川に近い西寒川駅まで延びています。

 1980年10月の時刻表によると、寒川ー西寒川の列車の本数は、朝1往復、夕3往復の1日4往復のみで、通勤に特化した利用だったのでしょうね。


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田村道26:一之宮小入口交差点

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 八角広場を後にして、さらに東に進みます。

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 道の途中にもくせい号の笠谷入口バス停がありました。地域のコミュニティバスでしょうか。最近では、ローカル路線バス乗り継ぎの旅でもよく利用されるコミュニティバスですが、ここにもありました。ところで「笠谷」と聞いて札幌オリンピックを思い浮かべる私は、もう歳なのでしょう(泣)。

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 こちらには神奈中の同じ名前のバス停があります。

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 道路案内看板には「寒川北IC」というさがみ縦貫道路のIC名が誇らしげに書いてあります。

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 地図(8)の一之宮小入口交差点にやって来ました。

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 交差点を直進し、すぐの右側にお地蔵さんがありました。


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ビブリア古書堂の事件手帖7 〜栞子さんと果てない舞台〜

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[題名]ビブリア古書堂の事件手帖7 〜栞子さんと果てない舞台〜
[著者]三上 延
[発行]メディアワークス(KADOKAWA)
[定価]702円
[発行日]2017/2/25
ビブリア古書堂に迫る影。太宰治自家用の『晩年』をめぐり、取り引きに訪れた老獪な道具商の男。彼はある一冊の古書を残していく。奇妙な縁に導かれ、対峙することになった劇作家ウィリアム・シェイクスピアの古書と謎多き仕掛け。青年店員と美しき女店主は、彼女の祖父によって張り巡らされていた巧妙な罠へと嵌っていくのだった…。人から人へと受け継がれる古書と、脈々と続く家族の縁。その物語に幕引きのときがおとずれる。日本で一番愛されるビブリオミステリ、ここに完結。


 今回はシェイクスピアです。楽しませていただきました。古書の知識がないのに楽しめるとは、著者の努力の賜物でしょう。まさかこんなトリックになっていたとは。栞子さんと大輔君の恋の行方も目処がたったし、いいシリーズでした。ビブリア古書堂の事件手帖はこれで完結です。今後はアニメ映画化と実写映画化が予定されているようです。こちらも楽しみです。


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田村道27:梶原景時館址

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 地図(9)の梶原景時館址です。

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 説明がありました。

 「梶原景時は治承四年(一一八〇年)八月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救いました。翌年正月、頼朝の信任厚い家臣となり、鎌倉幕府の土台を築くのに貢献しました。一宮を所領としており、この地に館を構えたとされています。図に示すとおり館の規模は広大だったとの説もあり、現在も当時の堀のなごりを留めていると伝えられています。天満宮の位置はその一角で、当時は物見の場所として一段と高く構築したとも伝えられています。景時は和歌もたしなみ文武両道に秀でた武将でした。頼朝の死後、多くの家臣からそねまれ、ついに正治元年(一一九九年)十一月、鎌倉を追放され、一族郎党を率いて一宮館に引き揚げました。その後、景時は再起を期し、上洛するため、翌正治二年正月二十日午前二時頃ひそかに館を出発しました。一行は清見関(静岡市清水区)で北条方の軍の攻撃を受け、景時以下討死という悲劇的な最期を遂げました。館の留守居役の家臣も翌年尾張(愛知県)に移ったと伝えられ、また物見のあとの高地には里人が梶原氏の風雅をたたえ、天満宮を創設したともいわれています。
     平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

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 これは角落としです。

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 角落としの説明です。

 「両側の堰柱(せきばしら)の溝に、角材や板を落とし入れ、水流を調整したり、堰を止めなどする装置。西側の産業道路沿いにあった相模川防水堤に設けられ増水時には板を落とし、土嚢(どのう)などで補強して洪水から西町を守った。
     平成28年3月」

 できたてホヤホヤの説明板でした。


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田村道28:薬師堂

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 薬師堂に向かいます。

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 これが薬師堂です。

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 西町集会所も兼ねているようです。

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 正面右にはお地蔵さんが鎮座していました。

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 これが梶原景時館(一宮館)の全貌です。確かにかなり広かったようですね。

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 薬師堂の裏にある地図(10)の「伝梶原氏一族郎党(七士)の墓」に行くのですが、東側から回り込む必要がありそうです。

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 ありました。ここが伝梶原氏一族郎党(七士)の墓です。

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 説明がありました。

 「この石造物群には次のような言い伝えがあります。正治二年(一二〇〇年)正月、梶原景時一族郎党が一宮館を出発、上洛の途中清見関(静岡市清水区)で討死してしまったので、一宮館の留守居役であった家族、家臣らが弔ったといいます。また、景時親子が討死してから、しばらく景時の奥方を守って信州に隠れていた家臣七人が、世情が変わったのをみて鎌倉に梶原氏の復権、所領安堵を願い出たが許されず、七士はその場で自害し、それを祀ったものという説もあります。なお、後ろの水路は当時の内堀の名残ともいわれています。
平成二十一年三月     寒川町教育委員会」

悲しい過去があるわけですね。

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 こちらは「箙(えびら)の梅」です。

 説明がありました。
「梶原源太景季(かげすえ)は景時の長男で、勇猛果敢歌道にも秀でた弓取である。寿永三年(一一八四年)正月、宇治川の合戦で佐々木高綱との先陣争いで愛馬「麿墨」共に武名をあげる。同年二月、生田の森・一ノ谷の合戦では、折しも咲き誇る梅が枝を箙(えびら)に挿し、

かかれば花は散りけれど
匂いは袖にぞ残るらん

と戦陣を馳せる景季公の風雅を平家物語など諸本が伝え、今日でも能や歌舞伎で「箙(えびら)の梅」が演じられている。八月、一之宮八幡大神例祭の宵宮の屋台巡行に加わる「西町」の屋台は館址にふさわしく、梶原氏に因む彫刻で飾られ、碑の景季公は一部を模写したものである。

平成二十年五月     梶原公顕彰会二十周年記念事業」


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田村道29:松戸橋跡・金比羅宮

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 本の折り目で見えませんが、赤丸の松戸橋跡に行きましょう。

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 ここが松戸橋跡です。橋の面影がありません。

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 説明がありました。ちょっと読みづらいのですが、

 「寒川町南部教育発祥の地

 この地附近は江戸時代 大山街道の宿場として大いににぎわい明治六年(一八七三年)●●●この地に●●明治九年一之宮学校を●●され現在の一之宮小学校の前身であり、寒川町南部の教育発祥の地である。●●●●」

読める部分だけ読んでみました。●は読めない部分です。

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 こちらが進行方向左手にある日蓮宗妙光寺です。

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 そしてこちらが進行方向右手(地図の(13))の金比羅宮です。

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 小さめな本殿です。


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田村道30:一之宮八幡大神

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 「箙(えびら)の梅」の中で、説明文中にでてきた、一之宮八幡大神に寄り道します。

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 寒川十字路バス停です。

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 ここが一之宮八幡大神の鳥居です。

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 五月五日にはこいのぼり祭が行われるそうです。(ちなみに訪問した日は4月29日でした。)

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 参道にはところ狭しとこいのぼりが飾られていました。

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 本殿にも御覧のようにこいのぼりがありました。

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 本殿の裏にはお稲荷さんがありました。

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 その横には石造物群がありました。


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田村道31:神明宮・景観寺

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 地図(17)の神明宮です。なんだかちょっとしょぼいです(笑)。

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 地図(15)の景観寺前交差点です。

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 その交差点のすぐ近くに窪田山景観寺があります。地図の(16)です。

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 本堂です。景観寺というくらいだからもっと景観がいいかと思いましたが、普通でした。

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 景観寺バス停です。今日の散策はここまでとします。これから寒川駅に向かい、相模線で厚木へ、そして小田急線に乗り換えて伊勢原へ戻ります。


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近江紀行1:JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ

大山道田村道のシリーズは一旦中断して、2月の近江鉄道と信楽高原鉄道のシリーズを始めます。

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2017年2月11日・12日と近江鉄道と信楽高原鐵道に乗ってきました。滋賀県の広範囲に大雪注意報というあいにくの天候でしたが、白銀の世界を楽しんできました。

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 今回使用したきっぷは「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」というものです。

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 JR東海管轄のJR在来線と16の私鉄が乗り放題で、東海道新幹線の熱海〜米原間は新幹線特急券を別途購入すれば4回まで乗ることができます。ただし「ひかり」「こだま」限定で、「のぞみ」は利用できません。

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 JR東海に属する御殿場線松田駅のきっぷ売り場で発券してもらえました。

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 これがそのきっぷです。

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 新幹線乗車用のきっぷです。今回は新幹線は往復の2回だけ使用しました。


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がん消滅の罠   完全寛解の謎

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[題名]がん消滅の罠   完全寛解の謎
[著者]岩木一麻
[発行]宝島社
[定価]1,490円
[発行日]2017/2/28
日本がんセンター呼吸器内科の医師・夏目は、生命保険会社に勤務する森川から、不正受給の可能性があると指摘を受けた。夏目から余命半年の宣告を受けた肺腺がん患者が、リビングニーズ特約で生前給付金3千万円を受け取った後も生存しており、それどころか、その後に病巣が綺麗に消え去っているというのだ。同様の保険支払いが4例立て続けに起きている。不審を抱いた夏目は、変わり者の友人で、同じくがんセンター勤務の羽島とともに、調査を始める。一方、がんを患った有力者たちから支持を受けていたのは、夏目の恩師・西條が理事長を務める湾岸医療センター病院だった。その病院は、がんの早期発見・治療を得意とし、もし再発した場合もがんを完全寛解に導くという病院。がんが完全に消失完治するのか? いったい、がん治療の世界で何が起こっているのだろうかー。


 医学的要素とミステリーの要素がたっぷりつまった傑作です。「このミステリーがすごい」大賞の大賞受賞作だけのことはあります。最後の最後まで驚かされます。


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近江紀行2:伊勢原〜米原

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 起床は4時15分。こういう時は起きられるから不思議です(笑)。あまり雪の降らない伊勢原でも前日から降雪となり、自宅から駅まで向かう途中の車にもご覧のような積雪でした。

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 早朝の伊勢原駅です。エスカレーターはまだ動いていません。ホームで待つこと15分。寒くてホカロンが欲しくなりました。一番電車で小田原へ向かいます。その次の電車でも間に合うのですが、雪のため遅れている可能性も考えて、一本早い電車に乗りました。慎重な性格なんです(笑)

伊勢原0513ー0548小田原 小田急線 各停 小田原行

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 小田原へは定刻に到着しました。そして売店でホカロン購入。これで防寒対策は万全です。新幹線ホームへ出ると、薄っすらと雪化粧していました。

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 三島駅を過ぎると進行方向右側に富士山が勇姿を見せてくれました。なんだか元気になります。そして静岡に停車してから再び出発します。

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 車内アナウンスとともに車内電光掲示板にも「名古屋〜新大阪までの区間は、降積雪のためスピードを落として運転しており、名古屋以西は30分〜35分ほど到着が遅れる場合があります」と何度か案内がありました。やはり雪の影響があるようです。豊橋までは晴天でしたが、名古屋に近づくにつれて雲が多くなってきました。

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 名古屋につきました。ここで乗り換えです。名古屋までは定刻で運転しています。

小田原0615ー0724名古屋 東海道新幹線 ひかり493号 広島行

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 名古屋で米原に停車するひかり495号に乗り換えます。スマホで確認すると、このように列車遅延の情報が出ていました。

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 名古屋を出てから新幹線はスピードを抑え気味で走行しています。岐阜羽島では3分遅れでした。大垣を過ぎて関ヶ原に差し掛かるころには降積雪がひどくなり、さらにスピードを遅くして走行しています。

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 雪の中を米原駅に到着しました。到着は8時ちょうどの予定でしたので、定刻から13分遅れです。

名古屋0737ー0813米原 東海道新幹線 ひかり495号 広島行


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近江紀行3:米原駅東口

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 新幹線改札を出て近江鉄道乗り場のある東口方面へ向かいます。

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 駅周辺の状況を知るために東口から外に出てみました。

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 かなりの積雪量ですね。

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 駅前には奥伊吹スキー場行きのバスが止まっていました。このあたりは豪雪地帯なんですね。

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 近江鉄道のホームを見てもご覧のような雪景色です。


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近江紀行4:近江鉄道米原駅

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 さぁ、近江鉄道に乗りましょう。走行音から地元では「ガチャコン」あるいは「ガチャ」と呼ばれ親しまれているようです。

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 金・土・日・祝日には1デイ・スマイルチケット(近江鉄道電車全線一日乗り放題)880円が発売されています。米原〜貴生川までの片道で1,030円ですから、かなりお得なフリーきっぷです。

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 ホームにも雪が積もっています。

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 貴生川まで約79分かかるようです。

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 米原駅名標です。

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 時刻表です。朝・夕を除き1時間に1本のダイヤになっています。


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近江紀行5:米原〜鳥居本

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 折り返す列車が入ってきました。

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 「赤電」と書いてあります。2両編成でワンマンです。ほとんどの列車が2両編成でワンマンでした。

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 シートはロングシートです。

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 米原駅を出発してから、すぐ左側に新幹線高速試験車両保存場が見えてきました。新幹線車両などが何両も展示されています。

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 次の駅は「フジテック前」です。エレベーターのトップメーカーのフジテックのエレベーター研究棟が右手に見えてきます。

米原0835ー0842鳥居本 近江鉄道 八日市行


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近江紀行6:鳥居本駅1

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 鳥居本駅で途中下車し、乗ってきた赤電を見送りました。

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 ホームには木造の待合室がありました。

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 構内踏切を渡って駅舎に入りましょう。

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 駅舎を抜けて正面から眺めます。開業時からの洋風建築の特徴的な駅舎です。

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「近江鉄道鳥居本駅
 明治二十九年(一八九六)に彦根、貴生川間の区間で開業した近江鉄道は、その後、昭和六年に彦根、米原間も開業し、同時に鳥居本駅舎も建設されました。
 その後建て替えられましたが、今も建設当時の全国の平均的な建築様式をそのまま継承しています。
 平成八年にはこの駅舎で、一八四時間におよぶ世界最長コンサートが開催されギネスブックに登録されました。」

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 駅名表示にも風格を感じます。

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 小さな雪だるまがありました。誰が作ったのでしょうね。


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近江紀行7:鳥居本駅2

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 駅舎の中から外を眺めます。

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 ドアや窓の上部は半円形になっていてお洒落です。

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 天井も特徴的な曲線美です。

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 入口上部のライトも洋風になっています。


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下戸は勘定に入れません

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[題名]下戸は勘定に入れません
[著者]西澤保彦
[発行]中央公論新社
[定価]734円
[発行日]2016/8/25
大学で教鞭をとる古徳先生はバツイチ・独身の50歳。人生に疲れ、酔って死ねれば本望とウイスキー片手に夜道を歩き始めたが、偶然、旧友・早稲本と出会ってしまう。いまや堂々たる実業家のこの男は、かつて古徳の恋人を奪って結婚したのだった。気まずさに逃げようとする古徳だが、早稲本の誘いを断りきれず、豪邸のホームバーで杯を傾けることに。やがて、酔った2人は28年前の晩へとタイムスリップしてしまう。 条件が揃うと、酒の相手を道連れに時間をさかのぼってしまう古徳先生。はたして失った恋の秘密を解き明かすことができるのか?池上冬樹氏、大森望氏、宇田川拓也氏、関口苑生氏など、ミステリ界が驚愕! 酒×SF×ロジック、西澤保彦の真骨頂が発揮された傑作ミステリ、待望の文庫化。


タイムトリップのミステリーです。なんだか最初は狐につままれた感じがしますが、その精緻なトリックにびっくりします。しかし、一緒に酒を呑むと過去にタイムトリップするといった発想がどこからくるのでしょうね。


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近江紀行8:佐和山トンネル

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 次の電車に乗りました。写真は彦根駅到着時のものです。

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 車体には石田三成いいひとプロフェクト「三成号」と書かれています。

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 車内には十六世紀末に石田三成が入城して大改修を行ったとされる佐和山城のことが書かれています。

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 電車は佐和山の麓を走り、やがて佐和山トンネル(340m)に入ります。トンネルを抜けると彦根駅です。

鳥居本0914ー0918彦根 近江鉄道 多賀大社前行


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近江紀行9:彦根駅

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 彦根駅名標です。

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 彦根駅です。ここでは右側通行になっています。右手の黄色い電車が今乗ってきた電車ですが、向こう側へ進みます。左手の青い電車は手前側に進みます。車両基地があるからでしょうか? (他はすべて列車交換を含めて左側通行だったように記憶しています。)

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 駅高架部から彦根車両基地を望みます。

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 近江鉄道ミュージアム会場もありました。

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 彦根駅西口の様子です。


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近江紀行10:彦根城1

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 駅前の観光案内所で彦根城への道を尋ねたところ、「歩いて10分。気をつけて」と言われました。いただいた地図を頼りに行くと、途中に護国神社がありました。

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「彦根城の外堀跡
 目の前に広がる凹地は、江戸時代の外堀跡です。かつては、現在の車道を含んだ堀幅があり、満々と水を湛えていました。江戸時代には、この外堀はさらに城下町の北東までまっすぐに伸びて御船入で松原内湖につながり、さらに琵琶湖に通じていました。
 彦根城は、内堀・中堀・外堀の3重の堀が城山を取り囲むように設けられ、城下町が広がっていました。現在、内堀と中堀は往時の姿を良好に留めていますが、外堀については戦後のマラリア対策により埋め立てられて道路(昭和新道)となり、当初の凹地のほか数ヶ所が残っているに過ぎません。(以下略)」

 3重の堀があったそうです。外堀跡はごくわずかしか残っていないそうです。ブラタモリならそこを訪ねるのでしょうけれど、私は彦根城へ向かいます。

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 こちらはいろは松です。当初はいろはの文字数と同じ47本あったことが名前の由来だそうですが、現存するのは33本だそうです。

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 井伊大老の歌碑がありました。
「あふみ(=近江、淡海)の海 磯うつ浪の いく度か
 御世にこころを くださぬるかな」

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 雪化粧したお堀端です。風情があります。
 

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近江紀行11:彦根城2

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 「琵琶湖八景
    月明 彦根の古城」とあります。

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 人気のあるゆるきゃらのひこにゃんが彦根城博物館前で出迎えてくれるそうですが、時間があわずに諦めました。

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 彦根城入口にひこにゃんがいました。

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 ず〜と階段を上っていきます。雪なのですべりやすく注意が必要です。

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 こちらは橋と天秤櫓です。
「天秤櫓(重要文化財)
 この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれている。嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元がら積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ西半分は落とし積みになっている。」

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 橋の欄干越しに琵琶湖方面を望みました。


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