
1978年10月19日の旅(5)


名寄からは昨日も乗った急行天北で旭川を目指す。名寄を出ると、左に名寄本線を、右に深名線を分け、真っ直ぐに南下する。線路が右にカーブすると東風連。風連別川を渡り、畑や牧草地の中を南西に進むと風連となる。風連で名寄行きの急行なよろ3号と列車交換である。

左に曲がり瑞穂仮乗降場を越えると、真っ直ぐに南下して多寄、下士別となる。

天塩川を渡り市街地に入ると士別。


剣淵川と犬牛別川を渡って北剣淵仮乗降場を過ぎて剣淵へ。

この先、左にカーブし水田の中を東六線を過ぎて和寒へ。名寄盆地は和寒で終わる。


和寒からはのぼり勾配となり標高273mの塩狩峠にある塩狩に着く。
明治42年(1909年)2月28日、国鉄の前身の鉄道員職員の長野政雄が偶然乗り合わせていた列車が連結器がはずれて客車が暴走しはじめた。長野政雄は客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。もちろん殉職である。今から約10年前に、三浦綾子がこの事故を主題に「塩狩峠」を表した。


ここからは下り勾配となり左の蘭留山(らんる)を回り込み、さらに下ると蘭留へ。

水田地帯を北比布(きたぴっぷ)、比布、南比布と進む。比布(ぴっぷ)がつく駅が三つ連続している。石狩川を渡り右にカーブすると北永山、永山と続き、左から石北本線が合流すると新旭川につく。永山で普通列車の稚内行きと列車交換した。

旭川四条を過ぎて右に90度曲がるとまもなく旭川に着く。
名寄1540-1657旭川 急行天北 宗谷本線 304D 【宗谷本線完乗】


今日の夕食は日の出食堂。昭和22年(1947年)の創業で、今年で開店31年目となる。夕刻になると肌寒いので醤油ラーメンで身体を温めよう。




まだちょっと小腹がすいているので、次に寄ったのは焼鳥専門店のぎんねこ。ここは昭和25年(1950年)の創業なので、今年で28年目となる。ビールを飲みながら串、ちゃっぷ、新子焼きと、食が進む。ちょっと食べ過ぎたようだ。今宵の宿は旭川ステーションホテル。北海道での最後の夜となる。なんだか名残惜しい感じだ。
<注釈>
(1)【数字】は参考資料リスト参照
(2)【数字】がないものは動画を含めて自分で撮影したもの(2006年10月、2012年10月)
(3)文章は主として【2】と【3】を参考にし、自分の体験を加筆した。
(4)宿泊施設は時刻表巻末のホテル旅館案内を参照した。
<参考資料リスト>
【1】国鉄監修 交通公社の時刻表1978年10月号 日本交通公社
【2】北海道4000キロ 宮脇俊三・原田勝正編集 小学館 1982/8/20
【3】北海道 地図の中の鉄路 堀淳一 亜璃西社 2014/12/4
【4】レールウェイマップル 北海道鉄道地図帳 2010
【21】鉄道の旅No.50 北海道1 宗谷本線・留萌本線 講談社 2004/1/29
【43】鉄道全路線 20 宗谷本線・留萌本線 朝日新聞出版 2009/11/29

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