FC2ブログ

14金谷坂の石畳:大井川鐵道オフミ

oi18gawa141a.jpg
 これから金谷坂の石畳を地図の矢印のように下る。

oi18gawa142a.jpg
 『島田市指定史跡 「東海道」 金谷坂の石畳
この石畳は、江戸時代幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人たちが歩き易いように山石を敷き並べたものであると言われています。近年、僅か30メートルを残す以外は全てコンクリートなどで舗装されていましたが、平成三年、町民約600名の参加を得て実施された「平成の道普請」で延長430メートルが復元されました。いま街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂のほか、箱根峠、中山道十曲峠の三箇所だけとなりました。   平成四年三月 島田市教育委員会』

 2005年(平成17年)に金谷町は島田市に合併されました。復元したときは“金谷町”だから町民だったわけですね。

oi18gawa143a.jpg
 ここが石畳の入口である。

oi18gawa144a.jpg
 こんな風に下り坂になっている。

oi18gawa145a.jpg

oi18gawa146a.jpg
 途中にすべらず地蔵尊があった。「安全に・滑らず・転ばず・着実に進めるように」と、商売繁盛、家内安全のほかに合格祈願などを願いお参りする方が多いようだ。平成5年に建立された。

oi18gawa147a.jpg
 『鶏頭塚  鶏頭塚は旧東海道の石だたみの坂道の途中にある塚の名のいわれとなった「曙も 夕ぐれもなし 鶏頭華」の句と「六々庵巴静寛保甲子四年(1744)二月十九日没」と刻んだ自然石の碑である。巴静というのは蕉風をひろめた江戸時代の俳人でその教えを受けた金谷の門人たちは師の徳を慕って金谷坂の入口北側の辺にこの句碑を建てた。この碑石は道路工事等に伴いその都度移動したが風雅の心ある地元の人々の心配りによって保存が図られて現在に至っている。なお塚の裏に位置する庚申堂は昔から土地の人々に信仰され徳川時代の大盗日本左衛門がここを夜働きの着替え場所としていたことが口碑として残っている。 東海道 金谷宿』

 鶏頭塚の写真は撮ってなかった。

 石畳の坂を下り終えるとカフェがあったが営業時間には少し早いようだった。



プロフィール

かめ

Author:かめ

FC2乗り鉄の会

鉄道旅行派の同好会に
参加しています。
(敬称略)


hmdの鐵たびブログ
ローカル線の旅
by hmd

写真を中心に「見る紀行文」で、
長期連載しています。


かめかめブログ
by かめ

鉄道、旅、B級グルメ、季節・・・


鉄・街・旅な、つぶやき日記
by あいあんさいど

鉄道、街歩き、旅…などなど。
いろんな思いを、感じたままに。


日本鉄道路線 制覇への挑戦!
by タカ&ヨシ

日本の鉄道、全路線を制覇に
挑戦しています。


本気で全線を走破したい
ぼんばーの日記
by ぼんばー

本気に全線走破をするまでの
過程を徒然と日記で綴ります。

カレンダー

04 | 2018/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

カテゴリ

月別アーカイブ

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。

FC2Blog Ranking

ブログ内検索

FC2カウンター