
[題名]人間の経済
[著者]宇沢弘文
[発行]新潮社
[定価]777円
[発行日]2017/5/10
富を求めるのは、道を聞くためーそれが、経済学者として終生変わらない姿勢だった。「自由」と「利益」を求めて暴走する市場原理主義の歴史的背景をひもとき、人間社会の営みに不可欠な医療や教育から、都市と農村、自然環境にいたるまで、「社会的共通資本」をめぐって縦横に語る。人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済思想の巨人が、自らの軌跡とともに語った、未来へのラスト・メッセージ。ベルリンの壁がなくなってから早くも30年になろうとしている。東西冷戦が終われば、平和な世の中になると思っていたのだが、現実はどうか。至る所で争いがおきている。自国の「利益」を追求しすぎるとどうなるのか、市場原理主義を推し進めていいのかどうかなど、多くの命題が突きつけられている。日本に関しても、アメリカの属国としての存在がメインであり、日本の発展に大きな足かせになっている。


延柳寺の前を通る。ナマズとウナギの案内図にはこう書かれている。
==========
延柳寺 えんりゅうじ
このお寺は戦国時代、今から約450年前の天正2年に順和和尚が開きました。
その時は、数万の死者を出した「織田信長」と「長島一向衆」の人々との間の激しい戦いが終わる時でした。
昭和に入り第二次世界大戦の時、梵鐘は金属供出命令で供出され、今の梵鐘は昭和24年に作られました。
ここの日曜学校で、お経を学んだ方もいますね。
のしろおたから発見隊
==========

右へ曲がり踏切を渡る。

次の路地を左に曲がると、すぐに野志里神社に着いた。

野志里神社の説明案内板があった。
==========
野志里神社(のじりじんじゃ)
野志里神社は延喜式(905年編纂の書物)に名を列ねる古社で、皇太神宮遷座の旧跡です。
「倭姫命世紀(やまとひめのみことのせいき)」という古典によると、垂仁天皇は、皇女倭姫命を御杖代(みつえしろ)と定められ、姫は天照大神(あまてらすおおみかみ)の御神霊と御神示(ごしんじ)をお持ちになり、新たに清浄な御鎮座の土地を求めて、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)を離れられた。この後、伊賀・近江・美濃・尾張などの各地を御巡幸、この伊勢国の野代の里に御遷幸されたと伝えられています。
その旧跡が、この野志里神社だといわれていますが、その時代にはもう少し山寄りであったと考えられます。
さてここにお祀りして四年、宇治の土公の祖(おや)、太田命(おおたのみこと)が地相を占い、「五十鈴川の川上に霊地があります。御先導申し上げます。」と奏(そう)し、姫はこれを聞き入れ、現在の伊勢市宇治に御到着になり、ここに御神域と御神殿を整え、皇太神宮をして奉祀(ほうし)することになりました。
こののち、大鹿島命(おおかしまのみこと)が祭主となり、倭姫命は斎宮となられて、奉仕されるようになりました。
桑名市教育委員会
==========

天照大神御旧跡式内野志里神社と書かれた大きな石塔がある。


御神木の大きな楠が立派にそびえていた。

こちらが神社である。

由緒が書かれた石碑があった。

小さいながらこちらが本殿だ。

野志里神社の案内板がこちらにもあり、とても歴史の古い神社であることがわかる。
==========
野志里神社 のじりじんじゃ
この神社は約2030年前、倭姫(やまとひめ)が天照大神をを永遠にお祀りする地を求めて各地を旅されました。
その時、天照大神をお祀りした旧跡です。
お祀りしている間、人々は倭姫命から農業、織物、治水など色々なことを学びました。
そして4年が経った時、もっと良い地を求め伊勢へと旅たたれました。そこが今の伊勢神宮です。
野志里神社は天照大神を一時的にお祀りしましたので元伊勢とも呼ばれます。
のしろおたから発見隊
==========

千人塚の由来も書いてあった。
==========
千人塚由来
一. 元亀二年(1571年)織田信長、長島一揆勢に敗北、双方の戦死者が葬られた。
二. 天正二年(1574年)織田軍に敗れ壊滅した長嶋一揆勢の戦死者が多数葬られた。
三. 慶長五年(1600年)関ヶ原の合戦に敗れた西軍の一部が当地を逃走その時の戦死者が葬られた。
供養 毎年八月十五日
==========

こちらにもこう書かれている。
==========
千人塚 せんにんづか
約450年くらい前の戦国時代の元亀・天正年間に、織田信長と長島一向衆の人々の間に激しい戦いが何回もありました。
一回目の戦は長島の法泉寺の僧侶、空明の作戦で勝ちましたが最後は長島一向衆が敗れ数万の人々が亡くなりました。
戦いが終わった時、空明は自分が僧侶の身である事を思い敵味方に関係なく関ヶ原の戦いで亡くなられて人々の霊も合わせ慰めました。戦争はかなしい事ですね。
のしろおたから発見隊
==========

帰りは別の道で帰ることにする。地図の矢印の方向に進む。

踏切を渡った正面にあるのが徳蓮寺。

==========
徳蓮寺
地元では「虚空蔵寺」あるいは「コクゾッサン」と呼ばれ親しまれているこの寺には、弘法大師が作られたという虚空蔵菩薩が本尊として祀られており、七年に一度の御開帳の折に拝観することができます。
(中略)
この寺の寺宝には、弘法大師と伝えられる「虚空蔵の菩薩」、県指定文化財である「紺紙金泥阿惟越致遮経巻下一巻」や「釈迦涅槃図」が有ります。また、本堂の壁には200枚を超えるナマズとウナギなどの絵馬が奉納されており、珍しい絵馬として有名です。
桑名市教育委員会
==========

こちらにはこう書かれている。
==========
徳蓮寺 とくれんじ
このお寺は平安時代、今から約1200年前に弘法大師が開きました。この本堂内には「ウナギとナマズ」の絵馬がたくさんあります。これは大地震の時、仏様が寺から流され行方がわからなくなりました。村人が探しに行ったところ仏様がウナギ、ナマズに守られていました事からウナギ、ナマズを絵馬に書くようになりました。
のしろおたから発見隊
==========
やっとナマズとウナギが描かれている理由がわかった。なるほど。

この長い階段を登ると徳蓮寺なのだが、、、、、登るのはやめよう。洒落にならないくらい汗をかいている。猛暑だけに、もうしょうがない!(笑)

そうこうしているうちに踏切が鳴った。あれっ、と思って振り向くと、桑名へ向かう反対方面への列車であった。
180715b下野代駅

おそらく次の下深谷駅で列車交換をするのだろう。

下野代駅に戻ってきた。

ホームの屋根の柱にはレールが使われているらしい。
==========
下野代駅 しものしろえき
養老鉄道は大正8(1919)年揖斐・桑名が開通し下野代駅ができたのは大正9年のことです。
その後、ホームに屋根を作った時、柱として古いレールがリサイクルされました。
その柱となったレールは1893年、明治26年にイギリスで製造された物です。
写真の電車は平成13年に南大阪線から来ました。
のしろおたから発見隊
==========

このように古いレールが使われていた。

[題名]地震と独身
[著者]酒井順子
[発行]新潮社
[定価]680円
[発行日]2016/9/1
2011年3月11日以降、震災をめぐる家族の物語は様々な形で語られてきた。一方で、あまり聞こえてこない独身者の声。地震は彼らにどんな影響を与えたのか?既婚者に代わり必死で働いた人、故郷の東北に戻った人、ボランティアに身を捧げた人、結婚を決めた人…。被災地を訪れ、独身者たちとの対話を重ねて見えてきた、「個」として生きる人々の多様な姿と、新たなつながりの可能性。
まだまだ強く記憶に残る東日本大震災。大津波が街を飲み込むあの映像を私は生涯忘れられないことだろう。そんな大災害を独身者の側の話をまとめた本。ドキュメンタリーである。酒井順子氏も独身なので、このような企画になったのであろう。2014年に単行本で出版されたが、文庫化された時には、何人かに再訪しておりその様子も記されている。身の軽い独身者がいかにがんばって、どのようにかかわって、その結果どうなったのか、詳細に記されている。

駅前タクシー乗り場はあるがタクシーはない。ネットで調べたら徒歩20分と書いてあったので歩いてみようか。

暑いうえに登り坂だ。最悪! 15分ほど歩くとレトロな街並みになってきた。

鯉料理の大黒屋が右手にみえる。創業260年の老舗だ。

こちらが入口。

ちょっと中をのぞくと落ち着いた雰囲気が広がっていた。

大黒屋の先にあるのは西大黒屋、その先が桔梗屋。両店とも創業300年を超える。ともに八壷豆(多度豆)が有名。

西大黒屋の前に説明書きがあった。
==========
宝永年間創始
古代銘菓 手作りの味
八壺豆
伊勢を詣でる人は必ず訪れたと云う北勢多度大社、古い門前町。
多度山を背景に八壺渓谷みそぎの滝の前で茶店の老婆が片手間に創り始めたと伝えられ、八壺渓谷の名を冠したものでみそぎの滝の滴こと落ちる銀色に輝く水滴に形どったものです。
当時の八壺豆は、形も小さく色も黒ずんでいましたが、大正時代になり製法に改良、向上を加え近代人の好みに合うべく工夫致し、現在は八壺豆(通称 多度豆)とも云われ広く販売されています。当店は厳選した材料を独自の製法に仕上げた自然食品です。滋養豊富な高雅なる風味は萬人に適しご参拝のお土産品として、贈答品としても好適品でございます。伸びざかりのお子様からお年寄りまで幅広くお召し上がりいただけます。
大正2年
褒状農工品品評檜賞
審査長正五位勲五等受賞
昭和59年
第20回菓子産業大賞受賞
==========


道を挟んだ反対側には池があった。
==========
宮川清めの池
清めの池は、清らかなる多度川の伏流水を利用して、宝暦年間にはすでにこの宮川の地に存在し、古くは垢離・掻池(みそぎ池)と称し、多度大社の参拝者は、ここで手を洗い、口をすすぎ身を清めて一の鳥居より神域に入ったと言われています。
現代でも五月の多度大社の祭礼には、この池の水で御旅所行列の途中、各御厨(奉仕地区)の祭馬のそれぞれ水を飼い足を清める習わしがあります。
多度大社社務所
==========
それほどきれいな水ではなかったと記憶しているが、昔は清らかな池だったのだろう。
さてスマホの地図を見ると、やっと半分くらい来ただけだ。登り坂と猛暑のため、拭いても拭いても汗がしたたり落ちる。このまま歩き続けると熱中症になってしまいそうなので、駅へ戻ろう。これは、勇気ある撤退なのだ。
多度駅の待合室は狭いながらもエアコンが効いている。椅子にはすでのお年寄りが座っていたので、隅っこで場所をとる。座れなくてもエアコンのおかげで息を吹き返すようだ。
当初の予定では養老の滝まで行こうと思っていたが、この暑さなので潔くあきらめる(笑)。

養老公園の中の養老天命反転地に行ってみよう。駅前に待っている無料のシャトルバスに乗り込む。シャトルバスに乗って出発を待っていると、案内の人が来て「養老天命反転地へ行かれる方はいますか?」と聞く。手を挙げると一枚のパンフレットを渡され「これを提示すると個人でも団体割引になりますよ」と話してくれた。なんと優しい対応なのだろう。

こども国の前のバス停で下車する。目的の養老天命反転地はすぐ先である。養老天命反転地の入口で渡されたパンフレットを見せると750円の入場料が団体割引の520円になった。

ここはオープンミュージアムのようになっており、日陰の場所は少ない。いろいろを歩き回って見て歩くしかないので、汗がものすごい。
写真には北方領土と北海道が写っている。芝生のところにあるのが択捉島で、その先の白いのが国後島。国後島の左側の小さな島々は歯舞、色丹である。知床や根室の納沙布岬も見える。
この中に日本が五つ隠されているようだが、いくつまでわかるだろうか?まずはここが一つ目。

コンセプトは「荒川修作とマドリン・ギンズの構想を実現した実験的なアートプロジェクトであり、現在の世界の絶望的な状況を希望ある未来へ転換させようとしている」となっている。なんだかよくわからない。さらに「そのためには“死”を前提とした消極的な生き方を改め、古い常識を覆すことが必要です。この死へ至る“宿命(天命)”を反転することを使命として活動を続けてきたのです」とある。少しわかったような気もするが、難しい。

ストリート表示のようだが、なんだかわからない。

高い場所から中を覗く。いろいろなものが目に入る。とにかく養老天命反転地の中を歩いてみよう。順路などというものはなく、ただ勝手にあっちこっちに歩けばよいみたいだ。

「運動路」という場所らしい。

左に見える黒と白のオブジェは「陥入膜の径」という。

ここにも小さな日本があった。これで二つ目。

芸術的すぎて私の理解を超えた不思議な空間が広がっていた。

ここにも銀色の日本があった。手前に北海道。真ん中やや左には紀伊半島が張り出し、その右側に中国・四国地方が見える。これで三つ目。1時間弱歩き回って疲労困憊。シャトルバスで養老駅に戻ろう。

養老公園の中の養老天命反転地に行ってみよう。駅前に待っている無料のシャトルバスに乗り込む。シャトルバスに乗って出発を待っていると、案内の人が来て「養老天命反転地へ行かれる方はいますか?」と聞く。手を挙げると一枚のパンフレットを渡され「これを提示すると個人でも団体割引になりますよ」と話してくれた。なんと優しい対応なのだろう。

こども国の前のバス停で下車する。目的の養老天命反転地はすぐ先である。養老天命反転地の入口で渡されたパンフレットを見せると750円の入場料が団体割引の520円になった。

ここはオープンミュージアムのようになっており、日陰の場所は少ない。いろいろを歩き回って見て歩くしかないので、汗がものすごい。
写真には北方領土と北海道が写っている。芝生のところにあるのが択捉島で、その先の白いのが国後島。国後島の左側の小さな島々は歯舞、色丹である。知床や根室の納沙布岬も見える。
この中に日本が五つ隠されているようだが、いくつまでわかるだろうか?まずはここが一つ目。

コンセプトは「荒川修作とマドリン・ギンズの構想を実現した実験的なアートプロジェクトであり、現在の世界の絶望的な状況を希望ある未来へ転換させようとしている」となっている。なんだかよくわからない。さらに「そのためには“死”を前提とした消極的な生き方を改め、古い常識を覆すことが必要です。この死へ至る“宿命(天命)”を反転することを使命として活動を続けてきたのです」とある。少しわかったような気もするが、難しい。

ストリート表示のようだが、なんだかわからない。

高い場所から中を覗く。いろいろなものが目に入る。とにかく養老天命反転地の中を歩いてみよう。順路などというものはなく、ただ勝手にあっちこっちに歩けばよいみたいだ。

「運動路」という場所らしい。

左に見える黒と白のオブジェは「陥入膜の径」という。

ここにも小さな日本があった。これで二つ目。

芸術的すぎて私の理解を超えた不思議な空間が広がっていた。

ここにも銀色の日本があった。手前に北海道。真ん中やや左には紀伊半島が張り出し、その右側に中国・四国地方が見える。これで三つ目。1時間弱歩き回って疲労困憊。シャトルバスで養老駅に戻ろう。
シャトルバスに乗って駅に向かっていると、駅から団体さんが大量に歩いてくる。こちらも鈴鹿市民歩こう会のメンバーのようだ。運転手さんの話では、時間をずらしてかなりのメンバーが養老の滝までのウォーキングに参加しているらしい。帰宅後に「鈴鹿市民歩こう会」を調べると、会員数なんと560人もの団体であった。恐るべし鈴鹿市民歩こう会!


養老駅に戻ると駅員さんに駅舎の説明をしていただいた。駅舎は1919年(大正8年)に改築されたものが現存しているという。来年でちょうど100周年だ。入母屋屋根と洋風の角付きドーマー窓の和洋折衷が特徴を出している。

駅名表示も名物のひょうたんを模している。

角度を変えて駅舎を見てみる。

駅舎の中のスタジオには、昔の駅名標があった。

また養老線開業当時の鳥瞰図も飾られていた。

これが駅舎内。昔ながらの構造が保たれている。

ここにも大きなひょうたんが飾られていた。


2種類の駅スタンプがあった。

駅名標もひょうたんだ。そろそろ養老駅ともお別れだ。養老だけに、また寄〜ろう!


養老駅に戻ると駅員さんに駅舎の説明をしていただいた。駅舎は1919年(大正8年)に改築されたものが現存しているという。来年でちょうど100周年だ。入母屋屋根と洋風の角付きドーマー窓の和洋折衷が特徴を出している。

駅名表示も名物のひょうたんを模している。

角度を変えて駅舎を見てみる。

駅舎の中のスタジオには、昔の駅名標があった。

また養老線開業当時の鳥瞰図も飾られていた。

これが駅舎内。昔ながらの構造が保たれている。

ここにも大きなひょうたんが飾られていた。


2種類の駅スタンプがあった。

駅名標もひょうたんだ。そろそろ養老駅ともお別れだ。養老だけに、また寄〜ろう!

[題名]老乱
[著者]久坂部 羊
[発行]朝日新聞出版
[定価]1,836円
[発行日]2016/11/30
在宅医療を知る医師でもある著者が描く迫力満点の認知症小説。老い衰える不安をかかえる老人、介護の負担でつぶれそうな家族、二つの視点から、やっと見えてきた親と子の幸せとは? 現実とリンクした情報満載の新しい認知症介護の物語。医師、家族、認知症の本人のそれぞれの切実な“不都合な"真実を追いながら、最後にはひと筋の明るいあたたかさのある感動の長篇小説。 著者は再発したがん患者と万策尽きた医師との深い葛藤をえがいた『悪医』で日本医療小説大賞を受賞している。
「介護がうまくいかない最大の原因は”ご家族が認知症を治したいと思うこと”なんです。」と言われてもなかなか理解できない。しかしこれが認知症介護の真実である。まさに不都合の真実がここにもあるのだ。「認知症を受け入れて肩の力を抜くことが大事なのです。」であるが、そこの境地に行けるかどうか? 認知症は治らないし、進行する病いであることを知らないと、介護していても感謝されず、介護虐待につながる可能性が高い。認知症高齢者がこれから急増する我が国の避けては通れない大問題が小説になった。

西大垣駅に戻る。車両基地が隣接している。

西大垣発大垣行きの列車に乗る。わずか一駅だけだが数多く設定されているのは需要があるのかもしれない。

この列車の乗客は私を含めて三人だけだった。

大垣駅に着いた。右側が今まで乗っていた西大垣方面の列車で、左側は揖斐行きの列車である。

普通の駅名標。

こちらは大垣城を模した駅名標である。

改札口を出たところ。手前の階段で転びそうになってしまった。その後、JR大垣駅の窓口で事情を説明し、樽見鉄道のホームまで行かせてもらった。樽見鉄道のきっぷ売り場はホームにあるので、そこで明日の1日フリー乗車券を購入できないかと相談した。ホームページによると「当日の午前8時から販売」と書いてあったが、8時以前の電車に乗る予定があるので交渉したのだ。
西大垣1133-1136大垣 養老鉄道

汗でズボンの中までびっしょりになりながら大垣駅前に戻るとさらしなにのれんが出ていた。大正8年創業の老舗の駅前食堂。老舗好き、そして駅前食堂好きの私としてははずせないお店である。店内は満員で最後のテーブルが空いていたというラッキーな状況であった。

蕎麦屋さんだがいろいろなメニューがある。迷いに迷って選んだのが、飛騨牛ざるそば。飛騨牛とざるそばのセットのメニューである。

忙しい時間帯だったので30分ほど待って注文の品が登場。待ち時間は長いが涼めたのでよかった。

冷たいそばののど越しにほっとする。

飛騨牛には関ヶ原の人の手作りニンニク味噌がちょこっとついている。ニンニク味噌を塗しながら飛騨牛をいただく。柔らかく美味しい牛肉だ。
猛暑を吹き飛ばすにはぴったりなメニューである。

[題名]旅と鉄道 2019年3月号
[発行]天夢人
[定価]1,000円
[発行日]2019/1/21
★特集 「鉄道遺産を探せ!」
鉄道創成期からの貴重な姿を今に残す、国の重要文化財や、近代化産業遺産に指定された駅や橋梁、トンネル、廃線跡などの、レトロな懐かしさもあり、国の発展を支えてきた威容の数々。畏敬の念すら感じさせる鉄道遺産にスポットライトを当てます。巻頭ルポには“鉄道BIG4”のひとり、タレントのダーリンハニー吉川正洋さんが登場。36カ所もの文化財がある鉄道遺産の宝庫、静岡県の天竜浜名湖鉄道を旅しています。
そのほか、橋梁や駅舎など、建造物の美しさを楽しみつつも、日本の複雑な地形と戦ってきた、鉄道の歴史ロマンに思いを馳せることができる旅へと案内します。
◆鉄道遺産めぐりを楽しめる5大鉄道遺産路線を紹介!
沿線に鉄道遺産が数多く残る路線を5路線リストアップし、豊富な写真とともに紹介しています。ぜひ、懐かしさを全身で感じられる旅へと出かけてみてください。
●わたらせ渓谷鐵道(桐生〜間藤/群馬県・栃木県)
●JR御殿場線(国府津〜沼津/神奈川県・静岡県)
●JR武豊線(大府〜武豊/愛知県)
●えちぜん鉄道(福井〜勝山・三国港/福井県
●肥薩線(八代〜隼人/熊本県・宮崎県・鹿児島県)
◆絶景かな! 思わず見たくなる橋梁・名駅舎・車両・廃線・保存車両を一挙77スポット紹介!
日本全国に点在する鉄道遺産のなかから、カッコよく美しい絶景鉄道遺産をリストアップ。建設当時のままの姿をとどめる、橋梁、駅舎、現役車両、廃線、保存車両のテーマごとに、一挙77スポットを紹介しています。心をとらえて放さない、懐かしさの中にある、鉄道遺産の美しさ、カッコよさを、ぜひ訪ねてみてください。
◆明治7年のSLが走り明治の鉄道黎明期の息吹を感じる「博物館明治村」(愛知県犬山市)を大特集!
日本初の鉄道開業1972(明治5)年のわずか2年後に輸入され、新橋〜横浜間を走った12号蒸気機関車が動態保存され、現役で走る姿を見ることができる「博物館明治村」。そのほか、歴代の御料車の中でも最も豪華とされる明治天皇用6号御料車、日本最古の電車である京都市電など、100年の時を数える鉄道シーンをレポート。
◆鉄道遺産は大都市にも!? 地形図を見ながら山手線周辺と、関西東海道本線周辺に鉄道遺産を探す!
地形図の愛好家グループで、テレビ番組などでも活躍している「東京スリバチ学会」「大阪高低差学会」、それぞれの代表による、地形図から紐解きだした、鉄道遺産発見の旅をレポート! 東京班は山手線を中心に、大阪班は東海道本線を中心に、鉄道沿線を歩いています。
◆全国鉄道遺産リスト
世界遺産・国の重要文化財・国の登録有形文化財・鉄道記念物に指定、登録された鉄道施設約390カ所の全リストを掲載。
今回は鉄道遺産の特集です。いつも楽しませてもらっていますが、旅に出たくなってしまうのが欠点です。

同じ列車が今度は大垣行きになって折り返す。


サイクルトレインなので多くの自転車も乗車している。

バラの街の広神戸の駅名標はバラである。ここでも下車して日吉神社を参拝する予定だったが猛暑にて断念する。猛暑だけに、もうしょうがない!

今日のウェザーニュース
==========
岐阜で38.3℃、今年の国内最高気温 京都でも38℃超え(15日15時時点)
7/15(日)15:25配信
15日(日)は前日よりも各地で暑くなっています。岐阜県の揖斐川(いびがわ)では午後に今年の最高気温を更新、38.8℃に達しました。
全国のアメダス地点のうち真夏日が前日よりも662ヶ所、猛暑日が176ヶ所とすでに昨日の猛暑日地点数を上回っています。(14時の時点)
◆最高気温TOP3(15時時点)
岐阜県 揖斐川 38.8℃
京都府 福知山 38.8℃
京都府 京都 38.7℃
◆主要地点気温(15時時点)
東京 33.5℃
名古屋 36.2℃
大阪 34.9℃
倉敷 34.9℃
広島 33.1℃
屋外でのレジャーでは熱中症対策が必須です。屋内でも冷房を利用してこまめに水分を摂るようにしてください。急ぎでない外出は暑さが緩む朝晩がおすすめです。
==========
揖斐1435-1500大垣 養老鉄道
│
ホーム│
最近のコメント