
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

江戸大山まいりすごろくの手ぬぐいにも池尻のそばに池尻稲荷神社が描かれている。

ここが池尻稲荷神社の入口である。この神社は池尻・池沢両村の村人によって建てられ、子育て、火伏せの稲荷として信仰されていた。境内には薬水の井戸があり、大山街道、富士街道の旅人や付近の農村の人々の飲料水に使われていた。薬水と井戸は涸れずの井戸とも呼ばれていた。

旧大山道と書かれた石碑があった。

涸れずの井戸の由来が書いてあった。
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涸れずの井戸(かれずのいど)
この池尻稲荷神社の入口わきに、昔「涸れずの井戸」と呼ばれる井戸がありました。これはどんなに日照りが続いても、涸れることなしに、いつも豊かな水をたたえていたので、こう言われていました。この前の大山道旧道を往き来する旅人や野菜を運ぶ農民ののどをうるおし、まわりの人々に大変尊ばれました。とくに、雨乞いのための大山詣の際には、必ずここに立ち寄ったと言われます。現在も、この水は、境内の中にあり、みなさんにおいしい水を提供しています。
この像は、江戸後期近くの商店に奉公に来ていた少女が、奉公先の子どもといっしょに、ここに水を汲みに来た際、たぶんついでに「かごめかごめ」の遊びをしたであろう様子を想像してつくったものです。どうぞ、昔の風景を思いうかべてみてください。
平成元年3月 世田谷区
せたがや百景(2) 大山道と池尻稲荷 昭和59年10月選定
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子供たちが「かごめかごめ」で遊んでいる様子だ。


池尻稲荷神社と拝殿である。またも旅の安全を祈願した。
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