
(29)一里榎跡
(30)庚申堂
(33)常夜灯
(34)高札場

(30)庚申堂
(34)高札場

(28)鍛治橋を渡ってすぐに左折する。


この右手の建物がある場所に(29)一里榎があったらしい。

(30)庚申堂があった。
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「いわれ(由来)
この庚申塔は、その昔寛政5年(西暦1793年)徳川時代中期に荏田村下宿の婦人達によって建てられたもので当時盛んだった庶民信仰の一つに疫病、厄払いの為60日ごとの庚申の日に講中の人(女)が集まって眠らずに祈願し、一夜を過ごす風習があったそうです。
ここは昔栄えた大山街道の道筋で江戸を発った旅人の1日目の宿場の入口でもあり道標としても親しまれてきました。又、交通安全、幼童安穏の神としても知られ遠方から訪れる人もあります。本年下宿講中の仲間が集まり昔を偲び心のよすがにもと古びた祠を改築いたしました。
平成6年11月 下宿庚申講」
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そして広い道にでる。

右側にはJAがあった。
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