
(19)テニスコート
(20)医薬神社
(21)藤が丘ゴルフ場
(22)坂のピーク
(23)横浜市藤が丘地区センター
(24)和菓子店

(20)医薬神社
(21)藤が丘ゴルフ場

一里榎を離れて次を左折する。

そして左手にテニスコートを見ながら次を左折。旧街道に沿った道が残っていないので、右左折しながら旧街道に近い道を歩むことになる。

まっすぐの登り坂を登る。

ここが医薬神社前交差点である。

その角には柿の木台第三公園がある。地元の子供たちが3人で仲良く遊んでいた。

そして公園の隣に(20)医薬神社がある。

由緒がかかれた案内板がある。
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「醫藥神社略誌
一、鎮座地 横浜市青葉区柿の木台28-2
二、御祭神 大国主神 少彦名神
三、由緒
戦国時代末期の天正年間(1573~1592)、真言宗関東三ケ寺の一つとして創建された醫王山藥師院東光寺の境内に山号の「醫」、寺号の「藥」を取り、「醫藥神社」として祀られたのが始まりという。
江戸時代末期、水戸藩主徳川斉昭の庶子として生まれた東光寺住持諦恵が明治初年に新政府が神仏分離令を発布したとき水戸神道を奉じて僧侶から神職となり、近隣の上谷本・下谷本・上市ケ尾・成合の四ヶ村の檀家は神社神道に改宗し、東光寺を廃祀して醫藥神社を独立創祀した。
諦恵はこのとき谷本の村名を姓として名乗り、こんこんと湧き出る境内の井戸に因み泉と称した。
当初の社殿は、一尺五寸四方の小祠で、昭和の初期に改造営したが、戦後に至って朽ち果てたため新社殿を再建し、昭和42年3月21日遷座奉祝祭を斉行した。
その後土地区画整理事業により町並みが一変したため、社殿の向きを南向きに変えた。
御祭神大国主神は、親子で手を携えて国を回ったといわれる故事により縁結びの神様として広く信仰されている。
また、大国主神が稲羽の素兎を助けた神話に因み、病気平癒・厄除・安産成就・無病息災・延命長寿のご利益のある神社として遍く崇敬されている。
四、祭事(略)
五、交通
東急田園都市線藤が丘駅下車徒歩10分 醫藥神社 宮司 山本孝司」
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明治地図ではだいたいの場所を示してあるが、少し違うのかもしれない。

拝殿がある。

拝殿の裏には庚申塔のようなものがあり「左 大山道」と彫られていた。

またその隣には地蔵堂がありやはり「左 大山道」と彫られていた。
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