
久慈駅到着は定刻通りの8時57分。もう少しで九時だった(笑)。

八戸線久慈駅のスタンプ。北限の海女の駅と書いてある。

こちらがJR久慈駅の駅舎。

久慈駅前には文字通りの駅前デパートがある。あまちゃんの撮影では北三陸観光協会の事務所が入っている設定になっていたようだ。

==========
北三陸観光協会
ビル3階に、北三陸観光協会の事務所が入っている設定。“北三陸をなんとかすっぺ(K3NSP)合同会議”が行われた設定となっています。駅前を見渡せる場所として度々劇中に登場。アキたちが作った「北三陸鉄道」「北限の海女」「潮騒のメモリーズ」3種類のデザインをモチーフにした看板が健在しています。
==========

駅から徒歩2-3分のところにあまちゃんハウスがあった。




あまちゃんで使われた小道具や衣装がおいてある。しかしテレビを見ていなかったので、今一つ感慨が大きくない。

あまちゃんハウスから道の駅くじ・やませ土風館へ行く途中に柔道の三船久蔵十段の像があった。

==========
三船久蔵十段 出生の地
三船久蔵は、明治16年(1883)に旧久慈町で生まれました。
明治29年(1896)久慈尋常高等小学校(現:久慈小学校)を卒業、明治30年(1897)宮城県第二中学校(通称:仙台二中)に入学し、この頃初めて柔道と出会い次第に頭角を現しました。
明治36年(1903)に上京、嘉納治五郎が設立した講道館に入門、昭和20年(1945)には講道館最高位である十段に昇りつめました。三船久蔵62歳の時でした。現在まで十段昇段者は15人しかおらず、三船久蔵は4人目の十段昇段者です。
身長159㎝、体重55㎏の小兵ながら、「空気投げ(隅落し)」など究極の技を編み出しました。生涯を通じて柔道の発展に尽力し数々の業績を残し、昭和29年(1954)久慈市名誉市民第1号となりました。
昭和40年(1965)1月27日、永眠。82歳の生涯でした。
ここは、三船久蔵の生家があった場所です。三船十段記念館には三船久蔵の資料が展示され、その業績を知ることができます。
2015年8月 久慈市・久慈市教育委員会
三船久蔵十段出生地記念碑建立事業実行委員会
==========
すごい人がご当地出身なんですね。
最近のコメント