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153下鶴間ふるさと館:大山街道(5)

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 (36)下鶴間ふるさと館

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 赤丸あたりか。

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 高札場跡の裏側に建物があった。これが下鶴間ふるさと館だ。

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旧小倉家が復元されており展示館になっている。

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大和市下鶴間ふるさと館のご案内
 ふるさと館には市指定重要文化財の旧小倉家住宅母屋と土蔵が復元されています。母屋は安政3年(1856)に建築されたもので宿場の商家建築として県内でも数少ない建物です。建物の床材から、墨で書いた黒船の絵や「安政3年」という年紀が発見されています。土蔵は前身建物の古材を用いて大正7年に同じ規模で再建されたもので、商家の付属建築です。一般的に袖蔵といわれ、商品などを保管しておくものです。
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 外壁には大きな写真があった。明治4年の下鶴間宿の様子だ。「Tsuruma」とあるので、鶴間と下鶴間で一つの宿だったのかもしれない。

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下鶴間宿 The Village of Tsuruma(明治4年)横浜美術館蔵
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 下鶴間ふるさと館の全景。

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 「秋の下鶴間宿」という復元ジオラマがあった。

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 中央を横に走る道が矢倉沢往還で、矢印が下鶴間ふるさと館。右へ行くと長津田(横浜市)方面になる。

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 当時のよろず屋にはいろいろな薬品が置いてあったようだ。

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小倉家と薬
 小倉家は幕末の創建時から昭和20年代初め頃まで雑貨商を営んでいました。4代目祐一氏の時代(昭和初期)に金物を多く扱うようになり、「金物屋」と呼ばれるようになります。その当時のものと思われる「小倉祐一商店」の「布袋」には、「建築材料、和洋金物、薬品売薬」と記されており、「万屋」と呼ぶにふさわしい商店であったことが伺えます。
 薬品・医療用品は、軟膏、丸薬等の飲み薬、座薬、殺虫剤、注射液、石鹸、栄養剤、シッカロール、薬品、マスク、分娩用紙、染料、整髪料、目薬、蚊取り線香など本当に多岐にわたっています。当時の「薬屋」にこれだけの品揃えが必要とされていたことは、周辺の農村部で必要とされていたことにほかなりません。農村部での医薬品の利用状況を知るうえでの大変貴重な資料をなっています。
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 征露丸もよく売れたのでしょうね。今でも使われてますからね。

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征露丸(正露丸)
 木クレオソート(樹木を原料とするフェノール系化合物の混合物)を主成分とした吐瀉薬。
 明治35年(1902)、「忠勇征露丸」と名付けられたもの。日露戦争は発売直後の明治37-38年(1904-05)。40数年後第二次世界大戦終戦。他国を征服するという名称は国際信義上好ましくない、との理由により、「正露丸」と名称変更された。今では、さまざまな医薬品製造会社から「正露丸」の名称で販売されているが、現在でも「征露丸」の名称で販売している製薬会社もある。
 ロシアとの関係悪化、日露戦争の勝利、ポーツマス条約に対する世論の反発といった世情により、「征露」という言葉は当時の流行語だった。世の中には、「征露画報」「征露戦報」「征露蚊帳」などさまざまな「征露」商品があふれた。
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 高木軍医の洞察力が森軍医を上回った有名な話です。

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征露丸と文豪
 日清戦争(明治27-28(1894-95)年)当時、日本陸軍の戦没者の3分の1は戦闘による死者ではなくビタミンB1の欠乏による脚気での死亡者であり、脚気対策は陸軍が解決すべき大問題となっていた。当時はビタミンが発見されておらず(最初のビタミンの発見(B1)は明治43(1910)年)、脚気は原因不明の病であった。日本独特の風土病、白米に毒物が含まれているなどが考えられていたが、陸軍で脚気対策を担当していた森林太郎軍医は未知の細菌感染によるものと考え、日露戦争では殺菌効果を期待して「征露丸」を兵士に服用させることとした。下痢や腹痛には効果があったものの脚気には効かず、30,000人近い兵士が脚気により死亡する結果となる。
 一方海軍では、脚気は白米を主食とする日本人の栄養の偏りによるものという高木兼寛軍医の仮説を元に、主食にパンや麦飯を採用していたため脚気による犠牲者はほとんど見られなかった。
 脚気細菌原因説の軍医森林太郎、森鴎外その人である。
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 こんな提灯も飾られていた。

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 薬研坂や薬研掘などで名を残している。

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薬研(やげん)
生薬をすりつぶす道具。
鉄や合金、陶器などでできています。
生薬には金属をいやがるものもあるので、木でできた薬研もありました。
舟のかたちのうつわに、コマを横にしたようなかたちの刃を前後に転がして使います。
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 渡辺崋山の「游相日記」には下鶴間宿の様子が書かれている。

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まんじゅう屋の家(「游相日記」より)
 江戸時代後期の南画家・蘭学者として知られる渡辺崋山は、天保2年(1831)9月三河国(愛知県)田原藩主の異母弟三宅友信の命を受け、友信の実母お銀を訪ねるため相州厚木に旅をします。この旅の様子は崋山が書き記した「游相日記」によって知ることができます。
 崋山は9月20日江戸を出発し、翌21日に下鶴間村の旅籠「まんぢう屋」に宿をとりました。この時の様子をまんじゅう屋のスケッチとともに記しています。
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