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177相模国分寺跡(3):大山街道(6)

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 相模国分寺跡の説明文があった。

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 法隆寺に似た建物配置で、東西240メートル、南北300メートル以上と有数の規模を誇っていたようだ。

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 奈良時代、聖武天皇は仏教の力で国の安寧を図るため諸国に国分寺の建立を命じました。相模国分寺もその一つで、8世紀後半には建築が始まったとみられます。七重塔と金堂を東西に、講堂を北側に配置する法隆寺に似た建物配置をとり、回廊と築地塀で周囲を囲んでいます。その外側は素堀りの溝で区画され、寺の範囲は東西240m、南北300m以上と諸国の国分寺跡の中でも有数の規模を誇ります
 七重塔や僧房などの建物は、多くの瓦が出土していることから瓦葺きだったとみられます。瓦は乗越瓦窯(横須賀市)、その後、瓦尾根瓦窯(東京都町田市)などで焼かれたものが使用されています。また、塔跡や金堂跡などの礎石は中津川上流から運ばれています。相模国分寺跡近くの逆川跡は、これらの資材を運ぶために人工的に開削された運河とみられています。
 通常国分寺は国府の近くに建立されますが、相模国では、国府は大住郡(平塚市)、国分寺は国府から約12キロも離れた高座郡(海老名市)におかれました。これは大住郡と高座郡の郡司が壬生氏という同じ氏族であったからではないかとされています。ここから500mほど北には、相模国分尼寺も置かれ、二寺が並び立つ様子は壮観だったことでしょう。
 相模国分寺は平安時代中頃まではこの場所で存続していたとみられますが、中世には判然としなくなります。江戸時代には現在の東光山国分寺の場所へと移り、その法灯が受け継がれています。
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 「National Historic Site Sagami Kokubunji Temple Remains」。英語表記がなんだかオシャレだね。

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 ここは寺の僧が生活していた僧房跡である。東西81メートル以上と長い建物で、9区画に仕切られていた。

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 僧房の遺構も埋め戻して保存してあるそうだ。

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 ここに、国分寺の僧が集団生活をしていた施設である僧房がありました。僧房は塔や金堂、講堂とともに奈良時代の寺院を構成するために必要な建物でした。1966年と1996年に行われた発掘調査により、東西81m以上の長大な建物で、東西9m、南北6.57mを1居住単位とし、9区画以上に仕切られていたことなどが確認されました。
 柱穴を調べたところ、柱の下部を地中に埋める掘立柱建物から、柱を礎石の上に建てる礎石建物へ建て替えられたことも判明しました。柱は直径約30cmと推定され、柱が沈み込まないよう根元に石や瓦を置く礎板も見つかりました。さらに、掘りなおされた痕跡が確認されたもの、柱穴の中に焼けた瓦や土器が廃棄されたもの、焼けた土で埋め戻されたものが確認されました。
 これらのことから、火災などによって2回の建て替えがあったものと考えられます。
 見つかった僧房の遺構は、長く将来に伝えていくために埋め戻し保存し、その上に僧房の規模や構造がわかるよう、壁や柱の位置を表示しています。
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