
4階の操舵室です。

操舵室の片隅に号鐘(ごうしょう)が展示されていました。

青函連絡船は廃止されましたが、津軽海峡フェリーは運航しています。函館〜青森(1日8便)の他に、函館〜大間(1日2便)の航路もあります。

操舵室から前方を眺めます。

展望台から右手(東側)を眺めます。

展望台から後方(南側)を眺めます。

こちらは無線通信室です。モールス信号などを打っていたのでしょう。
ここの操舵室にボランティアの解説ガイド役のおじさんがいました。元船員で、定年退職後ですからおじいさんでしょうか。なかなかパワフルで面白い解説をしてくれました。人と貨物列車を運んだ連絡船ですが、時代とともに増えてきたトラック輸送に対応するために、連絡船にトラックと積み込んでしまおうと、何度も提案したそうですが、上層部の「トラックは国鉄の敵だ!」という考えでトラックは運べなかったようです。また原則として客車は積み込まなかったようですが、戦後のGHQの要請で一度だけ外人専用客車を載せたことがあるようです。他には、養成学校が縮小してきているので、このままでは日本人の船乗りがいなくなることや、田中角栄は偉大だ(日本各地を発展させた)などの、持論と蕩々と述べていました。なかなか楽しいガイドさんでした。

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