東北紅葉5:松尾鉱山跡

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 ビジターセンターを出て、売店の男性にお礼をすると、「八幡平アスピーテラインの途中の松尾鉱山跡までなら行けるよ」という新たな情報を得ました。八幡平アスピーテライン周囲の紅葉で目の保養をしながら坂道を登っていくと松尾鉱山跡らしき場所につきました。なんだかかなり荒れています。

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 なんだかアパートらしき廃墟が目につくようになりました。

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 こんなにたくさんのアパートの廃墟があり、まるで異次元に迷い込んでしまったかのようです。とにかく、すごい! です。

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 4-5階建てのアパートがところ狭しと何棟も建っていました。

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 反対側には雪を頂いた八幡平山頂が優雅な姿を見せていました。小学生の頃、切手収集をしていたのですが、当時の十和田八幡平国立公園の記念切手の図柄と同じ風景でした。なんで、40年以上たっても急に思い出すのでしょうね。

 帰宅後、松尾鉱山について調べてみました。

「当地に硫黄を産する事実は古くから知られていたらしく、寛政8年(1766年)に書かれた「寄木村茶臼ヶ嶽下通、沢目筋」の硫黄の調査願いの文書があり、1879年(明治12年)にも硫黄鉱山の存在が記録されている。(中略)1911年(明治44年)に横浜の貿易会社増田屋が参画し、経営を掌握してから、多額の投資による本格的な採掘が始まった。鉱山がある標高約900メートルの元山(現在の八幡平市緑ヶ丘)から麓の屋敷台(東八幡平、現在の八幡平市柏台)まで索道を通し、1934年(昭和9年)に東八幡平駅から花輪線大更駅まで松尾鉱業鉄道を敷いた。一時は日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占め、東洋一の産出量を誇ったが、高度成長期になると硫黄の需要減や輸入の増加で採算が悪化。さらに1960年代後半、石油精製工場において脱硫装置の設置が義務付けられたことで、脱硫工程の副生成物として得られる硫黄の生産が活発化し、硫黄鉱石の需要は完全になくなっていった。生産コストの低減を図るために露天掘りへの転換も進められたが、1969年(昭和44年)に会社更生法を申請して倒産、全従業員が解雇された。黄鉄鉱に絞った新会社が設立されたが、これも1972年(昭和47年)に鉱業権を放棄して倒産し、完全な閉山になった。」

と書いてありました。

 別のサイトには、

「松尾鉱山は19世紀末から1969年まで岩手県八幡平にあった東洋一の規模を誇った硫黄鉱山です。最盛期には従業員数4,000人、鉱山の人口は従業員とその家族を合わせて15,000人を数え、鉄筋コンクリート造りのアパートや病院、学校、劇場などが次々と建設されるなど、標高1,000mの上に造られた近代年は“雲上の楽園”と称されたそうです。昭和30年代に入り、安い外国産の硫黄の輸入などにより、昭和44年(1969年)に閉山。閉山後、木造の建物を焼却され、鉱山施設も残っていませんが、当時の鉱山の繁栄ぶりを象徴する鉄筋コンクリートの建物だけが丘の上に残っています。」

とも記されています。

 それにしても大きな鉱山だったようですね。一度でいいから、最盛期の“雲上の楽園”を覗いてみたかったです。


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