田村道23:河原不動尊

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 地図では河原橋のすぐそばにある河原不動尊です。(本当はここに河原橋はなく、(4)の上の赤二重線の場所です。)

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 河原不動尊の全景です。道路がカーブを描いているのがわかります。

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 こんな感じの建物です。

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 一之宮不動堂と記載してあります。昔の一之宮村にあるので、こう呼ばれていたのかもしれません。

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 河原不動尊の説明がありました。

 「本尊は、不動明王坐像と二体の眷属(けんぞく)(お供の仏像)からなる不動三尊像です。不動明王坐像は江戸時代初期の作とみられ、宝暦三年(一七五三)に江戸芝口(東京港区)の初音屋平吉が修理した。との「胎内納入名札」に記されています。この坐像と眷属一体の制咜迦(せいたか)童子像は、共に寄木作りの非常に上手な技巧による佳作と評されています。お堂の前にある力石は道標も江戸の人達が、二百三十年頃前に奉納したものです。このようにこの不動尊は、江戸とのつながりが深く、江戸時代には観光ルートとしても著名であった。目の前の大山道を、多くの道者達が往来し、大山参詣が栄えた様子を物語る史跡といえましょう。「新編相模国風土記稿」にこの不動尊について、「村民持ち大山道にあり」と記され、村人達が安寧を願い、寄り合い所として長い年月にわたり大事に守り続けて来たことがうかがえます。また同稿には「田村(相模川対岸の現平塚市田村)にあり(旧一之宮村の)現在地に移された」との記されていますが、詳細は定かではありません。
  平成十九年十二月
  (一之宮河原地区住民による)   不動尊維持管理会」

 自治体ではなく、地域住民による維持管理会が組織されているのはとても素晴らしいことです。

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 道標もありました。「右大山道」としっかりと読み取れます。

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 大山街道の説明もありました。

 「江戸時代、大山講と称する講が関東一円にひろがり、江戸から大山阿夫利神社へ幾本かの大山街道が発達したが、最も隆盛を極めたものが東海道という一番安全な道を利用し、昔語りの名勝地となった鎌倉や行楽地の江の島を訪れてのコース〜東海道藤沢の西、四つ谷から西方に進み、大曲、中瀬、一之宮から田村の渡しを経て大山に通じる〜この道であった。」

 こちらは寒川町教育委員会でした。


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