
こちらが神社である。

由緒が書かれた石碑があった。

小さいながらこちらが本殿だ。

野志里神社の案内板がこちらにもあり、とても歴史の古い神社であることがわかる。
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野志里神社 のじりじんじゃ
この神社は約2030年前、倭姫(やまとひめ)が天照大神をを永遠にお祀りする地を求めて各地を旅されました。
その時、天照大神をお祀りした旧跡です。
お祀りしている間、人々は倭姫命から農業、織物、治水など色々なことを学びました。
そして4年が経った時、もっと良い地を求め伊勢へと旅たたれました。そこが今の伊勢神宮です。
野志里神社は天照大神を一時的にお祀りしましたので元伊勢とも呼ばれます。
のしろおたから発見隊
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千人塚の由来も書いてあった。
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千人塚由来
一. 元亀二年(1571年)織田信長、長島一揆勢に敗北、双方の戦死者が葬られた。
二. 天正二年(1574年)織田軍に敗れ壊滅した長嶋一揆勢の戦死者が多数葬られた。
三. 慶長五年(1600年)関ヶ原の合戦に敗れた西軍の一部が当地を逃走その時の戦死者が葬られた。
供養 毎年八月十五日
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こちらにもこう書かれている。
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千人塚 せんにんづか
約450年くらい前の戦国時代の元亀・天正年間に、織田信長と長島一向衆の人々の間に激しい戦いが何回もありました。
一回目の戦は長島の法泉寺の僧侶、空明の作戦で勝ちましたが最後は長島一向衆が敗れ数万の人々が亡くなりました。
戦いが終わった時、空明は自分が僧侶の身である事を思い敵味方に関係なく関ヶ原の戦いで亡くなられて人々の霊も合わせ慰めました。戦争はかなしい事ですね。
のしろおたから発見隊
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帰りは別の道で帰ることにする。地図の矢印の方向に進む。

踏切を渡った正面にあるのが徳蓮寺。

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徳蓮寺
地元では「虚空蔵寺」あるいは「コクゾッサン」と呼ばれ親しまれているこの寺には、弘法大師が作られたという虚空蔵菩薩が本尊として祀られており、七年に一度の御開帳の折に拝観することができます。
(中略)
この寺の寺宝には、弘法大師と伝えられる「虚空蔵の菩薩」、県指定文化財である「紺紙金泥阿惟越致遮経巻下一巻」や「釈迦涅槃図」が有ります。また、本堂の壁には200枚を超えるナマズとウナギなどの絵馬が奉納されており、珍しい絵馬として有名です。
桑名市教育委員会
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こちらにはこう書かれている。
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徳蓮寺 とくれんじ
このお寺は平安時代、今から約1200年前に弘法大師が開きました。この本堂内には「ウナギとナマズ」の絵馬がたくさんあります。これは大地震の時、仏様が寺から流され行方がわからなくなりました。村人が探しに行ったところ仏様がウナギ、ナマズに守られていました事からウナギ、ナマズを絵馬に書くようになりました。
のしろおたから発見隊
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やっとナマズとウナギが描かれている理由がわかった。なるほど。

この長い階段を登ると徳蓮寺なのだが、、、、、登るのはやめよう。洒落にならないくらい汗をかいている。猛暑だけに、もうしょうがない!(笑)
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