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44美江寺宿:あおなみ線・養老鉄道・樽見鉄道紀行

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 このあたりは旧中山道になる。「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んだ女子アナが昔いたっけ(笑)。

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 瑞穂市指定史跡美江寺一里塚跡とある。ここは以前巣南町だったが、2003年(平成15年)に穂積町と合併して瑞穂市になった。

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 ここが美江神社である。

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 そして中山道の美江寺宿はこのあたりだったようだ。

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 そしてこちらは美江神社内にある美江寺宿跡の石碑

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 説明書きがあった。

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中山道美江寺宿跡

 美江寺は既に、天正17年(1589)豊臣秀吉の下知によって、問屋場が設けられ、往還の荷物中継ぎの業務に当たっていたが、江戸時代になって中山道が整備されるに及んで、近世宿場制による駅伝業務を担当する宿場となった。寛永14年(1637)4月伝馬役家と歩行役家各々25軒を定めて問屋の支配下に置き、交通業務に当たったのが、美江寺宿の公式開設である。
 宿場の機関の一つである本陣は、宿場開設より32年後の寛文9年(1669)春、時の領主加納藩の戸田丹波守光永によって建設され、問屋山本金兵衛が管理を兼ねた。以後、山本家が世襲して宿駅制廃止まで継承した。
 一般旅人のための旅籠は茶屋は年代により増減があったが、これは幕府改革の影響であろう。文久元年(1861)10月26日の和宮親子内親王江戸下向の途次、当宿御小憩と、慶応4年(1868)2月20・21両日、当宿を発信地とした、東征軍東山道鎮撫隊のことは、当宿交通史の特記事項である。
 明治3年(1870)閏10月、民部省布告による宿駅制廃止に伴い、宿場の歴史を閉じた。
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 美江神社内には高札場を復元したものもあった。

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 美江神社の前を左折して宿場が延びているのがわかる。

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 こちらは美江寺宿本陣跡。残念ながら本陣は残っていない。

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