FC2ブログ

25道標:大山街道1

oh19kai250m.jpg
(3)道標

oh19kai250mo.jpg
(3)道標
 明治地図にも玉川通りと世田谷通りは描かれている。茶沢通りはまだなかったのだろう。

oh19kai251.jpg
 世田谷通りは都道3号線だ。

oh19kai252.jpg
 分かれ道の場所に道標があった。立派な道標だ。

oh19kai253.jpg
【正面】には「左相州通、大山道」と書いてある。

oh19kai254.jpg
【左側面】には「右富士、世田谷、登戸道」と読める。

oh19kai255.jpg
【右側面】には「此方、二子通」となっている。

oh19kai256.jpg
==========
道標
銘文
(正面)左相州通、大山道
(左側面)右富士、世田谷、登戸道
(背面)天下太平国土安穏 寛延2年(巳巳)建立 以下略
(右側面)此方、二子通

年代
 寛延2年(1749)、文化9年(1812)再建
伝来
 大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期_ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分れ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
 大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
 この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピック(注:1964年のもの)の道路拡張などにより点々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元の位置近くに複された。
備考
 一、この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
 一、相州通・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
 一、富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。
     昭和59年3月   世田谷区教育委員会
==========

 都市開発の中で、埋もれないでよく残っていたものだなぁ。

oh19kai256t.jpg
 手ぬぐいのこの道標のことなんですね。

oh19kai257.jpg
 エコー仲見世など路地裏の商店街もあり、個人的には好きな街だ。

 三軒茶屋は、江戸時代に大山街道が世田谷上町へ向かう大山道(上町線)・登戸道と、新町方面に向かう大山道(新町線)とに分離する三差路に、三軒の茶屋(田中屋、信楽(石橋楼)、角屋)があったことから名づけられた。

関連記事

トラックバック

コメント

コメントを残す

Secret


プロフィール

かめ

Author:かめ

FC2乗り鉄の会

鉄道旅行派の同好会に
参加しています。
(敬称略)


かめかめブログ
by かめ

鉄道、旅、B級グルメ、季節・・・


鉄・街・旅な、つぶやき日記
by あいあんさいど

鉄道、街歩き、旅…などなど。
いろんな思いを、感じたままに。


日本鉄道路線 制覇への挑戦!
by タカ&ヨシ

日本の鉄道、全路線を制覇に
挑戦しています。


本気で全線を走破したい
ぼんばーの日記
by ぼんばー

本気に全線走破をするまでの
過程を徒然と日記で綴ります。

カレンダー

09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

カテゴリ

月別アーカイブ

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。

FC2Blog Ranking

ブログ内検索

FC2カウンター