
(6)二子神社参道

(6)二子神社参道
明治地図では、大山街道沿いには建物が密集していたことがよくわかる。

(6)の場所は二子神社の参道の入口で鳥居があった。

二子神社と岡本かの子碑の説明があった。
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川崎歴史ガイド 大山街道ルート
二子神社とかの子碑
境内わきにある「かの子碑」は、岡本太郎の作。母を想い「誇り」と題している。昭和37年秋完成。現実的なこの抽象彫刻と隣り合う二子神社の創建は古く、優に300年をこえる。
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その横には大山燈籠の説明があった。
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大山燈籠
大山は神奈川県中央部にある山岳で標高1,234メートル、年間降雨量が多く雨降山の別名がある。
山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある。両者を総称して一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として農工商の庶民に熱く信仰された。
阿夫利神社の神官や大山寺の社僧を「御師(おし)」といった。御師は関東一円に特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。
大山信仰が盛んになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。
落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り大山登山参拝後は一路平塚へ出て、江ノ島、鎌倉、藤沢等の名所旧跡を見物し神奈川より舟で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山詣を兼ねた、三、四泊の観光慰安旅行であった。
往来する大山詣での鈴の音は大山街道に遠くから響き、二子宿や溝口宿は大山詣の御客で賑わった。
古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に雨乞いすれば必ず雨が降ると信じられた。事実雨乞いすれば不思議と雨が降った。このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年7月26日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て8月27日まで、連夜欠かさず灯明をつけた。大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。
この燈籠は当時の夏の風物詩であった、旧高津村が二子神社前に建てた実物です。総桧造りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した。その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。
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燈籠自体はすでになかった。駐車場になった時になくなったものと思われる。

今日は2月3日だが三週間後の2月24日に第16回大山街道フェスタが開催されるというポスターがあった。伊勢原よりも川崎市高津区の方が大山街道に親しみがあるのかなぁ。しかし「ファイナル」とあるように今年でこのフェスタは終了するということだ。ちょっと寂しいなぁ。

湯どうふや麦茶は無料配布で、山菜おこわ・甘酒・あゆの塩焼き・カレーライスは販売する。

街灯にも「高津の隣人まつり 大山街道フェスタ」の幟が数多く掲揚されていた。

もちろん大山街道とはっきりと書いてある。

大山街道ステッカーも見受けられる。

こんな感じの大山街道。道が狭い割に交通量は多い。

こんなポスターもあった。
第16回大山街道フェスタ ファイナル
高津の隣人まつり
平成31年2月24日(日)10:30~14:30

大山街道フェスタ会場案内図も貼ってあった。
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