
青い実線は圏央道。


右折すると正面に大山がみえる。

そしてここは直進。

左手には歴史資料収蔵館がある。

そして案内板があった。
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江戸・国分 大山道 厚木・大山
河原口村を通る大山道は、曲がり角が多いために「七曲」と言われていました。この先で南北に通る「八王子道」と合流します。二本の道が出会う付近には、かつて蕎麦屋がありました。この先、「厚木の渡し」で相模川を越し、厚木宿、大山へと続いていきます。
江戸時代に「游相日記」を著わした三州田原藩士「渡辺崋山」は天保2(1831)年にこの大山道をたどり、厚木宿の旅籠「万年屋」に宿泊し、渡しの風景画(厚木六勝図の一つ)や、まちの様子をたくさん描き残しています。
また、徳川家康は、中原(平塚市)への鷹狩の帰路、「厚木の渡し」を渡り、隣村の中新田村に居を構えていた、かつての老臣「高水主水助清秀」を訪ね時服や雁等を下賜したと伝えられています。
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ここを左折。

児童館と書いてあるが、おひさまクラブとなっていた。

その先には庚申塔があった。
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