FC2ブログ

41法徳寺と調布橋:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai410m.jpg
 (26)法徳寺
 (28)調布橋

oh19kai410mo.jpg
 (26)法徳寺
 (28)調布橋

oh19kai411.jpg
 行善寺から★2の場所に向かっては下り坂となる。

oh19kai412.jpg
 徐々に急な下り坂になってきた。ここが行善寺坂である。

oh19kai413.jpg
 ★2の場所には行火坂(あんかさか)の石碑がある。これは行善寺坂から左へ曲がる登り坂のことである。

oh19kai414.jpg
 行火坂を登っていくと法徳寺があった。

oh19kai415.jpg
==========
福来山 法徳寺
本尊、阿弥陀如来
 浄土宗に属し、永禄元年(1558)法阿因公和尚によって開山した。開基は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳(重安)、父は、基経といった、基経は足利義明の家来であったが、父子で瀬田の地に農民となり、子重安が開いたものである。
 境内にある筆塚の碑は明治初期、寺子屋の師、大塚貞三郎のために近在の瀬田、用賀、岡本などの門弟一同がたてた記念碑である。
昭和53年3月   世田谷区教育委員会
==========

oh19kai416.jpg
 行火坂を今度は下り、行善寺坂へ戻って、後ろを振返るとこんな感じでかなりの高低差がある。おそらくここも多摩川の河岸段丘なのだろう。

oh19kai417.jpg
 この橋は(28)の調布橋。

oh19kai418.jpg
 調布橋の下には丸子川が流れる。

40行善寺:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai400m.jpg
 (25)行善寺

oh19kai400mo.jpg
 (25)行善寺という文字が見える。

oh19kai401.jpg
 ここが行善寺の入口。

oh19kai402.jpg
 浄土宗のお寺だ。

oh19kai403.jpg
==========
獅子山西光院 行善寺(浄土宗)
 本寺の開基は長崎伊予守重光(法名・行善)、開山は法蓮社印誉上人伝光和尚であり、永禄年間(1558~1569)に建立された。
 本尊は阿弥陀如来で、寺宝には玉川出現楠薬師があった。この地は展望にめぐまれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。

   二子渡舟   太田子徳

玉くしけ 二子のわたり 明ぬやと
   見しや鵜舟の 篝也けり

昭和50年2月   世田谷区教育委員会

せたがや百景(81)瀬田の行善寺と行善寺坂
     昭和59年10月選定   世田谷区
==========

 瀬田の行善寺と行善寺坂が「せたがや百景」に選定されている。

oh19kai404.jpg
 本堂はこちら。

oh19kai405.jpg
 行善寺八景の石碑もある。景色のよかった場所だったのだろう。

oh19kai406.jpg
 行善寺は多摩川の河岸段丘上にあるため、西側は急な崖になっている。本堂の奥から見下ろすと、こんな風に見える。ビルなどがなかった時代は大山・丹沢の雄姿だけでなく、富士山・奥多摩・秩父連山などが眺望できたようだ。

39旧道:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai390m.jpg
 ★6へ向かう。


(24)から南へ向かう。

oh19kai391.jpg

oh19kai392.jpg
 この交番の左側の道が★6の道になる。

oh19kai393.jpg
 歩道も広く緑も多く歩きやすい道である。

oh19kai394.jpg
 ★7の分岐点にやってきた。左側の細い道を進む。

oh19kai395.jpg
 しばらく進むと右側に路地があった。

oh19kai396.jpg
 「瀬田夕日坂」と命名されていた。明治時代の地図をみるとこのあたりの大山街道は北から南へ向かっており、進行方向右手は西になる。おそらく昔は夕日がきれいに見えた場所だったのだろう。

oh19kai397.jpg
 大山街道をさらに南下すると右側にお寺が見えてきた。

38瀬田交差点:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai380m.jpg
 今回歩いている新町・行善寺線は延命地蔵のある道を直進する。斜め右に行くと上町・慈眼寺線(白地に黒文字番号)になる。
 ★5から(24)の瀬田交差点に進み、★6の道を進む。

oh19kai380mo.jpg
 明治地図でも(24)の瀬田交差点は判別できる。赤の点線は上町・慈眼寺線のコースである。

oh19kai380t.jpg
 手ぬぐいにも瀬田が描かれている。

oh19kai381.jpg
 ここが瀬田交差点である。左側の歩道を渡り歩道橋に登る。

oh19kai382.jpg
 正面が★1の国道246号線の厚木方面。

oh19kai383.jpg
 振り返ると★2の国道246号線の渋谷・赤坂方面。

oh19kai384.jpg
 こちらは★3の環状八号線の玉川IC・第三京浜方面。

oh19kai385.jpg
 そしてこちらは★4の環状八号線の東名高速東京IC・
高井戸方面。

oh19kai386.jpg
 今歩いてきた道は★5でこんな位置関係になる。

oh19kai387.jpg
 これから大山街道は★6の方に進む。

37田中橋と延命地蔵:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai370m.jpg
(18)田中橋
(23)延命地蔵

oh19kai370mo.jpg
(18)田中橋
(23)延命地蔵

oh19kai371.jpg
 地図(18)の田中橋交差点に来た。高架部分は首都高速3号線だが、地上にも交差点がある。

oh19kai372.jpg
 現在でも川が流れている。

oh19kai373.jpg
 さらに先に進む。

oh19kai374.jpg
 地図(23)の延命地蔵があった。

oh19kai375.jpg
 しっかりと延命地蔵と書かれている。

oh19kai376.jpg
「奉修地蔵大菩薩法交通安全祈●」と書かれた立派な石碑もあった。

36用賀駅:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai360m.jpg
(19)用賀追分
(20)交差点
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
なお(18)だけ白地に黒文字になっているのは、新町・行善寺線ではなく上町・慈眼寺線用の表示だから。両者は三軒茶屋から二子玉川まで分かれるが、用賀追分から延命地蔵までは共通である。

oh19kai360mo.jpg
(19)用賀追分
(21)真福寺
(18)田中橋
(23)延命地蔵
明治地図にも真福寺としっかりと書かれている。

oh19kai361.jpg
 用賀追分からゆるやかな旧道カーブを進む。

oh19kai362.jpg
 交差点を過ぎて用賀駅方面へ向かう。

oh19kai363.jpg
 右側には真福寺の参道がある。

oh19kai364.jpg
 ここが山門であり、今回は時間がないのでここまでで先を急ぐ。

oh19kai365.jpg
 用賀駅前についた。

oh19kai366.jpg
右側には交番がある。交番の横の階段を下ると用賀駅。

oh19kai367.jpg
 道路を渡ったところにあるのが東口。

oh19kai368.jpg
 しばらく進むと左側にセントラルフィットネスクラブがあった。地元のセントラルに通っているだけに目についてしまう。ここは24時間営業している。

35用賀追分:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai350m.jpg
 (18)から★1を通り(19)へ向かう。

oh19kai350mo.jpg
 ★1を通り(19)へ向かう。

oh19kai351.jpg
 単調な道を進む。平成地図の(18)より手前あたりだろう。

oh19kai352.jpg
 ここが★1の場所。右側のやや細い道を進む。

oh19kai353.jpg
 ゆっくりと右にカーブしながら少し下っていく。

oh19kai354.jpg
 (19)の場所についた。

oh19kai355.jpg
 大山道追分と書いた石碑があった。ここが用賀追分だ。

34桜新町:大山街道2[桜新町~溝の口(新町・行善寺線)]

oh19kai340.jpg
 大山街道歩きの2回目は2019年2月3日の午後。午前中の横浜での仕事を終えてから、桜新町に移動する。
 今日は桜新町からどこまで歩けるだろうか。

oh19kai340m.jpg
 (17)桜新町駅南側のサザエさん通り
 このあたりは割と単調な道が続く。

oh19kai340mo.jpg
 明治地図では桜新町駅の場所がわかりにくい。

oh19kai341.jpg
 桜新町駅南口近くの麺やさとうで昼食を食べようと向かうが店外に行列がありあきらめる。

oh19kai342.jpg
 こちらにもサザエさん像があった。

oh19kai343.jpg
 道路をわたり向う側へ。

oh19kai344.jpg
 昼食はカレーハウスCoCo壱番屋でポークカレー484。レジを担当していたのは外国人だった。日本人スタッフも店内にはいたが、よほど信頼されている外国人スタッフなのだろう。

伊勢原0801→0811海老名 小田急小田原線 快速急行新宿行き
海老名0813→0846横浜 相模鉄道本線 急行横浜行き
横浜0856→0903伊勢佐木長者町 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通湘南台行き
伊勢佐木長者町1149→1225あざみ野 横浜市営地下鉄ブルーライン 普通あざみ野行き
あざみ野1229→1253桜新町 東急田園都市線 各停渋谷行き

33桜新町:大山街道1

oh19kai330m.jpg
 平成地図の左上に桜新町駅が見える。「東急新玉川線」となっているが、渋谷~二子玉川園(現二子玉川)は2000年(平成12年)8月に新玉川線から田園都市線となり、渋谷~中央林間までがすべて東急田園都市線となった。それ以前の編集の地図であろう。

oh19kai330mo.jpg
(17)このあたりが桜新町駅であろう。

oh19kai331.jpg
 桜神宮から西へ向かい桜新町駅を目指す。

oh19kai332.jpg
 この地図の左側から歩いてきて、桜新町駅の南口へ着いた。(この写真は後ほど撮影したもの)
 
oh19kai333.jpg

oh19kai334.jpg
 そして三井住友銀行の手前を左折するとそこはサザエさん通りである。作者の長谷川町子が居住していたためのネーミングである。この先には長谷川町子美術館もある。

oh19kai335.jpg

oh19kai336.jpg
 西口近くにはご覧のような登場人物像があり、花でできたサザエさんの顔型もあった。

oh19kai337.jpg
 今日は桜新町駅で終了としよう。この西口の階段を下りて駅に向かう。

oh19kai338.jpg
 13時32分の準急でも中央林間到着は同じだが、少しでもいろいろな列車に乗るために13時26分発の各停中央林間行きに乗った。

桜新町1326ー1343鷺沼 中央林間行き
鷺沼1345ー1405中央林間 準急中央林間行き
中央林間1409ー1414相模大野 相模大野行き
相模大野1417ー1437伊勢原 快速急行小田原行き
伊勢原駅北口1445 バス大山ケーブル行き


32桜神宮:大山街道1

oh19kai320m.jpg
 ★5「神習教本祠」というのが桜神宮のようだ。

oh19kai320mo.jpg
 明治地図では神社記号も見当たらない。

oh19kai321.jpg
 ゆるやかな旧道カーブに沿って歩いていく。

oh19kai322.jpg

oh19kai323.jpg
 右側に桜神宮という大きな神社があった。

oh19kai324.jpg
==========
古式神道本宮  桜神宮
創建
 勤皇の志士として梁川星厳、西郷隆盛、伊藤博文らと深く親交のあった大中臣65代の後裔で伊勢皇大神宮筆頭禰宜・神宮支庁東京出張所(現在の東京大神宮)所長であった芳村_正もちが神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるため明治15年5月15日、明治天皇の勅許により教派神道13派の1派特立を果たす。名称も神宮奉職中の荒祭宮で神託によって授かった「神習いの教」とした。以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれる。(後略)
==========

oh19kai325.jpg
 拝殿も立派だ。

oh19kai326.jpg
 数多くの絵馬も納められている。

31善養院:大山街道1

oh19kai310m.jpg
(14)新町一丁目交差点
(16)善養院
★4:久富稲荷神社

oh19kai310mo.jpg
(14)新町一丁目交差点
★4:久富稲荷神社
 明治地図では善養院の場所はわかならかった。そのかわり★4には久富稲荷神社が描かれている。

oh19kai311.jpg
ここが新町一丁目交差点だ。ここを右斜めへ進む。

oh19kai312.jpg
 そして城南信金の前を左折すると善養院がある。

oh19kai313.jpg

oh19kai314.jpg
 山門と本堂があった。逆光だったので写真が暗い。

30庚申堂:大山街道1

oh19kai300m.jpg
(12)駒沢大学駅前交差点
(13)庚申堂
(14)新町一丁目交差点

oh19kai300mo.jpg
(13)庚申堂
(14)新町一丁目交差点
 明治地図でははっきりしないが新町一丁目はこのあたりだろうか。

oh19kai301.jpg
 上馬バス停を過ぎる。

oh19kai302.jpg
真中(駒沢大学駅前)交差点を直進する。

oh19kai303.jpg
駒沢交差点もそのまま進む。

oh19kai304.jpg
 (13)のところに庚申堂があった。

29宗円寺:大山街道1

oh19kai290m.jpg
(10)上馬交差点
(11)宗円寺

oh19kai290mo.jpg
 ここらあたりも明治地図でははっきりしない。

oh19kai291.jpg
 上馬交差点に近づいてきた。

oh19kai292.jpg
 ここが上馬交差点だ。

oh19kai293.jpg
 環状七号線がアンダーパスしている。

oh19kai294.jpg
 こちらが宗円寺。

oh19kai295.jpg
==========
八幡山 宗円寺(曹洞宗)
 開基は心覚宗円大庵主北条左近太郎入道成願で、文保元年(1317)10月23日寂した。
 当時は若宮八幡宮の別当寺であった。本尊は釈迦如来坐像、創立当時は小さな草庵であったが、寛永10年(1633)喜山正存和尚が中興した。
 境内に木像の「しょうづかの婆様」の小堂がある。江戸時代初期の頃からまつられたもので、疫病よけに霊験あらたかであるといわれている。
     昭和54年3月 世田谷区教育委員会
==========

oh19kai296.jpg
 「しょうづかの婆様」の小堂はおそらくこれであろう。

oh19kai297.jpg
 旭小学校発祥の地の石碑もあった。昔はお寺で寺子屋があり、それが発展して小学校になったのだろうかと推測する。

28中里通り:大山街道1

oh19kai280m.jpg
(8)中里通り
(9)地蔵尊

oh19kai280mo.jpg
 明治地図ではこのあたりがわかりにくい。あまり特徴のない道だからだろうか。周囲には楢の文字が多い。楢の林に囲まれていたのだろう。

oh19kai281.jpg
 通りをわたり、さらに中里通りを進む。

oh19kai282.jpg
 中里通りの電柱にはこのステッカーが貼られていた。

oh19kai283.jpg
 右側になんだかおもしそうなお店があった。「ヒダリキキ・バル」って何だ?

oh19kai284.jpg
 近づいてみると下記のごとし。

==========
ヒダリキキ = お酒大好き
 昔の大工さんは右手に「金槌」を、左手に「鑿(のみ)」をもって仕事をされます。
 その「鑿(のみ)」と「飲み」をかけた洒落言葉で、左利き=お酒好きとなったようです。
==========

 あぁ、そういうことか。

oh19kai285.jpg
 さらに中里通りを進む。

oh19kai286.jpg
 再び大山街道ステッカー。

oh19kai287.jpg
 旧道カーブが美しい。
 
oh19kai288.jpg
 ここが(9)の地蔵尊だ。

oh19kai289.jpg
 この先で玉川通りと再合流する。

27伊勢丸稲荷大明神と蛇崩川緑道:大山街道1

oh19kai270m.jpg
(4)中里通り分岐
(5)伊勢丸稲荷大明神
(6)蛇崩川緑道

oh19kai270mo.jpg
 明治地図ではどこから中里通りかははっきりしない。

oh19kai271.jpg
 三軒茶屋のバス停を過ぎる。

oh19kai272.jpg
 ここが(4)の場所で右が玉川通り、左が中里通りである。もちろん左へ進む。

oh19kai273.jpg
 ゆるやかな旧道カーブが心地よい。

oh19kai274.jpg
ここが(5)の伊勢丸稲荷大明神。

oh19kai275.jpg

oh19kai276.jpg
 かなり狭い場所にある。

oh19kai277.jpg
 こちらが(6)の蛇崩川緑道だ。

==========
蛇崩川(じゃくずれがわ)緑道
 この蛇崩川緑道(茶屋下橋~薄橋)は、公園等の管理協定制度に基づき、地域の皆さんにより清掃活動などの管理活動が行われています。
 公園等の管理協定制度は、維持管理活動に意欲のある地域の団体が、世田谷区と協定を結び、区と役割分担をしながら公園等の維持管理活動を行っていく制度です。
 利用するみなさんも、公園利用のマナーを守り、楽しく快適に利用できる公園の環境づくりにご協力をお願いします。
(管理協定団体)上馬東町会・世田谷区
==========

oh19kai278.jpg
 暗渠の上に遊歩道ができている。

26中華そば瀧井:大山街道1

oh19kai261.jpg
 そろそろお腹が空いてきた。スマホアプリのラーメンマップで近くのラーメン屋さんを検索する。表通りに面しているよりも路地裏のお店にしよう。そして中華そば瀧井にやってきた。

oh19kai262.jpg
 カウンターのみのお店。8割くらい席は埋まっている。メニューは、中華そば650、味玉そば720、辛ねぎそば700、チャーシューそば900、タンメン780、みそそば680、つけ麺800、大盛り+100、黒焼きめし550など。初の来店なので基本であろう「中華そば650」にしよう。

oh19kai263.jpg
 店内のカウンター席はわずか一席にも空いていた。そこに座る。左隣の二人は麺だけだが、右隣の二人は麺と黒焼きめしのセットを食べていた。他の人たちはわからず。中華そばのビジュアルは美味しそうだ。

oh19kai264.jpg
細麺だがこのスープにはよく合っている。毎日でも食べられそうなマイルドは味わいである

25道標:大山街道1

oh19kai250m.jpg
(3)道標

oh19kai250mo.jpg
(3)道標
 明治地図にも玉川通りと世田谷通りは描かれている。茶沢通りはまだなかったのだろう。

oh19kai251.jpg
 世田谷通りは都道3号線だ。

oh19kai252.jpg
 分かれ道の場所に道標があった。立派な道標だ。

oh19kai253.jpg
【正面】には「左相州通、大山道」と書いてある。

oh19kai254.jpg
【左側面】には「右富士、世田谷、登戸道」と読める。

oh19kai255.jpg
【右側面】には「此方、二子通」となっている。

oh19kai256.jpg
==========
道標
銘文
(正面)左相州通、大山道
(左側面)右富士、世田谷、登戸道
(背面)天下太平国土安穏 寛延2年(巳巳)建立 以下略
(右側面)此方、二子通

年代
 寛延2年(1749)、文化9年(1812)再建
伝来
 大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期_ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分れ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
 大山は、古い民俗信仰である石尊信仰と山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に尊崇された。とくに文化文政期以降は江戸町人などの大山詣りが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
 この道標は、玉川電車の開通や、東京オリンピック(注:1964年のもの)の道路拡張などにより点々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして、元の位置近くに複された。
備考
 一、この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
 一、相州通・二子通は、ほぼ現在の玉川通りである。
 一、富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。
     昭和59年3月   世田谷区教育委員会
==========

 都市開発の中で、埋もれないでよく残っていたものだなぁ。

oh19kai256t.jpg
 手ぬぐいのこの道標のことなんですね。

oh19kai257.jpg
 エコー仲見世など路地裏の商店街もあり、個人的には好きな街だ。

 三軒茶屋は、江戸時代に大山街道が世田谷上町へ向かう大山道(上町線)・登戸道と、新町方面に向かう大山道(新町線)とに分離する三差路に、三軒の茶屋(田中屋、信楽(石橋楼)、角屋)があったことから名づけられた。

24三軒茶屋:大山街道1

oh19kai240.jpg
 ここで大山街道は二手に分かれる。三軒茶屋から用賀までは(1)世田谷通りを通る「上町線」と(2)国道246号線に沿った「新町線」となり、用賀から二子玉川までは(3)行善寺を通る「行善寺線」と(4)慈眼寺を通る「慈眼寺線」である。今回は(2)の新町線と(3)の行善寺線を歩くこととし、(1)と(4)は後日に歩くこととする。


oh19kai240m.jpg
(40)三宿交差点
(41)三軒茶屋駅

oh19kai240mo.jpg
(40)三宿交差点
(41)三軒茶屋駅

oh19kai241.jpg
 旧道をひたすら歩く。

oh19kai242.jpg
 ここで玉川通り(国道246号)と合流する。

oh19kai243.jpg
 (40)の三宿交差点だ。

oh19kai244.jpg
 左側に学校が見えた。昭和女子大学だ。写真を撮ろうとすると警備員の人ににらまれた(ように感じた)ので、この写真だけの撮影としよう。

oh19kai245.jpg
 徐々に三軒茶屋に近づいてきた。

oh19kai246.jpg
 斜め左方向に向かうと厚木へ行く。

oh19kai247.jpg
 玉川通り(国道246号)と世田谷通りと茶沢通りの交差点になっている。

oh19kai248.jpg
 こちらにも成人式を迎える振り袖姿の女性がいた。誰を待ってるのかな?

23池尻稲荷神社:大山街道1

oh19kai230m.jpg
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

oh19kai230mo.jpg
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿

oh19kai230t.jpg
 江戸大山まいりすごろくの手ぬぐいにも池尻のそばに池尻稲荷神社が描かれている。

oh19kai231.jpg
 ここが池尻稲荷神社の入口である。この神社は池尻・池沢両村の村人によって建てられ、子育て、火伏せの稲荷として信仰されていた。境内には薬水の井戸があり、大山街道、富士街道の旅人や付近の農村の人々の飲料水に使われていた。薬水と井戸は涸れずの井戸とも呼ばれていた。

oh19kai232.jpg
 旧大山道と書かれた石碑があった。

oh19kai233.jpg
 涸れずの井戸の由来が書いてあった。

==========
涸れずの井戸(かれずのいど)
 この池尻稲荷神社の入口わきに、昔「涸れずの井戸」と呼ばれる井戸がありました。これはどんなに日照りが続いても、涸れることなしに、いつも豊かな水をたたえていたので、こう言われていました。この前の大山道旧道を往き来する旅人や野菜を運ぶ農民ののどをうるおし、まわりの人々に大変尊ばれました。とくに、雨乞いのための大山詣の際には、必ずここに立ち寄ったと言われます。現在も、この水は、境内の中にあり、みなさんにおいしい水を提供しています。
 この像は、江戸後期近くの商店に奉公に来ていた少女が、奉公先の子どもといっしょに、ここに水を汲みに来た際、たぶんついでに「かごめかごめ」の遊びをしたであろう様子を想像してつくったものです。どうぞ、昔の風景を思いうかべてみてください。
     平成元年3月 世田谷区

     せたがや百景(2) 大山道と池尻稲荷  昭和59年10月選定
==========

oh19kai234.jpg
 子供たちが「かごめかごめ」で遊んでいる様子だ。

oh19kai235.jpg

oh19kai236.jpg
 池尻稲荷神社と拝殿である。またも旅の安全を祈願した。

22旧道と庚申堂:大山街道1

oh19kai220m.jpg
(38)旧道入口
★3:庚申堂
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿交差点

oh19kai220mo.jpg
(38)旧道入口
★3:庚申堂
(39)池尻稲荷神社
(40)三宿交差点

oh19kai221.jpg
 (38)の分岐部を左に入れば大山街道の旧道である。

oh19kai222.jpg
 ゆるやかな旧道カーブが続く道をゆっくりと歩いていく。

oh19kai223.jpg
 こんなステッカーが貼ってあった。

oh19kai224.jpg
 コンビニ手前の路地を左折して庚申堂へ寄り道する。

oh19kai225.jpg
 すると右側に黒住教の建物があった。いろいろな宗教があるのだなぁ。

oh19kai226.jpg
==========
黒住教(くろずみきょう)
 黒住教(本部:岡山市)は、江戸時代後期に岡山藩の守護神社今村宮の神職であった黒住宗忠(1780~1850)が、昇る朝日を拝んで立教なった(1814)神道教団で、江戸末期より”神道の教えの大元”と称えられ、多くの人々から”開運の宗教”として信仰されてきました。黒住教東京大教会所・宗忠神社東京分社は、”心の時代”・”宗教の時代™といわれる今日に、一人でも多くの方が本教を通して心身ともに健やかで幸せな人生を過ごしていただくことを念願しています。
 どなたでも自由にお参りください
     黒住教東京大教会所・宗忠神社東京分社
==========

 帰宅後に調べてみると、天理教、金光教とともに幕末三大新宗教の一つなのだそうだ。

oh19kai227.jpg
 さらにその先へ進んでいく。

oh19kai228.jpg
 平成地図の★1庚申堂のところに到着した。

oh19kai229.jpg
==========
池尻庚申会
 現在区内で確認されている205体の庚申塔の中、2体がこのお堂に安置されている。1体は延宝8年(1680)の庚申の年。他の1体は次の申(サル)年の元禄5年(1692)の造立となっている。
 この庚申塔は邪鬼をふんづけた姿の青面金剛とその下に三猿を彫った石仏である。この石仏は江戸築城の際、集めた石工に造らせたと云われており江戸時代以降の石仏を特に庚申塔と呼ぶようである。
 庚申信仰は古く平安の世に中国から伝わり時の貴族の間に広がり時代が江戸となり庶民信仰として口づてにそのありがたさが農民の間にも受け入れられ300有余年も連綿と継承されて今日のお祭り行事にまで続いている。
 お祭りは毎年4月15日目黒常円寺の住職により先祖の供養と参拝者の幸せを祈りお経をあげ盛大に行われている。この長い歴史と先人の心を支えてきた庚申様を守護し地元の人々との親睦を深めて次の世代に引き継ぎたいものである。
     平成18年 池尻庚申会
==========

21目黒川:大山街道1

oh19kai210m.jpg
(36)大橋交差点
(37)目黒川

oh19kai210mo.jpg
(36)大橋交差点
(37)目黒川

oh19kai211.jpg
 ここが大橋病院入口交差点だ。

oh19kai212.jpg
 この地図の上から下へ歩いてきた。

oh19kai213.jpg
 進行方向右側にはご覧のような目黒川緑道が整備されている。

oh19kai214.jpg
 目黒川にかかるこの橋が大橋だそうだ。

oh19kai215.jpg
 進行方向左側には目黒川が流れている。春には花見で大賑わいするのだろう。

20氷川神社:大山街道1

oh19kai200m.jpg
(34)氷川神社

oh19kai200mo.jpg
(34)氷川神社

oh19kai201.jpg
 上目黒氷川神社の入口。

oh19kai202.jpg
 こんな急勾配の階段を登っていくのだ。

oh19kai203.jpg
==========
氷川神社   大橋2-16-21
 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、天照大御神、菅原道真を合祀しています。旧上目黒村の鎮守で、天正年間(1573~1592)に上目黒村の旧家加藤氏がこの地に迎えたといわれています。
 正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の急勾配な石段に改修されました。境内には、花崗岩造りの4基の鳥居や小松石造りの2対の狛犬があります。
 また、石段の下には「武州荏原郡菅刈荘目黒郷」と刻まれた供養塔や、天保13年(1842)に建てられて大山道の道標があります。大山道は江戸時代、石尊参り(現、神奈川県伊勢原市の大山への参詣)をする多くの人々が利用しました。
 境内には、目切坂上(現、上目黒1-8付近)にあった目黒元富士から石碑などが移され、「目黒富士」と称す登山道が築かれています。
==========

oh19kai204.jpg
 階段を登ると拝殿と東屋があった。

oh19kai205.jpg
 上から見下ろすとこんな感じだ。

19道標:大山街道1

oh19kai190m.jpg
(34)氷川神社
(35)道標

oh19kai190mo.jpg
(34)氷川神社

oh19kai191.jpg
 氷川神社の入口に大山道の道標があった。【正面】には「大山道、せたがや道、玉川通」と書かれている。

oh19kai192.jpg
【右】には「ひろう、めぐろ、池がみ、品川みち」と書かれている。「ひろう」は広尾のことか?

oh19kai193.jpg
【左】には「青山、あざぶみち」と書かれている。

18大坂橋:大山街道1

oh19kai180m.jpg
(33)大坂

oh19kai180mo.jpg
(33)大坂入口

oh19kai181.jpg
 本来の大山街道はここを直進していたようだが、今ではその道はない。

oh19kai182.jpg
 左折してすぐの大坂橋下の信号機の場所を横断する。

oh19kai183.jpg
 玉川通り(国道246号)と山手通り(都道317号)の交差点である。

oh19kai184.jpg
 山手通りを横断し今度は登り坂である。

oh19kai185.jpg
玉川通り(国道246号)に戻ると、分岐した首都高が頭上を覆っており、立体的で都会らしい重々しさがある。

17大坂:大山街道1

oh19kai170m.jpg
(31)大坂上バス停
(32)大坂入口
(33)大坂

oh19kai170mo.jpg
(32)大坂入口

oh19kai171.jpg
 道玄坂上交差点で再び国道246号線と合流した。ここからしばらくは首都高を見上げながら歩くことになる。

oh19kai172.jpg
 少し歩くと神泉町交差点に着く。

oh19kai173.jpg
 (31)の大坂上バス停。

oh19kai174.jpg
 この分岐の右側の下り坂を行く。

oh19kai175.jpg
==========
大坂(おおさか)
 厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので、大坂と呼ぶようになったといわれる。この坂標識の北側の坂が旧道で、南側の坂が新道である。
==========
大坂と言っても、なおみではない(笑)

oh19kai176.jpg
 右側の道を進んでみる。

oh19kai177.jpg
 徐々に下り坂になっている。

oh19kai178.jpg
 かなり下ってきた。この大坂は、落とした団子が坂下まで転がるほどの急坂だったことから団子坂とも言われた。

16道玄坂道供養碑:大山街道1

oh19kai160m.jpg
(29)百軒店商店街
(30)道玄坂道供養碑

oh19kai160mo.jpg
(29)百軒店商店街
(30)道玄坂道供養碑

oh19kai161.jpg
 紅白のカーテンに隠れるように供養碑がある。

oh19kai162.jpg
 与謝野晶子がふるさとを詠んだ短歌の碑があった。

oh19kai163.jpg
==========
母遠うて 瞳したしき 西の山  相模か知らず 雨雲かかる
 歌人与謝野晶子が詠んだこの短歌は、明治35年(1902)四月に発行された東京新詩社の機関紙「明星」に収められています。
 晶子は、前年に、郷里の大阪府から単身上京し、渋谷道玄坂の近傍に住んで、与謝野_寛と結婚しました。処女詩集の「みだれ髪」も刊行しています。詩歌の革新をめざした寛との新婚生活でしたが、晶子によって、身心の負担は思いもよらず大きなものでした。
 歌人として、また妻としての多忙な日々のひとときに、住まいから近い道玄坂の上にしばしたたずんで、西空の果てに連なる相州の山々を眺めていたのです。その山々の方向にあたる遠い堺の生家を思い、母親を懐かしんだのでした。
 みずから生家を離れて、新しい生活を渋谷で始めた晶子が、当時ひそかに抱き続けていた真情の一端を、この一首の短歌は語っているのです。
 なお、この歌碑に彫られている筆跡は、晶子自身の書簡による集字です。
     渋谷区教育委員会
==========

oh19kai164.jpg
==========
渋谷道玄坂
 渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされたとき(1525年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだ。それでこの坂を道玄坂というといわれている。江戸時代ここを通る青山街道は神奈川の人と物を江戸へ運ぶ大切な道だった。やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷附近もひらけだした。近くに住んだ芥川龍之介、柳田國男がここを通って通学したり、坂下に新詩社ができたり林芙美子が夜店を出した思い出もある。これからも道玄坂は今までと同じくむしろ若者の街として希望と夢を宿して長く栄えてゆくことだろう。
   樋口清之
==========
 ここに書かれている大和田道玄は実は山賊の親分で、この大山街道を行く旅人を襲ったという歴史がある。

15道玄坂:大山街道1

oh19kai150m.jpg
(28)道玄坂
★1渋谷109

oh19kai150mo.jpg
(28)道玄坂

oh19kai151.jpg
 スクランブル交差点から少し進むと渋谷109がある。

oh19kai152.jpg
 さらに道玄坂を進む。

oh19kai153.jpg
 道玄坂交差点があった。

oh19kai154.jpg
 右手には渋谷百軒店商店街があり、ここが昔の渋谷の中心だった。百軒店は1923年(大正12年)の関東大震災で被災した店を受け入れてできた繁華街である。

14スクランブル交差点:大山街道1

oh19kai141.jpg

oh19kai142.jpg

oh19kai143.jpg

oh19kai144.jpg
 道玄坂を登る前に、交差点の一角に立ちスクランブル交差点をグルっと眺める。



oh19kai146.jpg

oh19kai147.jpg
 今はそれほどではないが、テレビの映像などを見る限り、混んでいる時にはこの比ではないであろう。

13渋谷駅:大山街道1

oh19kai130m.jpg
(21)宮益坂
(26)渋谷川
(27)忠犬ハチ公像
(28)道玄坂

oh19kai130mo.jpg
 明治地図には(26)渋谷川がある。川の水が鉄分を含み渋色をしていたから渋谷となった。
大山街道と渋谷川の交わるあたりが渋谷駅だろう。

oh19kai131.jpg
 左手に工事中の鉄道施設と大きなビルを見ながら坂を下る。

oh19kai132.jpg
 宮益坂下交差点に着いた。渋谷川は暗渠になっているのだろう。

oh19kai133.jpg
 正面にはJRの高架がある。

oh19kai134.jpg
 ガードをくぐると渋谷スクランブル交差点だ。

oh19kai135.jpg
 渋谷駅前に向かうと東急の昔の車両が待ち合わせ場所になっていた。

oh19kai136.jpg
 もちろん忠犬ハチ公像での待ち合わせも健在である。

oh19kai137.jpg
 渋谷駅の建物は数多くの広告看板で覆われている。

oh19kai138.jpg
 これから道玄坂を登っていく。

12御嶽神社:大山街道1

oh19kai120m.jpg
(22)御嶽神社

oh19kai120ma.jpg
 江戸情報地図によると御嶽神社に向かう道には富士見坂と書かれている。おそらくここから富士がよく見えたのであろう。

oh19kai120mo.jpg
(22)この神社記号が御嶽神社なのだろう。

oh19kai121.jpg
 本来の富士見坂はちょっと左手だと思われる。ヒカリエ方面へと左折する。

oh19kai122.jpg
 この坂が昔の富士見坂なのだろう。今となっては建物に囲まれて見晴らしは全く期待できない。成人の日なので振袖姿の若いお嬢さんが慣れない草履で歩いていた。

oh19kai123.jpg
 平成地図には東急文化会館となっているが、ここは現在では渋谷ヒカリエとなっている。渋谷駅周辺の変わりようは著しい。

oh19kai124.jpg
 宮益坂に戻り御嶽神社入口にやってきた。都内のど真ん中にある神社の雰囲気がよくでている。

oh19kai125.jpg
 階段を登るとさらに鳥居と拝殿があった。

oh19kai126.jpg
 この大山街道の旅の安全を祈願した。宮益の地名はこの御嶽神社の御利益で益々栄える町ということに由来する。


プロフィール

かめ

Author:かめ

FC2乗り鉄の会

鉄道旅行派の同好会に
参加しています。
(敬称略)


かめかめブログ
by かめ

鉄道、旅、B級グルメ、季節・・・


鉄・街・旅な、つぶやき日記
by あいあんさいど

鉄道、街歩き、旅…などなど。
いろんな思いを、感じたままに。


日本鉄道路線 制覇への挑戦!
by タカ&ヨシ

日本の鉄道、全路線を制覇に
挑戦しています。


本気で全線を走破したい
ぼんばーの日記
by ぼんばー

本気に全線走破をするまでの
過程を徒然と日記で綴ります。

カレンダー

08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

最近の記事

カテゴリ

月別アーカイブ

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。

FC2Blog Ranking

ブログ内検索

FC2カウンター